お通夜

嫁さん方の祖母が亡くなったので、通夜と告別式に参列するため京都の実家へ。

もう95歳だったから立派な大往生で湿っぽさは無いのだけど、やはり人生の終わりに立ち会う経験というのは荘厳な気持ちになります。

何時か来る自分自身の幕引きはどんなだろうか、その時子供たちや周囲の状況はどうなってるんだろうか、やり残したことは無いだろうか、なんて色々想像してみたりします。

もう何年か前に亡くなった祖父は、山形から画家を目指して京都に出てきて、祖母と知り合い、亡くなる直前まで染物工場を営んでいました。

年をとっても祖父と祖母は自分たちで身の回りの全てをやり繰りして、子供たちの手を借りずに生活していました。

入院したのも亡くなる直前だったし、90を超えているのに生活力は凄いと感心したものです。

東北って自分にとっては縁の無い地方だったので、細いけれども繋がりが持てたのはちょっと嬉しくて、出羽三山の事をちょっと調べてみたりしました。

今でも即身仏が拝めるなんて凄いですよね。

こういう時に、自分が永い人の繋がりの中で生まれて生かされているんだな、とルーツに思いを馳せて感慨深くなります。



さて、子供たちには何を残してあげようか。

お金や財産よりも、生き抜く力を持たせてあげるのが一番かな。