日本の未来は明るい

なんてお書きすると意外に思われるでしょう。この30年負けっぱなしの日本は随分先行きが暗い国になってしまいました。敗戦後からオイルショック(1973年)まで高度成長を遂げて絶対の勝ちパターン、つまり”良いモノを安く作る”で世界を席巻したジャパンパワーは、プラザ合意(1985年)後の内需拡大でバブルを招き、バブル崩壊(1989年)以降は全く世界で勝てなくなってしまいました。優秀な現場力でアナログな摺り合わせ技術を磨いた勝ちパターンが通じなくなってしまったんですよね。面倒なアナログ摺り合わせ技術からデジタルにノウハウが移転して、韓国・台湾・中国が最新の製造設備を導入すれば良いモノを安く作れるようになってしまった。そこで日本は先進国としての新しい勝ちパターンを作らねばならなかったのですが、作れず今日に至る。つまり平成以降に生まれた若者はもう勝っていた日本のイメージを持てないわけです。おカネが回らないから結婚や子育てにも踏み切れず。そりゃ少子化になりますよね。じゃあどうすればいいのか。

日本の未来は明るい

辛口な渡辺千賀さんがこうまで日本の将来に楽観的なエントリーを書かれることが本当に意外でした。読んでみて納得。確かに日本はダイバーシティ化が急速に進んでいます。

日本がいつのまにか「世界第4位の移民大国」になっていた件

これを聞いて本気で驚いたんですが、日本って移民に厳しい政策を取っていると思っていたので世界四位の移民大国とは知りませんでした。確かに東京でコンビニや飲食店に入ると店員さんは外国人だらけだし、日本企業の中に外国人の方を多くお見受けするようになっているとは感じていました。
歴史上栄えた文明は、アジアも含め、移民比率の高い場所で起こった
これは自明の事実ですものね。そうすると外国人が増えている今の日本の状況は良い傾向と考えるべきなのでしょうね。純粋な日本国民が2/3程度いればカルチャーは守れそうだし、多少コスモポリタンな国になってもそれはもうグローバル化の必然と受け入れるしかないのだと思います。
企業にダイバーシティが必要だ、と言われるのは、「可哀想な人をちゃんと使ってあげましょう」ということではなく、ダイバーシティによってアイディアの幅が広がる、人材の母集団が増えることでより優秀な人が集められるようになる、といったことで業績が向上するから。「何が変えられるか」という判断が違う人たちが増えるのももちろんダイバーシティである。
これはウチでもひしひしと感じています。ここ半年ほどで入社した新しいメンバーがどれほどの新しい風をもたらしてくれたことか。化学反応って起きるんですよね。企業の経営陣に外国人や女性がどんどん増えて、日本に活力が戻ることを本当に願っています。まずは自社から、ですよね。

仕入れを値切るな

ドキッとされた方も多いのではないでしょうか。実は私もそうでした。これは知人である”日本一予約の取れない焼き肉屋さん”肉山の光山英明さんの言葉なんです。

赤身肉ブームの先駆け的存在『肉山』。「決して値下げ交渉しない」理由とは?

何が値打ちあるって、光山さんは”値切ってなんぼ”のこてこての大阪人なんですよね。だからこそ、言葉に重みがあります。私も関西で暮らして長いので知らず知らずのうちに値切るカルチャーが染みついていまして、どうしても値段交渉をしたくなります。その時にこの言葉を思い出して、じっと我慢をするようにしています。その理由とは。

仮に言い値を値切って仕入れたとします。仕入先さんはどうお感じになるでしょうか。”値切られた” ”どこかでコストを下げて元を取ろう”と考えるのが普通じゃないでしょうか。つまり値切ることで本来得られるはずだったモノやサービスの質が下がってしまうのです。逆に言い値で買った場合はどうでしょうか。”良いお客だ” ”この付き合いを大事にしよう”と思うのが人情です。つまり普通の取引よりも身を入れて良いものを納入しようと考えるのじゃないでしょうか。これはモノに限らず、ソフトウェア開発やコンサルティングなどのサービス提供の場合も同じことです。つまり取引においては、

1.言い値で買う
2.買わない

の二択しかなく、3.値切って買う、は最悪の手段なんですね。よく考えると今まで恐ろしいことをしていました。

これ実は関西の悪癖なんだと思います。大阪人はケチることを自慢する風潮がありますけど、それで失っている機会がどれだけあるか考えてみるべきです。質の高いサービスを提供したいと思っている会社も個人も、できるなら東京で高く買って欲しいと思いますよね。そうやって良い人や会社がどんどん東京に逃げていくのです。だから関西に文化も会社も育たないと言われちゃうんじゃないでしょうか。

節約する、始末することとケチることは本来違うはずなんです。無駄なお金を使う必要はありませんけど、何でもケチって値切る意識は捨てた方がいいですよね。自戒を込めて。

上海訪問記

週末に上海に行ってきました。元リクルートのメンバーでアジアの会という集まりが毎年2回ほど開催されており、私は初めての参加でした。前に社員旅行で訪れたのが2011年のことだったので、もう8年が経ちました。今でも上海市内はあちこちで大きなビルの建築ラッシュが続いており、活気は衰える様子がありません。普段神戸にいると東京に来ただけでエネルギーに気圧されますが、海外の成長都市が持つパワーには圧倒されてしまいます。東京も形なしですね。

外灘(バンド)と呼ばれる新しいエリアはここ15年ほどの発展ぶりが特に著しく、大きなビルがどんどん建っています。深センでもそうでしたが、あべのハルカスなんかより高いビルがあちこちにあるんですから、日本は完全に負けてます。今回一番驚いたのは、海底撈という流行りの火鍋屋さんのサービスレベルの高さ。同行した同期の友人曰く、日本の支店よりも中国のお店の方がサービスがいいと。中国人の店員さんといえばつっけんどんで愛想の悪さが典型なんですが、彼女は丁寧に客の心を拾って応対してくれているのが伝わってくる。ついにサービスで日本が中国に遅れを取るようになったのかと、最後の拠り所を攻略されてしまったようで寂しい気持ちになりました。

そういえば、友人はこう言っていました。「人が悪いんやない。悪いんはルールや!」。全くそのとおりだと思います。であれば、中国人のマナーの悪さも、日本の経済停滞も、悪いのはルールなんでしょうね。認めたくはありませんが、そこは政治の役割なのかもしれない。衣食足りて礼節を知る、を実現させた中国共産党は本当に凄い。過去30年に渡って停滞に有効な手を打てなかった日本は本当に情けない。政治に期待できない我々はどうすべきか?

一人でも多くの日本人が、リスクを負って攻める姿勢を持つこと。それに尽きるのではないでしょうか。茹でガエルに甘んじていてはなりません。チャレンジしましょう。人が老いるのは挑戦する気持ちを失った時なのですから。

もう一つのスティーブ・ジョブズ物語り

PIXAR <ピクサー> 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話

今やレジェンドになったスティーブ・ジョブズですが、カリスマの人間的な一面が垣間見れるIT業界人必読の書です。物語の始まりは1994年の一本の電話から。Appleを追い出され、再起を懸けてチャレンジしていたNeXTもPIXARも迷走続きで結果の出ない日々を送っていたジョブズがスカウトしたのが筆者であるローレンス・レビー。この一人のCFOが驚きの成功をもたらすストーリーには、どんなフィクションも及ばないリアリティと興奮があります。意外だったのはジョブズの素顔です。

すごいアイデアも出てくるけど、的外れも少なくないんだ
スティーブの打つ手は何でもビシビシ結果が出ていた気がしていますが、それは成功したあとに振り返っていい場面だけを拾うからバイアスが掛かっているんですね。思い返すと、SONYにおける盛田昭夫さん、ホンダにおける藤沢武夫さんのように、偉大なビジョナリーの夢を形にしていく有能な実務家が成功には不可欠なのかもしれません。スティーブは何でも自分の思うようにしようという独善的なところがありますが、挫折経験を経てはじめて人の言うことに耳を傾けるようになったのかもしれませんね。
スティーブとは、いつもだいたいこんな感じのやりとりだった。大きな問題でも小さな問題でも、スティーブは激しい議論を展開する。議論は同意できる場合もあれば同意できない場合もある。同意できない場合、私は、彼が激しいから譲歩するのではなく、あくまで事態の打開に資するから譲歩という姿勢で臨む。スティーブも、自分の考えを押しつけるより、議論で互いに納得できる結論を出し、ともに歩むほうを好んだ。ピクサーにおける事業や戦略は、彼が選んだものでも私が選んだものでもなく、こういうやり方で得た結果だと思うと、何年もあとにスティーブからも言われている
有能な補佐役との出会いも望んで得られるものではないのだと思います。スティーブにはその縁を引き寄せるパワーがあったということなのでしょう。

実はPIXARは10年に渡り私費を5,000万ドルも投入しながら全く成果が上がっていない苦しい状況でした。カオスな状態から、当面のキャッシュの手当、何が収益を生み出す元となるのかの見極め、ディズニーとの交渉、IPOの道筋と実現、そしてバイアウトという着地。筆者の果たした役割はとてつもなく大きい。スティーブ・ジョブズ復活のお膳立てをしたのはローレンス・レビーだと断言しても過言ではないでしょう。

生の成功ドラマを読んでいると、本当にワクワクします。そしてそこに自分を当てはめてみる。自分にも同じことができるだろうかとイメージしてみる。身の程知らずなのかもしれないけれど、それでも思わなければ絶対に実現はしない。夢を追う人の背中をそっと押してくれる、そんな勇気をくれる本でした。

「NETFLIXの最強人事戦略」

●「NETFLIXの最強人事戦略

働き方改革の名の下に色んなワーキングスタイルが摸索されていますが、恐らく今一番進んでいる事例の一つだと思います。インパクトのあったところをご紹介。
重要な行動規範の周知を図り、それを実行するかどうかを各人の裁量に任せる
ネットフリックス文化の柱の一つは、「徹底的に正直であれ」だ
エンパワメントに関していえば、私はこの言葉が大嫌いだ。よかれと思ってやっているのだろうが、そもそもエンパワメントがこんなに注目されるのは、今行われている人材管理の手法が従業員から力を奪っているからにほかならない。力をとり上げることを狙っているわけではないが、やたらと介入しすぎる結果、従業員を骨抜きにしている。
従業員に力を与えるのではなく、あなたたちはもう力をもっているのだと思い出させ、力を存分に発揮できる環境を整えるのが、会社の務めだ。そうすれば、彼らは放っておいてもめざましい仕事をしてくれる
ビジネスリーダーの役割は、すばらしい仕事を期限内にやり遂げる、優れたチームをつくることである。それだけ。これが経営陣のやるべきことだ
若干抽象的で分かりにくいかもしれません。しかしながら、企業が作り上げてきた様々な人のマネージメントの仕組みが、本当に機能しているのか全員が考え直した方がいいと思います。例えば分かりやすいのは、
有給休暇制度の廃止を考えてみよう。従業員には、「妥当だと思うだけの休暇をとり、適宜上司と相談してほしい」とだけ伝えた。さてどうなったか?彼らは前と変わらず、夏期とホリデーシーズンに1、2週間ずつ休暇をとり、子どものスポーツの試合のためにちょこちょこ休みを入れた。従業員を信頼し、自分で責任をもって時間を管理させることは、彼らに力をとり戻させるために私たちがとった初期の施策の一つだった。
有給休暇制度を廃止したんですよ! これはちょっと衝撃でした。ウチで同じようにしたらどうなるだろうか? 
従業員を大人として扱うとよい成果が得られること、また従業員もそれを望んでいることがわかった
まあ、そうなんですよね。リモートワークを導入するときのポイントがここにあって、要するにスタッフを信用するかどうかが問われるんです。信用できないと、自宅でもちゃんと仕事をしているのか監視しようとしてカメラを付けたり細かい報告を上げさせたり、ロクな方向に行きません。人は信用されれば、その信頼を裏切りたくはないものだという哲学がないと実行できない施策なんです。


しかしながら、普通の企業がいきなりNetflixを真似て同じ仕組みを導入しても失敗すると思います。それはNetflixの人事システムを支える前提条件というものがあって、それは高い労働流動性が確保されているからだと思います。
今のチームが理想のチームでないことが、私たちの足かせになっていないか?
会社は家族ではなく、スポーツチームだ
社内の人材を登用すべきか、社外からハイパフォーマーを連れてくるべきかを判断する
私も今まで”家族”という言葉をよく使っていましたが、そこにはある種の嘘が紛れています。家族なら解雇することも新たに採用することもないのですからね。ウェットな感情を持ち込みすぎずに、スポーツチームとして必要な人材を適所に配置する、という考え方をした方が気持ちが楽ですね。だからチームにフィットしないと判断すれば、そこは人を入れ替えて良いのだと思います。その人が悪いわけじゃない、ただこのチームにフィットしなかっただけ。無用な人格攻撃をせずに、お互い客観的に適性のマッチングを判断できるといいですよね。

Netflixの特徴的なカルチャーとして、徹底的に正直に情報をオープンにするスタイルがあります。
やるべき仕事の内容や背景情報を、従業員に明瞭かつ継続的に伝えることだ。「これが今の正確な状況で、これが私たちの成し遂げようとしていることだ」と伝えるのだ。マネジャーが、やるべき仕事と事業上の課題、幅広い競争環境について伝え、説明し、隠し立てのない姿勢でいることに時間をかければかけるほど、方針や承認、インセンティブの必要性は薄れる
これが答えです。本来は社内に隠しごとなんてないはずなんですよね。腹を割って本音で話せるか、都合の悪い情報も含めて全てをさらけ出してオープンになれるだけの度量があるか。最後は経営者の器を問われるのだと思います。

堺屋太一さんの提言

堺屋太一氏の遺言「2020年までに3度目の日本をつくれるか」

連休明けにメールに目を通していたら堺屋太一さんの提言がありました。好きな方だったんですけどね、堺屋さん。お亡くなりになって残念です。俯瞰で見た視点が参考になります。
戦後日本というのは、官僚が東京一極集中政策を猛烈な勢いでやっていたんですね。それで特に全国規模の頭脳活動、つまり、経済産業の中枢管理機能と情報発信と文化創造活動の3つは東京以外でしちゃいけない、ということになっていた。

だから金融貿易は東京以外でしちゃいけない。大きな会社の本社も東京に置け。そのために各種業界団体の本部事務局は東京に置けと。つまり、沖縄での頭脳活動は一切ダメというわけですよ。地方は頭がないんだから、手足の機能に専念しろ。つまり、農業や製造業、建設業の現場になれ、というわけです。その代わりに東京はお米を高く買い、建設補助金をばら撒き、公共事業を盛んにするという仕掛けにしていたんですね。

 そんな官僚が作った規制から外れているのは、観光業しかありません。それで沖縄で観光開発を打ち出し、海洋博覧会を契機に沖縄を訪れる観光客の数を10倍にしようという話を作ったんです。

 その時にお目にかかったのが、世界的な観光プロデューサーと言われたアラン・フォーバスというアメリカ人です。この人は、当時の日本で行われていた観光開発は全部間違っている、と言うんです。道路を造るとか、飛行場を造るとか、ホテルを建てるとかいうのは、これらは観光を支える施設ではあるが、観光の施設ではないと。

 じゃあ、観光に必要なものは何かというと、「あれがあるからそこへ行きたい」という“アトラクティブス”だと言うんです。それは6つの種類がある。ヒストリー、フィクション、リズム&テイスト、ガール&ギャンブル、サイトシーン、そしてショッピングだと。この6つの要素のうち3つそろえろと言うんですね。
そもそも敗戦で日本人のメンタリティーは、物量崇拝と経済効率礼賛に180度変わっていました。戦争に負けたのは、アメリカの物量に負けたのだと。それが規格大量生産で高度成長を引っ張る原動力になっていました。

 実際、大阪万博は、日本が規格大量生産社会を実現したことを世界に知らしめた行事でした。1970年代は世界中がそうでした。しかし、その一方で70年代に世界の文明は転換します。きっかけは、ベトナム戦争でした。ベトナムで規格大量生産の武器で完全武装した米軍が、サンダルと腰弁当のベトコンに勝てなかった。なぜだということが盛んに議論されたんですね。その結論がまさに、規格大量生産の限界でした。アメリカで草の根運動や反戦運動が盛んになったのは、そうした文明の転換が背景にありました。

 20世紀の技術というのは、大型化と大量化と高速化、この3つだけを目指していたんです。それでジャンボジェット機ができて、50万トンのタンカー船ができて、5000立米の溶鉱炉ができた。まさに、あらゆる分野で最高速度、最大規模の製品が生まれたのが、70年代でした。そこが限界だったんです。

 それから以後、ジャンボジェットより大きな飛行機は、最近のエアバスの超大型機ぐらいまでありませんでしたし、50万トンのタンカーなんてもう造らなくなった。溶鉱炉も石油コンビナートも大きくなくなり、多様化の時代に文明が一気に変わったのです。

 ところが日本は、その後もまだ高速化、大型化を志向し続けた。アメリカやヨーロッパが文明を転換をしている間に、日本はひたすら規格大量生産を続けた。だがら、その間の80年代に輸出が猛烈に伸びたわけです。欧米と日本の文明のズレが、一時の繁栄をもたらしたんです。これが1つの日本の頂点、戦後の頂点ですが、それでそれが行き過ぎてバブルになって大崩壊した。
あの日本の発展が欧米と日本の文明のズレに咲いた一時の徒花だとしたら悲しいですが、それが事実なのかもしれませんね。日本の実力以上に時代が上げ底してくれていただけなのでしょうか。だとすると我々は新しい時代に即した日本を作り直さねばなりません。その向かう方向も堺屋さんは指し示してくれています。
3度目の日本。それは、官僚制度ではなしに、本当の主権在民を実現する「楽しい日本」です。今、日本は「安全な日本」なんですよ。安全という意味では世界一安全です。だけど全然楽しくない。

 例えばお祭りをやろうとしても、リオのカーニバルなんかでは何人も死ぬんですよ。そんな行事がいっぱいある。アメリカの自動車レース「デイトナ500」なんかもそうでしょう。楽しみと安全とを天秤にかけて、多少は危険だけどこの楽しさは捨てられない、というのが外国にはあるんですよ。

 ところが日本は、どんなに楽しくても、少しでも危険があったらやめておけ、やめておけと、官僚が統制してしまう。それがマスコミや世間でも通っているんですよ。

 安全だけでいいなら、監獄に入ればいい。それでもみんな入りたがらないのは、監獄には幸福を追求する選択性がないからです。その意味で、今の日本はまるで監獄国家とも言えるほどです。その監獄国家から、幸福の追求ができる選択国家にしなきゃいけない。そうすると、ベンチャーを起こす冒険心も復活する。この官僚主導からいかにして逃れるかが、これからの2020年までの最大の問題なんですね。
この、”安全だけど、楽しくない国”という指摘は正しいと思います。やたらコンプライアンを重視して細かいルールで縛ることばかりに執着し、息苦しい国になってしまっていますよね。みんなが心のどこかで感じているんじゃないでしょうか。「この国は楽しくないよね」と。少子化も、メンタルに問題を抱える人が増えていることも、全部”楽しくない”という点に集約して説明できると思います。では我々はどうすればいいのか?

私は、みんなと同じであることをやめる、ということをオススメします。何かをするときに、やたら世間体を気にしていませんか? 自分がどうしたいかよりも、周囲がどう思うかを優先していませんか? 日本人は、人に嫌われることを恐れすぎなのだと思います。ムラ社会の同調圧力に負けてしまっているんです。

これは今後、日本に外国人が増えることで否応なく変わっていくのでしょう。行き過ぎた移民の受け入れは日本のカルチャーを破壊してしまう危険性もありますが、少子化を乗り切るにはもう移民に頼るしかないのが現実だと思います。仕方ないんですよ。身の回りに異文化の人が増えれば、必然的に同調圧力は弱まっていきます。世界はグローバル化するのが流れなのですから、日本だけが例外であり続けることは不可能。子供たちの世代には世間の空気が大きく変わっていることでしょう。

私たちが気持ちの持ち様を変えることはすぐにできます。楽しく生きることを意識する。気分が明るくなる、いい方向性だと思いますね。

令和への提言

こうあって欲しいということを幾つか考えてみる。

●ゾンビ企業の退場
 ジャパンディスプレイとか東芝とか三菱自動車とか、誰が見ても潰れてて当たり前の企業を国策で延命するのやめてほしい。こういう大企業が抱えている優秀な人材が市場に放出されたらもっと人が流動化するはず。日本に活気が生まれない一因は潰すべき企業を潰さないからだと思う。目先の痛みを恐れすぎて自分たちの首を絞めていることに気付くべき。大手志向が修正されて、もっとベンチャーに目を向ける若手が増えてほしい。

●教育コンテンツの動画活用
 ウチの息子が通っているN高は、全ての授業が一コマ5分程度の動画コンテンツ。ダラダラと40分の授業を聞いているよりも集中出来て頭に入ると言っています。生まれたときから動画に慣れ親しんだ世代の教育スタイルは、彼らが受け入れやすいメディアを使った方が絶対に効果的です。恐らく公立学校は導入が後手に回ると思うので、私立からでも率先して新しい教育コンテンツを試してみてほしい。親の側に古い先入観への固執があるので、新しいもの好きな家庭からどんどんチャレンジして先例を作って頂きたいです。

●金銭解雇の導入
 一定の金額を支払うことで自由に解雇できる仕組みを導入すること。これ、労働者にとって不利な仕組みと思われていますが、逆です。確かに解雇の恐れを抱くのは自然な感情なんですが、企業の手足を縛っても結果的に非正規雇用が増えるだけで雇用関係の安定化には繋がりません。一歩踏み込んで金銭解雇を導入すれば、企業側の正規雇用へのリスクが減ります。事業環境の変化やスキルとポジションのアンマッチで自由に人を入れ替えることができれば、正社員を雇用することにためらわなくなるのです。お互いにアンマッチな環境で長期間我慢するような関係こそ不健康です。労働市場の流動化が日本の一番の課題だと思います。

●規制緩和
 私は行政に頼ることが嫌いなのであまり政治に関心はないのですが、それでも政治にしかできない役割というものがあります。その筆頭が規制緩和。元々規制は市民の権利を守るために作られたものだと思いますが、時代が変化するにつれて古くなっているルールが沢山ある。それらをなるべく緩和して新しい競争環境を生み出すことが産業の活性化に繋がります。例えば、タクシー、旅行(ホテル)。UberやAirbnbみたいなシェアリングエコノミーの隆盛で効果が実証されているのに、いつまでも古い業界を変革できないのは明らかにマイナスです。フィンテックが重視されているのに金融業界も規制でがんじがらめですよね。仮想通貨などの新しい分野は一定のいかがわしさがつきまといますが、詐欺や背任などの明らかな違法行為だけを厳しく取り締まって、あまり手足を縛りすぎないことが業界の発展にプラスだと思います。不動産の対面説明義務とか、医療行為に対する制約も古すぎると感じます。(ここまで書いたところで「なぜ医療に市場原理は通用しないのか?」なんてBLOGを発見しました。医療分野に市場原理は本当に馴染まないのか、改めて考えてみたいと思います)

●判例主義への転換
 これは多分無理だろうなと思いながら挙げました。日本とドイツは成文法の国、イギリスとアメリカは判例法の国、という違いがあります。非常にざっくり書いてしまうと、何か新しいサービスが提供されるときに、前以て法律にどう該当するか判断して是非を決めてしまう(往々にしてできない理由が見つかる)日本と、とりあえずやってみて後から問題点を修正するアメリカの違いになります。変化の激しい現代ではアメリカ型の法令システムの方が新しいサービスを試すのに適しているんですよね。先に挙げたUberやAirbnbみたいな新サービスを取りあえず許容するアメリカと、いつまでも既存の法律に縛られて許可できない日本を比べて頂ければ分かりやすいと思います。日本の方が安全ですが、何をするにも時間が掛かる社会になってしまっていますよね。失敗の許容度が違う社会システムと言い換えてもいいかもしれません。失敗を許さない日本と許すアメリカの違いは大きいのです。

●(無目的な)延命治療の拒否
 昨年母を亡くしましたが、その過程で治療方法の選択を迫られました。諸事情で不本意ながらも胃ろう処置を施しましたが、私自身は絶対に選びたくないと痛感しました。これは私の個人的な主観ですが、自分自身で食べ物を摂取できなくなったら、それが寿命なのだと思います。寝たきりでただ死を待つだけの時間を延ばして何になるのか。本人も周りも辛いだけではないでしょうか。この寝たきり生活の時間とコストが読めないから、みんな無駄に老後の蓄えを心配して貯蓄に走る。いくら備えをしても老後の不安がなくならずに、人生を楽しむというモードになれないのではないですか。無駄な延命治療を拒否すると決めてしまえば、病院で過ごす時間はせいぜい二年程度。それなら必要な貯蓄も保険も計算が立ちます。最小限の備えだけして、あとはせっかくの人生の終幕を楽しんでしまえばいいのです。老人世代がもっと消費をするようになれば、今の不景気ムードは一変するのではないでしょうか。そして未来への明るい展望が描きやすくなれば、若い人のモチベーションも高くなり結婚や出産の機会も増えるはず。必要以上に将来への不安が高くてみんなが縮こまっているのが日本の沈滞ムードの根源である気がします。終活のコストを見切ってしまうことが不安解消の一番効果的な処方箋だと考えます。


私は日本という国が大好きで、国民性も社会も素晴らしいものがあると思っています。この国がこのまま老いて右肩下がりに衰退していくのを見ているのは辛い。私にも息子と娘がいますので、彼らによい置き土産がしたいのです。私たちに今すぐできる改善策って何でしょうか? 私は周りと同じであることに安心するのではなく、自分の頭で何がいいことなのか考えてリスクを取る姿勢を持つことが大事だと思います。「人の行く裏に道有り花の山」 少しのリスクで得られるものは大きいと思いますよ。チャレンジしましょう!

小林君のビジョン

最近の私の人に関する引きの強さには自分ながら恐ろしくなることがあります。戦略プランニングとマーケティングで入社してもらった馬頭さんの存在も大きいですが、よりインパクトがあったのはAIエンジニアの小林健生君が入社してくれたこと。彼の応募書類は永久保存ものなのですが、面接で初めて彼と会った時の印象も忘れられません。

正直に書けば、彼の第一印象は良くはありませんでした。何を考えているのか、表情から読み取れなかったからです。私は小林君に一つの質問をしました。「君は将来何をしたいの?」 至極まっとうで平凡な質問ですよね。しかしこの質問への回答がぶっ飛んでいました。小林君はこう答えたのです。「人類の寿命を延ばしたいです」

あなたが面接官なら、どう返事しますか。私は思わずその場で考え込んでしまいました。人類の寿命を延ばしたい。確かにそう言ったよな。まだ25歳であどけなさの残るこの若者は何者なのだろうか。はったりを言っているようには思えない。多分彼は本音で心からそう思っているのだろう。しかし人類の寿命を延ばしたいとは何とも壮大な話だ。この子はとんでもない大物なのだろうか。京都大学理学部卒業とある彼の経歴と目の前の表情を変えない彼の振るまいが、不思議な迫力でオーラを発しているのを感じました。小一時間ほどの面接を経て、当初抱いていた彼への違和感が消え、この子はとても純粋で優しい子なのかもしれないなと思えてきたんですよね。そして私は彼に懸けてみることにしました。

3月の頭から二ヶ月が経過しましたが、小林君の働きぶりは目覚ましいものがありました。合理的な思考に裏付けされた迷いのないアクションと、吸収力。常人の数倍のスピードでどんどんタスクをこなしてプロジェクトを前に進めていきます。正直、周囲が付いて行けていません。私は前職のサミットシステムサービス時代に多くの有能な中国人エンジニアと一緒に働きましたが、その当時のトップクラスのエンジニアと比べても全く遜色のない、いや凌駕していると言える能力の高さに惚れ惚れとしてしまいます。

いま私が感じているのは、小林君や馬頭さんを気持ちよく仕事に向かわせるだけの魅力のある環境を用意できるかどうか、自分が試されているんだなということです。彼らや他のスタッフに、ここに居ても面白くない、未来がないと思われないように、モチベーションを高く維持できる楽しい仕事を作り続けなければなりません。理想と現実のバランスを取る、なかなか高いハードルですよね。

しかし、人類の寿命を延ばしたい、とはなんと大きな志でしょうか。そしてその根底に他者への愛を感じます。自分の成功だけを願うなら、こんなビジョンを抱いたりはしないと思いますから。私が個人的に持っているビジョンよりはるかに大きな小林ビジョン、この実現に貢献できるならそれは私の大きな歓びになると思っています。

私が今思っているのは、どういう形でそのビジョンを実現するか。ただ難病を克服して寿命を延ばしても、老齢期の時間が増えるだけで私は嬉しくないと思うのです。私なりに考える良い寿命の延ばし方は、やはり人生の生き甲斐や充実感をより多く持てる生き方の実現にあると思います。昨日「ココ・シャネル」という映画を見ました。女性が苦しいコルセットに縛られて男の愛玩物扱いされていたのは、まだほんの100年ほど前のことなのです。技術進歩や社会制度の革新などよりも、人の頭の中の既成概念や先入観こそが発展の妨げ。タブーを破壊して、より自由で楽しく暮らせる世の中の実現こそが、私の目指すビジョンの到達点です。長く生きることよりも、どう生きるかということの方が大切なんじゃないかと私は考えています。これから何年小林君と一緒に働けるのか分かりませんが、ビジョンの実現に向けていい時間を過ごしたいですね。

平成を振り返って

令和元年が始まりました。私がリクルートに新卒で入社したのが平成元年4月のこと。思えば社会に出てからの殆どを平成という時代と共に過ごしたことになります。就職、転職、結婚、起業、離婚、再婚、出産、と人生のビッグイベントは全部平成に起きました。この30年、感慨深いものがあります。

日本経済について考えてみれば、バブル崩壊からずっと右肩下がりの低調な時代でした。一時はアメリカを追いこそうかという勢いだったのに、いまや一人当たりの名目GDPは世界27位(出典)。アメリカはともかく、オーストラリア・ドイツ・フランス・イギリスに負けているのはどうかと思います。どうしてこうなってしまったのか?

一つには生産性が高かった製造業を軒並み海外に移転させてしまったことが挙げられます。グローバル最適化を進める上で仕方なかったとは言え、その穴埋めをすべきサービス業が決定的に立ち上がりませんでした。その責はひとえにIT産業にあります。自動車を筆頭に製造業ではそれなりにキーテクノロジーを押さえてグローバルスタンダードを握れたのに、ことIT産業では軒並み失敗してしまいました。OS、CPUは言うまでもなく、近年は重要なプラットフォームを全てアメリカ起業に支配されてしまっています。まあそれは日本に限った話ではなく、GAFAはシリコンバレー特有のエコシステムが生み出したモンスターなので、どこの国もその追随に成功してはいません。トライ&エラーの圧倒的な数の多さと、数少ない成功者をスケールさせる育成システムの充実度が全く違うんですよね。では、日本はこれからどうすべきか?

まずは打席に立つ回数をふやすことですよね。起業家がもっと出てきて、チャレンジする風土を醸成しないとビジネスの種が生まれません。日本の開業率が低位安定しているようではダメですよね。(出典) 私が思うに、この原因の一番は親の教育姿勢にあります。恐らく未だに多くの親が子どもに安定した人生を望みます。不景気が長く続いて将来に夢が描きにくくなった世相を反映して、公務員志望の家庭が多いように見受けます。昔から安定志向の親は多かったのですが、アメリカでこれだけ起業意欲が高いのはやはり圧倒的な成功体験への憧れなのだと思うのです。上記の出典元にある通り、起業を後押しするのは
・起業に成功すれば社会的地位が得られる
・周囲に起業家がいる
という点が大きいと思います。つまり日本では企業を後押しする力が弱いのですね。

時代は令和に移りました。そろそろ失われた30年なんて後ろ向きなことを考えずに、もう一度明るい日本を取り戻すにはどうすればいいか、みんなで考えてみませんか。前向きに新しい提案と実行を始めるタイミングだと思うのです。日本が起業しにくい国だとは思いません。むしろ逆です。世界有数の経済大国なのに、日本語のカベに守られて海外の有力企業が参入しづらい特異な環境は起業に優位なんです。上場のためのハードルも低くて、アメリカ市場に比べるとはるかにローレベルでマザーズなんかにIPOできてしまいます。少しずつですが、CVCなんて仕組みも増えてきてベンチャーにリスクマネーが回り出しています。よほどの経済危機が訪れない限り世界のカネ余り傾向は続くでしょうから、今は起業家にとって”美味しい”時代なんですよね。官僚や古い既得権益職種(医者・弁護士・大企業)に就職するくらいなら、自分で一発当てにいった方がはるかに期待値も満足度も高い人生が送れるのです。仮に起業に失敗しても昔みたいに再起不能に陥ることもありません。銀行からの借金ではなく出資金を集めるスキームを使えば、何度でも再チャレンジは可能なのです。そして失敗した経験は必ず次に活きます。起業しない理由がむしろないのですが、そこを妨げるのは親の教育姿勢が大きいと私は感じています。

でもね、いまは全員がネットにアクセスできる時代。親の古い既成概念なんか、子どもはやすやすと越えていくんです。古い先入観に縛られずに、起業して成功していく実例を多く目にすれば、目ざとい子どもから順にチャレンジは増えていくのだと思います。だから私たち大人の世代は、チャレンジする姿勢を見せることが一番大事。そのプロセスを愉しんで、笑顔で過ごす姿を見せてあげることです。それが子供たちに明日への希望を持たせ、自信と勇気の源になるのだと私は信じます。

先のための準備や備えではなく、今を楽しむこと。笑顔で暮らすこと。やり切ること。他人の目を気にするより、自分の心の歓びを重視すること。それが令和を迎えるにあたって大事な心の持ち様なんじゃないでしょうか。人生を遊びましょう!

ドバイ訪問記

年度の変わり目だったのですが子供たちの春休みに合わせてドバイに行ってきました。初の中東訪問です。

発展中の国はどこもそうですが、インフラが大きくて新しい。ドバイ国際空港も関西国際空港の何倍あるんだろうという巨大さ。バゲージクレームポイントまでシャトルで移動して、この広さです。圧倒されますね。

初日はドバイモール。世界最大規模と言われる総店舗数1200の高級店が威容を誇ります。ブランド自体は日本でもお馴染みのものばかりなのですが、違うのはその品揃え。日本ではお目に掛かれないほど多種多様なアイテムが陳列され、それをアラブの民族衣装に身を包んだ王族と思われる富裕層顧客が爆買いしていきます。正直、日本人観光客は相手にされていませんw

二日目はタクシーをチャーターしてアブダビへ。シェイク・ザイード・モスクはまだ2007年にできたばかりの世界で6番目に大きなモスク。アラビアンナイトの世界ですね。

定番のデザートサファリにもオプションツアーで参加。使用車両は全てトヨタのランドクルーザー。ちなみにドバイの街中の日本車率は90%以上(私の主観です) 砂漠での故障は即命取りの環境ですから、信頼性の持つ重みが違うんでしょうね。

伝統的なドバイの商人街であるスークも訪ねました。最近はまず「チャイニーズ?」と呼びかけられる悲しさに日本人のプライドは傷つきますが、「チョットマテチョットマテオニイサン、オカチマチ」と何故か御徒町コールでしつこい客引き。こういうところに中東独特の面倒くさい面が出ます。あまり情をかけているとキリがないんですよね。カモられるだけです。

恐らくウケ狙いだけを考えた海上の人工島、パーム・ジュメイラ。わざわざ珊瑚礁を埋め立てて、高級ホテルとコンドミニアム専用の異次元アイランドを作ってしまっています。

そしてドバイの象徴であるブルジュ・ハリファ。高さ828m、206階建ての世界一のビルです。(ちなみに日本一のあべのハルカスは300m、60階です) 設計はアメリカの事務所で建設施行はサムスン物産です。

ドバイを訪問しての感想は明暗両方に分かれました。暗の方は、意外と行ってみたらショボかったという全体印象。ドバイは富裕層でごった返しているという勝手なイメージがありましたが、思ったほどは発展していませんでした。これなら深圳や上海の方が上だと思います。ビルの集積度はそれほどでもなく、街が横に細長いのでドバイモール周辺やフィナンシャルセンター、マリーナ地区など、複数に発展エリアが分散していて迫力に欠けます。街中で殆どスーパーカーを見かけなかったのも意外。これなら東京の方がはるかに多くの高級車が走っています。あと、食べ物中心にやたら物価が高いです。というか、今や日本がコストパフォーマンスのいい国になっちゃってるんですよね。そりゃインバウンドで爆買いしに来ますわ。

明の方は、インフラへの投資振り。これはもう日本の各施設が貧相に見える豪華さとスケールの大きさ。どうして日本の高速道路は2車線しかないんでしょうね。日本人はシステムの基本設計が苦手なのかと思ってしまいます。細部の仕込みは見事なんですけどね。石油が出ないドバイは、中東の経済発展のお手本。金融を中心に世界各国から投資を呼び込んで、まさに今成長中の国である迫力は感じました。集積度合いはまだまだですが、来年のドバイ万博を良い呼び水に街中凄い建設ラッシュではありました。来年以降に訪れればまた印象は変わるのかもしれません。

私は普段神戸におりますので、東京に行くたびに凄いなと規模感に圧倒されるんですが、海外に行くと更に上を行く発展振りに毎回驚かされます。日本だけを見ていちゃダメなんだな、世界視点でグローバルに考えないと、と気付かされるのです。コンタクトのビジョンは「ワールドクラスの事業を創り出す」です。まず思わなければ何も始まらない。志は大きく持つべき。そう再確認させられる良い機会でした。

アートに数字で裏付けする

経営はアートである。これは一面の真実で、どんなにもっともらしい理屈を寄せ集めても、成功するビジネスを創り出せるとは限りません。スタートアップが成功する時の要因として創業者の個人的なセンスが大きな要素として挙げられることに皆さんも同意されるでしょう。上手くいくときはそれでいいんですが、問題はスムーズに立ち上がらなかったときです。創業者の勘は概ね間違っていなくて、そこにビジネスチャンスは存在するんですが、上手にマーケットフィットが実現できていない。その時は速やかにビジネスモデルの修正が必要です。
失敗するスタートアップのサイクル:‬
起業目的で起業する

‪ 思い込み信じる‬
‪ ↓‬
‪ 自分が作りたいプロダクト作る‬
‪ ↓‬
ローンチする

‪ 見たい指標計測‬
‪ ↓‬
‪ 思い込み強化‬される
‪ ↓‬
‪ 誰も欲しがらないものできる

途方に暮れる‬

共同創業者が辞める
‪ ↓‬
‪ 金もやる気もBurn‬する

田所雅之さんのご指摘ですが、耳が痛いですねw 確かにありがちなんです。思い込みで創ること自体は仕方ない、だってどんなプロダクトも創業者の想いをカタチにしたものなのだから。問題はそのプロダクトがマーケットニーズからズレていた時です。立ち上げたプロダクトが最初からヒットすることばかりではないので、どこかでピボットすることはよくある話。どう賢く軌道修正できるかが、別れ目なんです。
成功するスタートアップのサイクル‬:
自ら起業しないと解決できない課題に出会う

‪ 冷静に課題仮説構築する‬
‪ ↓‬
‪ 一次情報獲得‬
‪ ↓‬
‪ 仮説検証‬
‪ ↓‬
‪ 他人が気づいてないインサイト発見‬
‪ ↓‬
あるべきUX/あるべき顧客の状態を考える

‪ MVPをリリース
‪ ↓‬
‪ 指標を因数分解し計測‬
‪ ↓‬
指標ベースにイテレーション/UX改善を継続

‪ PMF達成‬

このサイクルを実行するには、優れたアドバイザーが必要になります。創業者のアートを補完するマーケターの存在。これが普通は見つからないんですよね。例えるなら、USJを成功させた森岡毅さんみたいな人。数字に強くて、事実を客観的に見れる人。できれば創業者に柔らかく説明できるコミュニケーション能力に優れた人であればベスト。恐らく起業経験がないと創業者の胸に響かないと思います。そんな人をどうやって見つけるか。

実はいまは、気の利いたプロフェッショナル人材の紹介サービスがいくつもあるんです。完全に雇用するとなるとコストもかかりますから、まだ成功していないベンチャーには敷居が高い。しかし副業前提の短期支援モデルであれば、コストを抑えて、アドバイザーも現職に在籍しながらリスクを抑えたチャレンジの機会が得られるというwin-winの関係が得られます。ウチは既に良い人を正社員で抱えることに成功しましたが、アドバイスサービスも試してみるつもりです。近日ご報告させて頂きますね。

スピードを維持したまま、精度を上げる。これがベンチャーの成功に不可欠なのだと思っています。

事業開発パートナーという立ち位置

K.S.ロジャース

こちらの民輪さんはCARZYのCTOを引き受けて頂いています。今日の午前中のスプリントミーティングで民輪さんの今後の事業プランを尋ねたところ、自社サービスの開発と、事業開発パートナーという立ち位置を追求したいと。なるほど。さすが目線が高いですね! 正直なところ、私は楽らクラウド社について目先の売上を上げるために受託開発スタイルへの移行しか考えていませんでした。それでも普通のSES会社が派遣でピンはねビジネスに甘んじていることからすると大きな飛躍なのですが、事業開発パートナーは更に斜め上を行きます。

事業開発パートナーとは何か? つまり新規事業を志す新興スタートアップとがっぷり四つに組んで、リスクを負ったビジネスパートナーとして立ち上げの苦労を共にするということです。そこに求められるのはただの開発会社ではなく、あるときは戦略コンサルティングであり、資金調達アドバイザーであり、共同出資者であることもあるでしょう。相応のリスクを負う覚悟とハイエンドなスキル提供が求められます。

そこで大事なのは事業の立ち上げ経験、特に成功した実績ですよね。どれだけ美辞麗句を並び立てても、一定のスケールに事業を成長させた裏付けがなければ言葉に説得力は出ません。その意味では私にある材料はおちゃのこネットの実績とCARZYの立ち上げ経験。まだまだインパクトはありませんね。当面CARZYの立ち上げに全力を注ぎますが、必ず成果を出して、次のステージは後進の育成にかかりたいのです。立ち止まっている暇はありません。

「起業の科学」

起業の科学

Amazonで経営戦略カテゴリーの70週連続ベストセラーだそうです。もしまだお読みでなければ、ご一読をオススメします。

起業セミナー&オフィス見学会「スタートアップを成功させる7つのポイント」

こちらで田所さんに直接尋ねましたので間違いないと思いますが、私は経営はアートだと思っています。田所さんもそこは同意で、本書で実現したかったのは95%の失敗を未然に取り除くこと。しかしそれはそのまま残り5%の成功を導くものではないのです。最終的には、起業家の勘とセンスに依存する、それがスタートアップの世界です。

どんなアイデアを採用するか、誰と組むか、どこから手を付けるか、全てがクリティカルで答えのないテーマです。いくら望んでも目の前の手の届くところに解決の選択肢があるとは限らない。リソースを充分確保しようと考えるから、大企業はスピードで勝てないのです。拙速でも意志決定の速度で勝っていくしかスタートアップに勝ち目はない。その現場でいちいち数字の裏付けを取っていては間に合わない事も多いのです。だから最後にモノを言うのは、経営者の勘なんです。勘とは永年の経験とインプットから総合的に導かれるその人のエッセンス。それが外れている、質が低いということになれば、その起業家にはセンスがないのです。

私にそのセンスがあるのかないのか。答えを出すために用意された時間はそれほど多くはありません。今年一年が勝負です。

ヒト、モノ、カネ、そして情報

昔から経営資源を、ヒト・モノ・カネ、の三つだと表現します。しかしながら、モノ、つまり設備はアウトソーシングで間に合う時代。そして、カネ、は余っているご時世です。そして圧倒的に足りないのは、ヒト、なんですよね。ですから今マネージメント対象としてフォーカスすべきは、ヒトに尽きると思います。実は経営資源としてもう一つ重要な要素があると思っています。四つ目の資源、それは情報です。

あなたは今、何らかのミッションを会社から与えられていると思います。会社全体の経営目標から事業別、部門別に細分化され、最終的には個人単位で短期の目標が与えられます。恐らく、そのミッションが設定された時点では、ちゃんとした説明があったと思います。何のためにそれをやるのか、いつまでにどういうカタチにすることを求められているのか、具体的にどう実現するのか、どれだけのリソースを使っていいのか、成果を図る物指しをどう設定するのか、などなど。しかしながら経営環境は変化します。外部要因で変わることもあるし、社内事情で変更を余儀なくされることもある。問題は、この時にちゃんと説明と指示が的確になされているか、です。

会社によって、経営者によって、マネージャーによって、マネージメントスタイルは様々です。そこをあえて乱暴に分類するなら、オープン型とクローズ型に分かれる気がします。もしくはケースによって使い分けるか。つまりデリケートな情報、例えば人事、事業のM&A、撤退、などはコトが決まる前に話が漏れると大抵の場合は計画が頓挫します。ですから確定する前までは最小限のメンバーに情報共有をとどめ、場合によっては経営者が一人で決断します。テーマの大小に関わらず、殆どの事柄を内密に決める経営者も多いかもしれません。しかし、私は違います。

徹底的にオープン志向なのが私のスタイルです。過去を振り返って、殆どの意志決定を事前に社内でオープンしています。勿論必ずしも全員の同意を取っているわけではありません。そんなことをしていたら意志決定が進みませんから、最終的にはトップダウンで決めるべきだと思っています。でも、ある程度の情報収集は必ずするし、その時その時のキーマンに相談はしています。そして、意志決定をしたら、その決定に至る背景と狙い、今後の予定、進捗状況の報告、などをかなり細かく日常的にオープンに報告しています。概ね社内の日報に書くことが多いですが、急ぎの連絡は都度SlackやMessengerでしますし、24時間以内には何らかのカタチで共有しています。私的には今まで普通のことと思っていましたが、実はこれはレアな手法かもしれません。社内でオープンにしていない情報って、多分社員個別の給与額だけだと思います。他は基本的に全部オープン。社内に隠しごとはなんて無いし、あってはいけないと思っています。

このやり方でどの人数規模まで通用するのかは分かりません。ただ、楽らクラウド社を経営するようになって一気に社員が20名程増えました。それも神戸から離れた東京で、現場に散らばって仕事をしているメンバーです。従来のおちゃのこネットとCARZYの開発だって社外の協力エンジニアさんたちが結構な数いらっしゃいますから、オフィスでフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションだけで用が足りる状況では既にないんですけどね。顔を合わせて一対一の面談を重視している私ですが、やはり東京のメンバーと個別に時間を取るのはなかなか厳しい。そこはオンラインのコミュニケーションで補っていくしかないと思うのです。つまり、情報こそが第四の経営資源として重要ということなのです。

オープン型とクローズ型、これは経営者のタイプにもよると思います。私みたいに開けっぴろげな性格の人は少ないのかもしれません。それでも、多くの経営者さんにオープンであることのメリットをお伝えしていきたいと思っています。だって、逆の立場なら、色んなことを知っていたいと思うから。メッキはいつか必ず剥げます。地金を鍛えるしかないんですよ。

トップダウンのススメ

ある人に「トップダウンで意思決定できるのはオーナー経営者の特権ですよ。社員が100名超える規模になると現場が見えにくくなって直接判断できなくなるし、サラリーマン社長にはなかなか取れないスタイルなんです。ある意味、武器ですよ」と言われました。なるほど。ここ、私の中で少し迷いがありました。

自分だけで正しい答えを出しきる自信が持てなかったので、可能な限りメンバーに議論に参加してもらって着地点のコンセンサスを取りたいと思っていたんですよね。しかし議論に関わる人数が増えるほど結論がセーフティで冒険しないものになりがちですよ、という指摘には頷かせられました。リスクを取れるのは、結局経営者だけなんですよね。そこの荷物を軽くしようと思っても、メンバーに背負わせるわけにはいかないのです。

仮に意思決定が間違っていてもいい。その時の修正スピードが早ければいずれ正しい方角に進むはず。決めれないことこそが最大の誤り、と聞いて少し気が楽になりました。振り返れば過去ずっと最終的な意思決定は自分で下してきたんですけどね。メンバーにやらされ感がありはしないか、当事者意識を持って取り組んでくれるのだろうかという心配をしすぎて、遠慮するマインドになっていたのかなと反省しました。

特に日本ではコンセンサス形成型の意思決定プロセスが重視されるので、個人がトップダウンでものごとを決めるということに慣れていないんですよね。しかしどんな手順を取ったにせよ、結果に対する責任は経営者が独りで背負うもの。であれば、可能な限り判断のための材料は拾った上で、最後は自分で決める。そこの覚悟を決めて腹を括らないと経営者は務まりません。孤独ではありますが、その分成果が出たときの喜びも一入。勇気を持って前に進みましょう。