規制の弊害

新サービスの準備のために、金融系の会社に相談を持ちかけています。これがなかなか話が進まないんですよね…。正直困っていますが、何とか突破したいとあれこれ考えて工夫しています。

規制はそもそも消費者保護が目的で作られるもの。その意義そのものには私も依存ありません。例えば、いま騒ぎになっているコインチェック騒動。お金を預かる金融機関の管理体制があんなにザルでは、消費者は安心してサービスを利用できません。法律の縛りと監督官庁のチェックは必要なことだと思います。同じことは、色んな業界に存在します。医療・製薬・食品・法曹・税務会計・製造業、ある意味全ての業界は何らかの規制を受けていると言えますね。

問題は、環境が変化してその規制が古くなった時です。明らかなビジネスチャンスが生まれているのに、規制が縛りとなってそのチャンスを活かせない。これは結局のところ、サービスの受け手である国民の損失です。インターネットなんてものが影も形もなかった頃に作られた法律が、様々な企業活動の妨げになっているのは自明ですよね。

では何でも規制緩和すればいいのかと言えば、そうでもないのが難しいところ。そもそも規制が生まれた原点である消費者保護という役割は、新しい環境下でも必要なことであることに変わりはありません。ここに起業家が必要とされる理由があります。新しい技術の登場を背景に、既存の法律や規制のすき間を探して新しいサービスを提供する。その状況をみて、規制が現状追認の形で改正される。

ここで皆さんにお考え頂きたいのは、この流れを実現するためには、起業家がどこかで既存の規制をかいくぐる提案をすることが必要だということです。いわゆる、グレーなサービスの開発です。しかしこれはなかなかリスキーな面があり、起業家が法令違反を問われることになるとそのリスクを負う者がいなくなってしまいます。世のベンチャーはどうやって規制を突破しているのでしょうか。

実はこの問題の背景には、各国の法令が寄って立つ法的概念の違いがあります。いつもいつもベンチャーがアメリカから起こるのには、理由があるのです。それは、日本が成文法の国であり、アメリカが判例法の国であることに起因するところがあるいうことです。

成文法
判例法(コモン・ロー)

おおまかな分類ですが、日本・ドイツ・フランスは成文法の国、アメリカ・イギリスは判例法の国、と言えるということです。これ、何となく直感的に納得いきませんか。

日本では、あるベンチャービジネスを考えた時、これが既存の法律でどう解釈されるか考えます。普通は何らかの既存の法律で規制されていると判断されるため、法的なリスクを負うことを避ける圧力が強く働きます。対してアメリカでは、グレーゾーンのサービスをまずやってみて、後からその新サービスに対する法的な解釈を待つことができる。これがUberやAirbnbなどのシェアリングサービスがアメリカで広まって日本で規制される大きな理由です。勿論、アメリカのベンチャーエコシステムが健全に機能していて、起業家とベンチャーキャピタルがどんどん新しいサービスを生み出す母体になっているのも事実です。しかし、日本で同じようなアイデアやチャレンジが全くないわけではないのです。多くの起業家は新規サービスのアイデアを持ちながらも、その法的なリスクの前に泣く泣く諦めているケースが多いんじゃないかと思います。

こうなると話の根っこは深くて深刻です。日本の法体系がすぐに大きく変わることは期待できないでしょうから、当面は英米の後追いに甘んじるしかないということになります。事実として多くの日本のベンチャーはアメリカでの先行事例を日本に遅れて導入するタイムマシン経営で大きくなってきたという実態もありますから、日本語という特殊なカベに守られて楽をしている面も否めません。ただ、これだけ情報が世界に瞬時に波及するネット社会では、与えられる時差は短くなるばかり。それに永遠に他国の後追いを続けるというのも愉快なことではありません。

本当にチャレンジングなサービスは、日本に拠点を置く日本企業でも、日本を飛び越えて最初からワールドマーケット向けに展開することを想定する。そんな時代になっていくのかもしれませんね。息子達の目には私の常識は古いものに映るのでしょう。私は次世代によい環境を引き継ぐべく、新時代の尖兵でありたいと思っています。