老害

下記は少し前にFacebookに投稿したものです。
私は常に新しいものを評価するようにしています。単純に新しいものが好きということもありますが、自分が毎年歳を重ねるにつれ、老害と言われる年代に差し掛かりつつある自覚があるからでもあります。誰しもがいつの間にか自分の体験の枠から出ることを避け、価値観が固定化されていきます。それは致し方ないことではあるのですが、周囲の環境、時代背景は必ず変化します。進取の気性を失った時、人も会社も老いるのだと思います。私は常に瑞々しさを失わない活力に満ちた会社であり続けたいと思うのです。



新しいモノやサービスは使ってみる、提案に耳を傾ける、人の話はまず聞いてみる。そういうことを大事にしていきたい。それが誕生日を迎えるにあたっての抱負です。来週、51歳になります。目標の期限まで、あと19年。
若い社会人やスタッフ、思春期の息子とぶつかる度に、これがジェネレーションギャップというやつかも知れないなと感じます。怖くなります。自分が忌み嫌っていた頭の固い老害に自分が陥っているのかと思うと、自分の判断に自信が持てなくなります。だからこそ、人の話に耳を傾ける姿勢は絶対になくしてはならないと自分に言い聞かせています。



しかし、ものごとは誰かが責任を取らねばなりません。多数決で会社を運営していくことは出来ないと思っています。どんなに大きな組織でも、最後は個人が主体的に判断して決断する。それが当然だと思います。私に出来るのは、可能な限り衆知を集めて最善の決定を下すこと。それしかありません。本当に自信が持てなくなった時が、引退の時です。
"Here lies one who knew how to get around him men who were cleverer than himself."(Andrew Carnegie)