メディアの発達がもたらすもの



伊藤さんのBLOGにこんな記事があったので、私なりの考察を。



世の中の学問は大きく人文・社会科学(いわゆる文系)と自然科学(いわゆる理系)に分類されると思います。

私が思うに、人類の発展・発達はおおよそ自然科学の発達によるものです。

つまり、紙に書いて知識を蓄積として残せる学問は必ず積み上げがありますが、片や人間の心の問題は紀元前の時代と何ら変わっていないと思えるのです。



かなり昔読んだ竹村健一氏の著書を思い出しました。

「ここまで来たインターネットビジネス最前線:すべては「マクルーハンの法則」にあった」

何と1997年の著作ですが、今読み返しても全く古さを感じません。

竹村健一氏はパイプをくわえた変なオジサンというイメージかも知れませんが、常識をリセットして考えられる異能の人です。

竹村氏が真っ先に日本に紹介したのがマーシャル・マクルーハン。

こちらも異能の天才文明論学者です。

マクルーハンの偉大さを証明する一文をご紹介。

青春も恋愛も原始時代にはなかったことだ。そもそも原始時代の人間は、成長して生殖能力が備わると、さっさと異性にアタックしたではないか。

 恋愛とか青春などという厄介なものが登場したのは、まさに活字文明社会においてである。これは、ブラジルの奥地などに生活する文字文化を持たないインディオの生活を観察することによっても証明できる。

 活字文明が生まれ、書物を読むようになって、たしかに人間は進歩したと言える。だが、すべてが長所ばかりではない。活字文明の顕著な弊害は行動力を奪う点にある。だから、頭の中で考えてばかりで、実際の恋愛感情をなかなか行動に移せないという青春期は、活字文明特有のものなのである。

 したがって、活字文明が終わり、電波(電子)メディア文明の時代になれば、必然的に活字時代の青春や思春期もなくなる。原始時代と同じように、人間は子供からいきなり大人にステップ・アップする。同時に、過渡期としての青春時代も消滅する。



これを受けて竹村氏は、「だから援助交際はなくならない。彼女らにもっと少女らしく、と言っても仕方がない。お説教をするなら、いい大人の女はそんなことをしない、と言うべきだ。」と分かり易い例えをしています。



明治初期に鉄道の開通を拒んでその後の発展から取り残された街のごとく、メディアの発達は社会の行動様式を根本から変革してしまいます。

人の心は進歩しませんが、取り巻く環境はいやおうなく進化するのです。

大変革に立ち会えている我々のポジションをラッキーだと思いますね。



本書はご一読をオススメします。