2050年の日本

2050年の世界 英『エコノミスト』誌は予測する



最近、日本の未来が凄く気になるんですよ。年ですかね?(笑) 2050年の日本の状況は、このまま普通に進めばこのエントリーの予想に近い状況になるのでしょうね。さすがに年金が今と同水準で給付されているとは思えませんし、定年延長と再雇用機会の創出でもう少し現役世代の負担は減らせると思います。しかし根本的な日本という国の制度設計をやり直さないと、活力が出て来るわけがありません。



その意味では、アメリカという国は凄いです。バッサリと切るところは切り捨てて、伸びる要素を最大限に後押しする。自助努力を重んじる価値観を第一に、新陳代謝を促進する社会システム。確かに2050年でも2100年でも、大国の地位をキープしているでしょうね。



風雲児・電気自動車のテスラ…次のどんでん返しは?



自動車産業って枯れつつある成熟分野なんですけど、アメリカではこんな企業が生まれちゃったりします。その創業者のパーソナリティを知ると、いかにアメリカのベンチャー市場がリスクを取っているか分かります。大いなるカジノスタイル経済なんですね。張ってる金額も、リターンもデカい。賭場や貸し越しする資金窓口が整備されていて、世界中から一攫千金を目指してすばしっこいヤツが集まってくる。こんな場所は他にありませんし、真似も出来ません。



日本の立ち位置は? まあ、肉食君の隣にいる気の良い草食君ポジションなんでしょう。頭が良くて気が利く草食君なら、食い散らかそうとも思われないでしょうから、それなりに大事にされるのでは?(笑)

アジア地域の成長はどこまで続くか

日経新聞に、インドの自動車市場に伸び悩み傾向が見られる旨の記述がありました。最近中国も成長速度に陰りが出ていますし、世界の成長セクターと見られてきたアジア地域にもそろそろ成長の限界が見えてきた気がします。



確かに発展途上国である各国が、グローバル化の恩恵を受けて経済発展するのは自然な流れです。しかし、日本が戦後に遂げた高度成長と同じ成果を得られるのかと問われれば、それは大いに疑問だと思うのです。確かにシンガポールレベルの小国であれば、気の利いた為政者の政策で軟着陸出来るかも知れません。しかし、中国・インドクラスの大国にそれが可能なのでしょうか。日本は、明治維新の前から既に世界に冠たる経済活動と高い教育水準を実現していました。いわば、先進国としての基盤が既にあったのです。産業革命による先端の工業技術を導入するだけであっというまに世界の列強に仲間入りしたことは、白人中心の西洋社会には驚きでも私には当然の結果に思えます。



中国の政治体制がいびつである事は周知の事実です。資本主義経済と、一党独裁体制はどう考えても馴染まない。中国共産党の腕力でなんとか押さえ込んではいますが、いずれ民主化プロセスを経なければならないでしょう。その過程を混乱無しに乗り切れるのか、はなはだ疑問です。インドも同様に格差社会の矛盾を抱えています。30年現地に馴染む努力をしてきて成果を出したはずのスズキでさえ、暴動を押さえられないのが事実です。両国共に、本当の先進国への道は多くの人が考えるより困難な気がします。



イス取りゲームに乗り遅れまいと、各国の企業がブルーオーシャンを目指してアジア地域に進出しています。先行したシンガポール・香港、更にはマレーシア・タイ・インドネシア・ベトナム・ミャンマーetc.。確かにあるレベルまでの発展は約束されていると思いますが、あまり将来にバラ色の期待を掛けるのはどうなのでしょうか。今の時代、中間段階への発展はある意味簡単なんですよね。資本を入れて、水道や道路や鉄道や通信などの社会インフラを整備し、街をモノで満たしてやれば良い。一番変化しにくいのは、人の頭の中です。一度植え付けられた価値観や趣味・嗜好は、後から変えることは困難です。結局下の世代に世代交代する事でしか人の行動が変わらないなら、国全体の成熟に時間が掛かるのは当たり前なのです。中間段階の発展から、本当の先進国になるために必要なステップ、民主化や人権意識や無形の創造物に対する権利保護意識などを身に付けるのは簡単ではないと思います。



アジア向けのビジネスプランは、長期的なタイムスケジュールに基づいて立てないとダメなんじゃないでしょうか。30年、50年経っても、日本レベルに到達する国はあるのかな? 良い方に見通しが外れてくれれば、それはHappyな事なんですけど。

履歴書の書き方

立場上、沢山の履歴書を読んできました。そして、履歴書の情報だけで沢山の人をお断りもしてきました。面接に辿り着ける方、辿り着けない方。その違いはどこにあるのか、少しまとめてみましょう。



1.字の汚い方

 日常生活で、文字を手書きするシーンは本当に少なくなりましたね。年賀状の一言コメントくらいでしょうか。それでも履歴書は手書きで提出するもの、という不文律があります。それは何故か。やはりそこにその人の人柄、人間性が出るからです。書類の受け手が最初に目にするもの。それは封筒の宛名・差出人欄です。ここで半分くらいは却下したい気持ちになります。どうして丁寧な字を心掛けないのか。下手でも、丁寧に書こうとしているか走り書きかは一目で分かります。過去、雑な字で採用に至った人は一人もいません。面倒だと思う人は、数を減らして、一つの応募先にもっと神経を集中すべきです。



2.ストーリーが見えてこない方

 卒業した学校と、最初の就職先。そして辞めた理由と、次の転職先の選び方。ウチへの応募理由。ここに繋がりが感じられない方が多いです。これは生き方そのものである事も多いので小手先のテクニックで飾ることは出来ませんが、やはり過去の自分の経歴やスキルをよく吟味して、自分が活かせると思える応募先を選ぶべきです。この人はちゃんと吟味して応募しているのか、片っ端から手当たり次第書類を送っているだけなのか、選考者はよく分かっているものです。一貫した柱がある方には会ってみたくなります。



3.辞め方

 一番履歴書に書きにくいのが、前職を辞めた理由でしょうね。そして、ここが一番気になる点でもあります。最近は短い期間で転職を繰り返す人が多いですが、そういう人は選考しません。同じ事の繰り返しになる事が容易に想像出来るからです。正当な理由無しに、簡単に辞職してはいけません。正当な理由があるなら、それを思い切って明らかにしましょう。あなたの人間性が最も表れるポイントです。前職をけなすのは、別れた恋人をけなす事と同様に、あなた自身の価値を下げる行為だと認識しましょう。



4.応募理由

 実は、どうして応募したのか、という理由が不明確な方が多いのです。今はネットがある時代。恐らく多数の経営者が、BLOGなりtwitterなりFacebookなりを使っているでしょう。そこを少し時間を取って読んでみて下さい。共感出来ない経営者の会社に応募する気にはならないでしょう。お互い時間の節約になりますよ。応募する会社や経営者のイメージを想像して、そこで働く自分の姿を描いてみて下さい。波長の合う相手というのは、思ったより少ないものです。これは、と思う会社には、気の利いた応募理由が見つかるはずです。



恐らく上記のポイントを突破して面接に至るのは1/10以下なのではないでしょうか。履歴書を沢山送っている人は、やり方を見直して、一つのアクションの精度を上げる努力をしましょう。あなたが思っている以上に人事担当者が受け取る応募は多いものなのですから。