英会話レッスン、スタート

先日お書きした英会話レッスン、始めてみました。例の「ネイティブ先生.com」で見つけた先生と体験レッスンをしまして、日本人の先生とネイティブの先生の二人と、それぞれ週に一度レッスンの日程を組みました。いきなりネイティブの先生とだけレッスンを組むと、やはり会話が続かなくて苦しいんですよ。で、日本人の先生とだとどうしても日本語に頼ってしまう部分があって、甘えてしまう。両方でスタートして、こちらの習熟度次第でネイティブ先生中心に切り替えていくのが良いかな、なんて思ってます。



今週前半に香港に出張に行ったんですが、先方が広東語なので、日本語−広東語の通訳さんを雇いました。ただ、ミーティングが始まってしまうと、どうしても通訳さんがWeb業界に詳しくないので伝えきれない部分が出てきてしまいます。焦れったくなって、カタコトの英語で私が直接先方とやり取りを始めたんですが、やっぱりこの方がコミュニケーション出来たりするんですよね。語学力よりも、伝えるべきコンテンツを持っているかどうかが大事なんですね。まあこんなシーンがしょっちゅうあるわけでもないんですけど、人間幾つになっても勉強する姿勢は持たないとダメだな、なんて感じてる部分もあり、今回の英会話トライに結びつきました。継続して、地力を上げたいと思います。

iOS6の満足度が低下

iOS 6はiOSの歴史上始めて顧客満足度が前よりも落ちる–やはり地図か



まあそりゃ満足度も下がるでしょうね、あの地図では。特に海外に出掛けると、土地勘のない場所での地図の精度は影響度が大きいのです。AppleとGoogleのビジネス上の事情は理解出来るけど、ユーザーとしてはそんなの関係無いもんね。Appleにとって致命的なのは”魔法を解いてしまう”こと。せっかくの製品への強烈なロイヤリティを捨てているんですよね。多くのユーザーが冷静になってしまった今、次の機種変更時には多くの候補とiPhoneを比べることでしょう。何も考えずに新しいiPhoneに飛び付いていた人々を取り返せるかは、今後のAppleの努力次第。あんまりお高くとまってると、あの恐ろしい暗黒期がまたやってくるかもよ。

香港、AsiaPay社訪問

月曜の夜から香港に出張して、AsiaPay社を訪問してきました。我々のようなショッピングカートサービスには決済機能が必須なのですが、アジア圏各国に対応した良いサービスが意外とないのです。有名どころのサービスは大抵アメリカの会社で、アメリカのマーチャントしか相手にしていません。海外企業に門戸を開いている会社も、イギリスあたりに法人登記を要求される事が多いんです。イマドキはそういう特定用途のためのペーパーカンパニーを安く設立してくれるサービスなんかもありますけど、面倒ですよね。その点AsiaPay社は香港・シンガポール・中国・台湾・タイ・ベトナム・マレーシア・フィリピン・インドに拠点展開しており、各国のマーチャントと契約することができます。こういう会社はなかなか無いのです。唯一対抗馬として有力なのはPayPalなんですが、これは独特のUIがリテラシーに低い消費者にとってハードルが高いという問題があり、PayPalしか選択肢がないというのはマズいと思っていたんですよね。AsiaPay社はそこを補完してくれる大変優秀なパートナーです。



日本市場が成熟していて伸び代に乏しいのは皆が認めるところ。成長を求めるなら、何らかの形で海外に出て行くことが必要です。実店舗を構えるのは大変ですが、そこはネットショップならではのフットワークの軽さを発揮すべき場面ですからチャンスなんじゃないでしょうか。我々は今後アジアマーケットにフォーカスして行きたいと思っています。



<追記>

そうそう、香港の事情についてお書きするのを忘れていました。メディアであれこれ取り沙汰されるとご心配になる向きもおありでしょうが、少なくとも香港の治安は全く問題ありませんでした。現地の人に今回の日中トラブルの話をすると「香港を中国と一緒にするな。あれは人気の無い政治家のパフォーマンスだ。市民はそもそも政治に関心など無く、頭にあるのは経済の事だけだ」と笑っていました。嫌な思いは一度もしませんでしたし、往復のキャセイパシフィック航空は満席でした。

CARZY Live KOB 2012を開催しました

週末9/22(土)に、神戸市立森林植物園にて「CARZY Live KOB 2012」を開催しました。当日会場にお越し下さった皆さん、本当にありがとうございました! 今回のテーマは「ドアを上げていこう!」というわけで、ガルウィング車の特集でした。ガルウィングって分かります? 昔石原裕次郎が乗っていたベンツ(古っ!)みたいにドアがガバッと横から開くヤツです。カモメの翼みたいなのでガル(gull)ウィングと呼ぶんですね。実はこれ、高級外車だけの専売特許じゃありませんでして、昔は国産車にもガルウィングを採用したクルマがあったんですよ。トヨタのセラとか、マツダのAZ-1なんてクルマがあったんです。昔は遊び心があったんですね〜 で、土曜日はちゃんとそういうクルマ達が集まってくれました! なかなかこういうのを見る機会はないと思いますので、ご来場頂いた方はお楽しみ頂けたんじゃないかと思います。



実はウチのクルマイベント、クルマにあまり興味がない方もお楽しみ頂けるんですよ。会場はどこも芝生広場をご用意しています。ここをピクニックの場として使って頂いて、キャンピングテーブルとチェアを持ち込んで、ご家族でのんびりして頂く。これも正しいご参加方法だと思っています。恒例のビンゴ大会では結構良い賞品をご用意していますので、参加費の元は取れてると思います♪ 来月は、10/13(土)に富士、翌週の10/20(土)には鳥栖でも開催致しますので、是非お気軽にお越し下さい!



当日の写真を整理していて、皆さんの笑顔が本当に良いんですよね。ヒトが笑ってる写真って、本当に良いなあ〜なんて、独りで和んでました♪ ネットも良いけど、やっぱり最後は人は対面で会話して、触れあって、ホンモノのコミュニケーションが取れると思います。リアルイベント、大事にしていきたいです! 当日の様子をご覧になりたい方はこちらへ。次回は会場でお目に掛かりましょう!

9/22(土)はCARZY Live KOBへ!

いよいよ今週末は神戸でCARZY Live!です。春に名古屋で開催はしましたが、地元での第一回目。沢山の方に遊びに来て頂きたいですね。幸いお天気も良さそうなので、ピクニック代わりにいらして下さい。お待ちしています!



CARZY Live!

地図を作る難しさ

iOS6の地図が酷いと話題になっています。確かに酷い…。しかしこれは如何に優れた地図を作るのが難しいかということを現しています。ウチはずっとカーナビ専門店を営んでいるのですが、初期の頃はやはり各メーカー毎に地図の差が大きかったです。そもそも地図の基礎データを持っている企業は限られており、日本だとゼンリン・昭文社の二社だけです。(恐らく…) で、カーナビメーカーはその基礎データにそれぞれ独自データを載せて拡張しており、それが各社の差別化ポイントになっています。抜け道ルートとか、観光地情報とか、各種施設情報がそれですね。インクリメントP社はパイオニアの100%子会社なのですが、カロッツェリアブランドのカーナビは業界トップリーダーでありながら、その地図の精度が悪くて悪評でした。近年はゼンリンベースに切り替えて払拭してますけどね。今のカーナビメーカーがどんな地図を使っているかと言うと、ゼンリンを拡張したトヨタマップマスター仕様なんですね。やはりお金を持っている企業(トヨタ)はちゃんと大事なところに投資してるんですよ。



なので、iOS6の地図がインクリメントP社の提供と聞いた時に嫌な気はしたんです。実物を見てやはり、とガッカリしました。Google Mapだってベースはゼンリンでしょうから、対抗したいならどうしてゼンリンを採用しなかったのかな。iOS6の地図はTomTomとの共同開発らしいので、その辺りの事情でしょうか。どうやらGoogleは早期にiOS向けのGoogle Mapを提供するつもりらしいので、それを待ちましょう。今回分かったのは、地図が如何に大事で、難しいものかという事。全国を歩いてデータ集めてるゼンリンさんに感謝ですな。

鄧小平

鄧小平(Wikipedia)



日中関係が緊迫している中で、中国首脳部の人柄や背景などを理解したいなと思い、まずは今の中国の骨格を作った鄧小平からでしょう、という事でWikipediaを見てみました。
1904年、四川省広安県の裕福な客家系地主の家庭に生まれる。

1920年、16歳のときにフランスに留学する。

ちなみに鄧小平は16歳で故郷を出た後、死ぬまで一度も帰郷することはなかった。

鄧が留学した時代、フランスは第一次世界大戦直後の不景気だったため、パリから遠く離れた市立中等校に入学して節約に励むが、生活費を稼ぐため半年で学校を辞めてしまう。鉄鋼工場員、レストランのボーイ、清掃夫など、職を転々と変えながらも堅実に貯金して、1922年10月に再び田舎町の市立中等学校に入学して3か月間学んだのち、パリ近郊のルノーの自動車工場で仕上げ工員として勤務する。

フランス留学中の1922年に中国少年共産党に入党し、機関誌の作成を担当。「ガリ版博士」とあだ名される。1925年、中国共産党ヨーロッパ支部の指導者となり、フランス政府に危険分子と見なされ、フランスでの居心地が悪くなり、1926年、モスクワに渡り、東方勤労者共産大学・モスクワ中山大学で共産主義を学ぶ。鄧小平がパリを出発した数時間後、フランスの警察が鄧小平のアパートを捜査に入り、10日後に国外追放令を出されていた。
この辺りの幼少期の家庭事情とか、人格形成に大きな影響を与えたであろう青年期の過ごし方に興味を引かれますね。早くにフランスに留学した経験を持ち、それも貧乏しながらの苦学生で、いわゆるエリートではない経験を沢山積んでいます。
1927年に帰国し、ゲリラ活動を開始。

しかしコミンテルンの指令に忠実なソ連留学組が多数派を占める党指導部は、農村でのゲリラ戦を重視する毛沢東路線に従う鄧小平を失脚させる。
これが鄧小平27歳の時の第一回目の失脚です。
1935年、周恩来の助力で中央秘書長に復帰

1955年4月、第7期党中央委員会第5回全体会議(第7期5中全会)において中央政治局委員に選出。さらに1956年の第8期1中全会で党中央政治局常務委員に選出

1957年には総書記として反右派闘争の指揮を取る。

部分的に農家に自主的な生産を認めるなどの調整政策がとられ、一定の成果を挙げていったが、毛沢東はこれを「革命の否定」と捉えた。

結果、文化大革命の勃発以降は「劉少奇に次ぐ党内第二の走資派」と批判されて権力を失うことになる。

1968年には全役職を追われ、さらに翌年、江西省南昌に追放された。
これが文革期です。この頃から既に改革派としての素地が見えますね。当然毛沢東と合うわけもなく、64歳にして二度目の失脚。
「走資派のトップ」とされた劉少奇は文化大革命で非業の死を遂げるが、鄧小平は「あれはまだ使える」という毛沢東の意向で完全な抹殺にまでは至らず、党籍だけは剥奪されなかった。

1973年3月、周恩来の復活工作が功を奏し、鄧小平は党の活動と国務院副総理の職務に復活、病身の周恩来を補佐して経済の立て直しに着手する。

着々と失脚以前の地位を取り戻して行ったかに見えたが、1976年1月8日に周恩来が没すると、鄧小平の運命は暗転する。清明節の4月4日から5日未明にかけて、江青ら四人組が率いる武装警察や民兵が、天安門広場で行われていた周恩来追悼デモを弾圧した。すなわち第一次天安門事件である。この事件において周恩来追悼デモは反革命動乱とされ、鄧小平はこのデモの首謀者とされて再び失脚、全ての職務を剥奪された。
これが鄧小平72歳の三度目の失脚経験です。前の二回の失脚から救ってくれた周恩来が死去すると権力の座を追われます。ここまで政権中枢でアップダウンを経験する人はないのでは?
1976年9月に毛沢東が死去すると、後継者の華国鋒を支持して職務復帰を希望し、四人組の逮捕後、1977年に三度目の復活を果たす。

1978年10月、日中平和友好条約の批准書交換のため、中国首脳として初めて訪日し、昭和天皇や日本政府首脳と会談したほか、千葉県君津市の新日鉄君津製鉄所、東海道新幹線やトヨタ自動車などの先進技術、施設の視察に精力的に行い、京都や奈良にも訪れた。この訪日で鄧小平が目の当たりにした日本の躍進振りは、後の改革開放政策の動機になったとされる。

同年11月10日から12月15日にかけて開かれた党中央工作会議と、その直後の12月18日から22日にかけて開催された第11期3中全会において文化大革命が否定されるとともに、「社会主義近代化建設への移行」すなわち改革開放路線が決定され、歴史的な政策転換が図られた。

1979年1月1日に米中国交が正式に樹立されると、鄧小平は同28日から2月5日にかけて訪米。首都ワシントンDCで大統領ジミー・カーターとの会談に臨んだ後、ヒューストン、シアトル、アトランタなどの工業地帯を訪れ、ロケットや航空機、自動車、通信技術産業を視察。前年の日本訪問とこの訪米で立ち遅れた中国という現実を直視した鄧は改革解放の強力な推進を決意、同年7月、党中央は深圳市など4つの経済特別区の設置を決定する。
これが現在に続く改革開放路線への転換です。1972年に果たした日中国交正常化が与えた影響は大きかったですね。日本・アメリカの状況を視察して、素直に資本主義経済導入の必要性を認めたのは賢明な判断でした。しかし、鄧小平は中国を治めるに当たって、経済的には資本主義を取り入れるものの、政治的には共産党の一党独裁体制を堅持しました。
「自由化して党の指導が否定されたら建設などできない」「少なくともあと20年は反自由化をやらねばならない」と釘を刺している。

しかし、鄧は政治改革に全く反対だというわけではなかった。第一次国共内戦期から党に在籍し、「革命第一世代」と呼ばれた老幹部たちを、自身も含めて党中央顧問委員会へ移して政策決定の第一線から離すなどの措置をとった。
あれだけの大国をドライブするための装置としての共産党体制を、必要悪と認識しながらチョイスしたのですね。この辺りの判断が老獪であり、バランスの取れた大人の決断でした。
・唯物主義にのっとった遺言により、角膜などを移植に寄付した。本人は自身の遺体の献体を望んだが、これは鄧楠の希望で実施されなかった。

・フランス留学の経験もあり、ワインとチーズが大好物でヨーロッパ文化への嫌悪感を持たなかった鄧小平は、いくつかの趣味を持っていた。とくに有名なのはコントラクトブリッジであった。

・フランス留学中に夢中になったものが2つあり、1つは共産党でもう1つはクロワッサンであった。これは無関係というわけではなく、フランスで1番おいしいクロワッサンの店を教えてくれたのは、後に北ベトナムの指導者になるホー・チ・ミンであった。

・サッカー好きでも知られていた。FIFAワールドカップの時には、ビデオなどを使ってほとんどの試合を見ていたといわれている。

・実子である鄧樸方は、北京大学在学中に文化大革命に巻き込まれ、紅衛兵に取り調べられている最中に窓から「転落」(紅衛兵により突き落とされたとする説もある。事実、紅衛兵によるこういった、あるいはその他の激しい暴行による傷害や殺人は夥しい数に上り、鄧小平自身も暴行を受けている)し、脊髄を損傷し身体障害者になった。鄧小平は午前は工場労働をし、午後は息子の介護をした。

・訪日時の昭和天皇との会見で「あなたの国に迷惑をかけて申し訳ない」という謝罪の言を聞いたとき、鄧小平は電気ショックを受けたように立ちつくした。大使館に帰ると「今日はすごい経験をした」と興奮気味に話したという。また歴史認識でも江沢民のような強硬な謝罪を要求せず「日中二千年の歴史に比べれば両国間の不幸な時期など瞼の一瞬き(ひとまばたき)にすぎない」と日本の首脳に述べたと言う。
これらのエピソードが現すのは、合理的で、欧米のカルチャーを理解し、暴力の持つ悲しい側面を知った、懐の深い一大政治家という人物像です。対日観も決してエキセントリックなものではなく、尊重する姿勢を持ったものであったと言えるでしょう。そして、私が最も印象に残ったのは次の言葉です。
日本国外務省の田島高志(元中国課長、カナダ大使)は、1978年8月の日中平和友好条約交渉において、鄧小平がソ連を覇権主義と批判し、中国の反覇権を条約に明記するように主張していたと語る。その際に鄧小平が園田直外相に対し、「中国は、将来巨大になっても第三世界に属し、覇権は求めない。もし中国が覇権を求めるなら、世界の人民は中国人民とともに中国に反対すべきであるとし、近代化を実現したときには、社会主義を維持するか否かの問題が確実に出てこよう。他国を侵略、圧迫、搾取などすれば、中国は変質であり、社会主義ではなく打倒すべきだ」と述べたという。
本当に鄧小平が覇権主義への批判精神を持っていたとするなら、その精神が正しく現在の首脳部に引き継がれていることを期待します。争いから生まれる建設的な結果などないのですから。



続いて、胡錦濤と次期指導者とされる習近平のプロフィールを追うところなのですが、長くなったのでまた。



しかし、凄い人生です。こんな経験を積んだ政治家に、現代の二世世代が太刀打ち出来ないのは当然ですね。それは、日本でも中国でも同じなのでしょう。

英会話レッスン

ずっと何年もやらなきゃと思いながら手を付けれてなかった英会話レッスンにようやく着手。色んな方法を模索してみたんですが、、、



●英会話教室

 ウチのビルの上にGABAさんがあるので去年体験レッスンも受けてみたんです。でもね〜 やっぱり高いよ。一コマが40分で、単価は6,800円! 前払いで一括40万円以上も払うのは抵抗あります。ちゃんと続くか分からないしね〜 時間も40分は短いと思います。他にもベルリッツとかECCとかありますけど、大体の傾向は同じ。



●Skypeレッスン

 最近注目されているのはこれ。確かに安い! 有名どころではレアジョブさんとか、毎日50分話しても月額8,000円とかめちゃお値打ち! でもね〜 講師はフィリピン人とかが多くて、やっぱり訛ってて聞き取りづらいとか、Skypeの回線がブツブツ切れてイライラするとか聞きます。私は対面レッスンの方が良いかなと思って見送り。



●先生紹介サイト

 ・ネイティブ先生ドットコム

 私が今回利用したのはこのサイト。会社のスタッフに教えて貰いました。見た目ショボイので大丈夫かここ?と思っちゃいますが、結構登録されている先生も多く、よく使われているそうです。自分がレッスンを受けたいエリアを指定して先生を検索し、クレジットカード決済で申し込むと先生の連絡先が送られてくる仕組み。事前にレッスン料金や体験の有無、レッスン可能時間やプロフィールの一部が公開されているので、後は実際に会ってみて決めれば良いのです。大体一回のレッスンが1時間で、2,000〜4,000円/回くらいが相場でしょうか。まあお金払って連絡先を購入しても連絡取れない先生もいるのでそこは若干のリスクがありますが、余計な中間マージンを省いて先生と直接契約出来るのは合理的ですよね。という訳で、実際に体験レッスン受けてみて、良い先生だったので契約してきました。やっぱりマンツーマンで、対面レッスン、というのが良いと思います。来月から本格的にレッスンが始まるので、楽しみです♪



いやあ、しかしネットの時代って本当に色んな選択肢が安く得られて、良い時代ですね。活用しないと損ですよ!

9/22(土)はCARZY Live KOBへ!

CARZY Live



さあ、いよいよ来週末はCARZY Liveの神戸です。テーマは「ドアを上げていこう!」という訳でガルウィング特集なんですが、実は参加資格に制限は一切ありません。なので、国産も、輸入車も、新車も、旧車も、要するにクルマ好きな方ならどなたでもOK! 緑の芝生の上にクルマを並べて、仲間と楽しい時間を過ごしましょう。ご参加、お待ちしております。



●日時

CARZY LIVE KOB 2012年9月22日(土)

CARZY LIVE TKY 2012年10月13日(土)

CARZY LIVE KYS 2012年10月20日(土)



●会場

CARZY LIVE KOB

神戸市森林植物園

〒651-1102 兵庫県神戸市北区山田町上谷上字長尾1-2



CARZY LIVE TKY

富士カーム

〒403-0006 山梨県富士吉田市新屋1400



CARZY LIVE KYS

鳥栖市サンメッセ広場(ベストアメニティスタジアム横)

〒841-0026 佐賀県鳥栖市本鳥栖町1819



●参加費用

一般参加者 1台

事前申込 2,500円

当日申込 3,000円



●募集台数

KOB、TKY会場:500台/KYS会場:300台



KOB、TKY、KYS2012メインテーマ

『ドアを上げていこう!』(会場センタースペース優先)

ドアが上がらないクルマも大歓迎!

スーパーカー、ヴィンテージカー、クラシックカー、 チューニングカー、国産車、すべて歓迎



●主催/共催/運営

主催/CARZY

運営/チンクエチェント博物館

http://www.museo500.com/



●お申し込み/詳細

http://carcle.jp/UserBlog.aspx?UserID=2235

iPhone 5 登場

何だかんだで毎年これだけ騒がれるのは大したものですね。Jobsがいなくなって魔法が解けた感があるAppleですが、製品開発チームは相変わらず良い仕事をしています。軽く、薄くなって、速くなる。携帯端末にとっては至極真っ当な進化と言えるでしょう。そもそもスマートフォンに搭載出来る要素はおおよそ出尽くしていますから、今さらビックリするような新機軸があるはずもなく、こうやって毎年モデルチェンジ毎に進化していけばそれで良いと思います。



僕なんかは天の邪鬼なので、次を夢想しちゃいます。PCからスマートフォン、タブレットとフィールドを拡げたAppleにはやはりリビングに進出して欲しい。やはりホンモノの「Appleテレビ」が見てみたいですね。これが登場すれば、Appleのデジタルコンテンツエコシステムが完結すると思います。Jobsが描いていたであろう夢が現実になるところに立ち会いたいな。Apple、もうひと頑張りだ!

尊厳死について

石原伸晃さん、えらく叩かれてますね…。実は尊厳死に関するエントリーを少し前に書いたことがあります。



欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか



別に貧乏人に死ねと言ってるわけでもなんでもなく、個人としての人生の幕引きをどう考えるのかという、いわば人生観にまで関わるポリシーの問題なんですけどね。TVでちょろっと口にする事ではなかったかな。でもこの問題、社会保障の仕組みや財政問題に大きく影響し、若年層に未来の希望を持ってもらうという意味でとても大事なテーマだと思っています。エキセントリックに反応せずに、ちゃんと向き合って議論して欲しいな。

PayDollar(AsiaPay)がご利用いただけるようになりました!

PayDollar(AsiaPay)がご利用いただけるようになりました。
PayDollar(AsiaPay)がご利用いただけるようになりました。下記、通貨でのクレジットカード払いがご利用いただけます。



・対応通貨

 香港ドル、米ドル、シンガポールドル、中国元、日本円、台湾ドル、オーストラリアドル、ユーロ、イギリスポンド、カナダドル、マカオ パタカ、フィリピンペソ、タイバーツ、マレーシアリンギット、インドネシアルピア、韓国ウォン、サウジリヤル、ニュージーランドドル、アラブ首長国連邦ディルハム、ブルネイドル

※ご契約内容により、ご利用いただける通貨、条件等は異なります。



詳細はこちらのページをご覧ください。



お申し込みは「ショップ運用設定」→「お支払い方法設定」の各お支払い方法設定ページ内のPayDollar(AsiaPay)「お問い合わせ・お申し込みフォームはこちら」からお申し込みください。
おちゃのこネットは日本国外に拠点をお持ちのショップ様にご利用を広めたいと思っています。その為に必須なのがクレジットカード決済なのですが、実はアメリカ以外の国にお住まいの方にご利用頂ける決済代行会社はあまりないのが実情です。我々は特に経済発展著しいアジア圏の各国ユーザーさんにおちゃのこネットをご利用頂きたいと思い、この度AsiaPay社と業務提携を行いました。香港に本社を持ち、広くアジア圏をカバーする同社の決済代行サービスをご利用頂くことで、上記の多様な通貨での決済をご利用頂けます。是非ご検討を宜しくお願い致します!

国内EC業界の転換期

数・量の拡大から質・利益の追求へ。これは成熟した業界に見られる戦略転換の潮目ですが、国内EC業界にもこの転換期が訪れているようです。インターネットが普及して17年、楽天市場が出来て14年、Amazon.comは1995年のスタートらしいので、そろそろ成熟期に入ってもおかしくないですね。実店舗をお持ちのショップオーナーさんのウチ、ITリテラシーの高いアーリーアダプター層がまずECに手を付け、その後実店舗を持たない純然たるEC業態が広まりました。現状はめぼしい企業・商店さんはほぼ進出が終わったのでしょう。二店舗・三店舗目、または異なるカテゴリーへの多店舗展開、又はモールとの業態併用などが目立ちます。大手企業のEC進出も珍しくありませんから、これからは数で勝負するお店は苦戦することが予想されます。販売数量に拘らず、独自の強みを持つ商品を強化して、しっかり利益を出していく。お店側も、サービス提供側も、モードを切り替えねばなりません。



そういえば、自動車メーカーはいまだに販売台数に拘って数字を追い掛けていますね。ああ見えて、まだ成熟期に至っていない若い業界なのかも知れません。世界商品としてグローバルマーケットを追い掛ける特性が出ていますね。

英語力

今、コンタクトのネットショップスタッフをハローワークで求人しているのですが、面白いもので英語力を応募資格に入れると途端に応募数が少なくなります。どれだけ英語コンプレックスが大きいのかと思いますが、もはやまともな仕事においては英語力は必須スキルになりつつありますね。ウチみたいな小さな会社でも、英語圏向けサービスもありますし、商品の仕入/販売で海外とやり取りすることは普通にあります。例え翻訳ソフトのお世話になるレベルであっても、そもそも英語でのコミュニケーションに尻込みするようでは仕事になりません。日本人は仕事で英語を使うと聞くともの凄く流暢に話せないとダメと思っちゃうのですが、こんなもん最後は相手と意思疎通する気持ちがどれだけあるかの勝負、要するに度胸です。相手だってネイティブとは限りませんし、インド人や他新興国の英語なんて訛り酷いですから、構える必要無いんですよね。と言いながら、英語の勉強しないとな、と自分を鼓舞しております。(笑)

PayPal Hereスタート

PayPal Here」がスタートしましたね。店頭型のクレジットカード決済サービスについては何度か書きましたので、過去エントリーをご参照下さい。



PayPal Japan設立の意味



カード端末代が必要だったり、料率が5%と高いのは、本国でのサービス内容(カード端末無料・決済料率2.7%)と比べても見劣りしますが、日本の決済市場に新しい刺激を持ち込んでくれたことには拍手です。日本は決済代行会社の数ばかり多くて、サービスが横並びでつまんないんですよね。このモデルのサービスを開発したアメリカSquare社の後追いではありますが、日本で広く普及すると良いなと思います。しかし取扱窓口に関西エリアがすっぽり抜け落ちているのは何故?