Facebookとの付き合い方

ま、人それぞれなのでお好きにどうぞ、なんですが、それでは話しが拡がらないので私が思っていることを。



基本的に人間には他者からの承認欲求というものがあります。自分という存在を認めてもらいたい、より深く理解してほしい、そして良く思われたい、というのは自然な欲求です。これがネット上に拡張された時、SNSがその受け皿となります。恐らく大多数の人は、今FacebookとTwitterをお使いのことでしょう。両者にははっきりとした違いがあります。



●Facebook

 ・身近な友人+面識のある範囲の知人

 ・パーソナルな事を投稿

 ・あまり他人には見られたくない情報を含む

 ・実名



●Twitter

 ・有名人やニュースアカウント+面識のない他人

 ・ニュースなどに対する自分の考え方や感想を投稿

 ・見られて困る情報は投稿しない(うっかりすると炎上に発展…)

 ・匿名



というのが一般的な使い分け方法でしょう。私の場合は、FacebookにTwitterとBLOGの情報も流し込んでいますので、知人はほぼ100%の私の行動と思考が筒抜けです(笑) なので、特にコメントやいいねをしてくれていなくても、会った時に「この前Facebookで****な事書いてたね」なんて話のネタになる事が多いです。意外と見て覚えててくれるんですね。私としては、こうやって発信する手段を可能な限り活用した方が良いと思っています。やっぱりマメに投稿する人とはコミュニケーションが増えますからね。ストーカーを気にする女性の方も多いですが、そこはリテラシーを磨いて情報の内容や公開範囲を工夫することで乗り越えられるんじゃないでしょうか。最近SNS疲れとかいって更新頻度が下がる人も多いんですけど、せっかくのツールをもっとアクティブに使う人が増えて欲しいなと思っています。

任天堂の活路は?

これからゲーム機市場はどこへ向かうのか



私は「グランツーリスモ」くらいしかゲームしないんですが、業界ウォッチ対象としてはゲーム業界を注目しています。目下の興味は任天堂がどうなるか。あれだけ高収益を叩きだして我が世の春を謳歌した任天堂が苦しんでいます。直近の決算は赤字で、来期の業績次第では岩田社長退任もあり得る非常に厳しい状況。原因はひとえにスマホに喰われている事にあります。
ゲーム機販売がここにきてふるわない理由としては、スマホが従来の特に携帯ゲーム機に取って代わって普及しているという話が欧米などでは見受けられます。任天堂が「スマホは競合ではない」というニュアンスの発言をしても誰も耳を貸さないのは、もはや当事者が特定の立場を理由にポジショントークをしても、誰もが携帯用ゲーム機のコンペティターは汎用性の高いスマートフォンだと肌で感じ、選択しているからなんですよね。
岩田さんは否定していますけど、誰が見てもスマホが競合になってしまっていて、ゲームを深くやり込むマニア層以外のライトユーザーをスマホにがっさり持って行かれてるんですよね。ウチの息子もiPhone/iPadでゲームばっかりやってますし。gree/モバゲーを見ても、世の中にはマニアよりも圧倒的多数のライトユーザーがいるわけで、マニアだって移動中とかの細切れの時間に複雑なゲームをやり込むわけにはいかないでしょうから、手軽なスマホゲームに流れていきますよね。



で、どうすれば良いのか、というのが難しいんですが、
スマホでもゲーム専用機でも企画制作をする業者の立場で言うならば、もはやユーザー体験はいまのUIとグラフィックの両輪をいくらいじってもなかなか向上しません。言うなれば、いつまでも十字キーでゲームしてると思うなよ、ということです。私の三歳児でも、十字キーでゲームするよりもタッチパネルで直感操作できるソフトを好みます。もうこの段階で、スマホやタブレットに軍配が上がってしまう状況である以上、いまゲーム業界、とりわけハードの世界に必要なものは操作系(UI)のイノベーションである、というのは断言できますね。タッチパネルに勝てるUIを実装できるかどうか、その上にどういうゲームのグラフィックが乗りうるのか、真剣に考えるべきだろうと私は思っております。
に尽きますか。今の十字カーソルというUIは発明されてからずっとゲーム専用機の特徴であり続けました。それがスマホというタッチパネルUIの実現で旧態化してしまい、今全く新しい操作体系の提案が求められている、と。もう小手先の工夫では打開出来ないんですね。うーん、これは難題ですな。Wiiリモコンは目新しかったですし、XboxにはKinectなんてモーションセンサーの仕組みも既に実現されています。業界全体がキラーコンテンツの登場を待ちかねている状況ですかね。



私がゲームに興味があるのは、これがITデバイスの発展の方向性を示唆していると思うから。こうやって特定領域向けに開発された技術が、パソコンやスマホやらの身近なデバイスにフィードバックされて未来が作られていくんですよ。その意味ではSF映画や漫画なんかがアイデアの源泉なんでしょうね。10年後にどんなテクノロジーが登場しているのか、考えるとワクワクします。任天堂、苦しいでしょうが何とか突破して欲しいな!

音楽業界はダメになってしまうのか?

時事問題の旬について(追記あり)



音楽業界は全てのデジタルコンテンツ業界の先行指標みたいなところがありまして、メディアの変化(カセット→CD→DVD/Blu-ray→ネット配信)の影響をモロに受けています。その結果、パッケージメディアの売上が落ちてきて、ライブの売上が重要になって来ています。そのあたりを解説したのが、



1600億円 -音楽業界でまさかの「逆転現象」発生中



↑こちらの記事ですね。”まさか”というのは煽り見出しで(笑)、関係者は皆当然の成り行きだと思っています。少し前からマドンナとかの有名アーティストがCDを無料化してライブで収益を取る戦略だ、とか有名な話しですもんね。
ドリルを買う人は、ドリルが欲しいのではなくて穴を開けたいのだ、という理屈に近い。厳密にはもちろん違うけど。でも流通経路が変わり、割高な装置産業よりも簡便にダウンロードできれば欲しいものが手に入る状況になれば、装置にぶら下がっていた人がコストになるのは音楽業界だろうが出版業界、新聞業界もだいたい同じ。当たり前のことなんですけどね。
私は音楽業界には関わりが無いんですが、この指摘にあるように出版業界も同じトレンドの渦の中にいるわけです。当然ながら、雑誌というパッケージメディアも同じ道を辿ると思うので、未来を予測するいい勉強材料ですね。



大事なのは、
「音楽業界が苦しいだけであって、音楽が駄目になったわけじゃない」
というところです。昔も今も、コンテンツを創り出せるアーティスト・作家こそが全ての価値の源泉で有り、メディアが変化したからといって騒いでいるのは周辺で商売している人間だけ。だから良質なクリエイターは良いコンテンツを生み出す事だけに注力していれば、勝手に周囲が新しい商売の仕組みに乗せてくれます。人の習慣が大きく変わって定着するにはやっぱり世代交代が必要だと思うので、一目20年サイクルですかね。意外と紙という媒体への執着が強いみたいなので、雑誌領域でこれだけのドラスティックな変化が起こるのかどうかはまだ分かりません。私みたいなIT業界から入って来た人間は、何せ新しい方向にベットするしかないのです。(^^ゞ

Web活用の実態

街場のWeb活用論。本当の便利は利用者が知る



昨年ウチのセミナーでもお世話になった宮脇さんの連載記事です。面白いですね。IT業界にいると感覚が麻痺するのですが、自分達の常識は決して社会の常識ではありません。業界内では当たり前のサービスでも、それがどれだけ一般社会で使われているのか、役に立っているのか、どこが利用するにあたってのハードルになっているのか、肌身で知っておくべきなんですよね。ここに出てくるご友人の電気工事の会社では、Googleカレンダー・Dropbox・LINE、そしてiPhoneを業務の助けになるものとして使い込んでいます。で、それだけITを活用するスキルのある会社なのに、自社HPについてはまだこれからなんですね。こういうところが、実はビジネスチャンスでもあるのだと思います。世の中の半歩先を行く。これが大事なんですね。あまり先を行ってもニーズがついてこない。時機を逸すれば競合に遅れを取る。最適なタイミングを見極めるのは、最後は経営者の勘なんでしょうか。

DELL身売り

DELLの身売りが実現しそうですね。一時代を築いた偉大な企業でしたが、旬は過ぎちゃいましたね。改めて創業者のマイケル・デルの経歴をWikipediaで見てみました。
経歴 [編集]



若年期 [編集]

テキサス州ヒューストンに住む、裕福なユダヤ人の家庭で生まれ育つ。父は、歯科矯正医。株式仲買人である母の影響で、早くから商才を発揮したデルは、12歳の頃に流行していた切手収集に着目し、切手のカタログを作成して雑誌に広告を出し、2,000ドルを稼いでいる[2]。16歳の頃には、新聞の新規購読勧誘のアルバイトで新婚家庭や転居者に的を絞ったアプローチを行い、18,000ドルを稼いだ[2]。

やがてコンピュータに興味を持ちだし、15歳の頃に買ってもらったApple IIを好奇心から分解する[2]。店頭に売られているコンピュータを分解し、強化されたコンポーネントで組み立ててアップグレードしては友人に販売していた[2]デルは、やがてこれが大きなビジネスチャンスになると確信する。

しかし両親は医学部への進学を望み、1983年にテキサス大学オースティン校に入学する。在学中も、コンピュータをアップグレードして金を稼いだ。



起業 [編集]

1984年、19歳の頃に、わずか1,000ドルの資金を元手に学生寮の自室でコンピュータ会社「PC's Limited」を起業。同年に大学を中退し、本格的な会社の経営に乗り出す。

「販売店やディーラーを介さず、注文生産の製品を直接顧客に販売する」というコンピュータ業界初の直販制度を採用したことで会社は急成長を遂げ、1988年には24歳の若さで NASDAQ に株式公開を果たした[3]。同年に社名を「デル・コンピュータ」と改める。1992年に会社はフォーチュン500入りを果たし、デルはフォーチュン500社中最も若い最高経営責任者になった[4]。2003年には製品ラインを拡大し社名を「デル」に改名[5]。

2004年7月には最高経営責任者職をそれまで最高執行責任者を務めていたケビン・ロリンズに譲った[6]。2007年2月、ロリンズの辞任に伴い、最高経営責任者職に復帰している[7]。
栴檀は双葉より芳し、と言いますが、そのままのビジネス人生ですね。



日本で最初にアメリカのWindowsパソコンメーカーのブームがやってきたのは1991年のコンパックショック。これで一気にDOS/Vが普及し、富士通のFM/Vと激しい販売合戦を繰り広げました。その後Gatewayが直販モデルを引っさげて日本市場に進出し、これも売れまくりましたね。DELLの日本市場進出はGatewayと人気を二分しましたが、いつの間にか差がついてGatewayは会社自体がダメになり、DELLの独り勝ち状態になりました。成長期には手厚いサポートが有名だったんですよね。私も当時何度かサポートセンターに電話しましたけど、最初から知識豊富な男性社員に電話が繋がり、高度なやり取りで問題を解決する手腕には感動したものでした。その後日本市場のサポート窓口を中国に移したりして、評判落としたのは残念でしたね。



もうデスクトップPCを売る時代じゃなくなっちゃったんですね〜 普通にネットとMSオフィスを使うにはコンピュータの性能は充分向上したので、差別化するにはノート型などのモバイル用途が主戦場になってしまいました。DELLも途中でサーバー製品に主軸を移しちゃいましたものね。あの落ち目のAppleがここまで復活するとは思いもしませんでしたし、IT業界のこの30年は正に激動と呼ぶに相応しい時代でした。ま、DELLがなくなっちゃうわけではないんですが、ちょっと昔を振り返ってみました。私も年を取ったんですね(笑)