堺屋太一さんの提言

堺屋太一氏の遺言「2020年までに3度目の日本をつくれるか」

連休明けにメールに目を通していたら堺屋太一さんの提言がありました。好きな方だったんですけどね、堺屋さん。お亡くなりになって残念です。俯瞰で見た視点が参考になります。
戦後日本というのは、官僚が東京一極集中政策を猛烈な勢いでやっていたんですね。それで特に全国規模の頭脳活動、つまり、経済産業の中枢管理機能と情報発信と文化創造活動の3つは東京以外でしちゃいけない、ということになっていた。

だから金融貿易は東京以外でしちゃいけない。大きな会社の本社も東京に置け。そのために各種業界団体の本部事務局は東京に置けと。つまり、沖縄での頭脳活動は一切ダメというわけですよ。地方は頭がないんだから、手足の機能に専念しろ。つまり、農業や製造業、建設業の現場になれ、というわけです。その代わりに東京はお米を高く買い、建設補助金をばら撒き、公共事業を盛んにするという仕掛けにしていたんですね。

 そんな官僚が作った規制から外れているのは、観光業しかありません。それで沖縄で観光開発を打ち出し、海洋博覧会を契機に沖縄を訪れる観光客の数を10倍にしようという話を作ったんです。

 その時にお目にかかったのが、世界的な観光プロデューサーと言われたアラン・フォーバスというアメリカ人です。この人は、当時の日本で行われていた観光開発は全部間違っている、と言うんです。道路を造るとか、飛行場を造るとか、ホテルを建てるとかいうのは、これらは観光を支える施設ではあるが、観光の施設ではないと。

 じゃあ、観光に必要なものは何かというと、「あれがあるからそこへ行きたい」という“アトラクティブス”だと言うんです。それは6つの種類がある。ヒストリー、フィクション、リズム&テイスト、ガール&ギャンブル、サイトシーン、そしてショッピングだと。この6つの要素のうち3つそろえろと言うんですね。
そもそも敗戦で日本人のメンタリティーは、物量崇拝と経済効率礼賛に180度変わっていました。戦争に負けたのは、アメリカの物量に負けたのだと。それが規格大量生産で高度成長を引っ張る原動力になっていました。

 実際、大阪万博は、日本が規格大量生産社会を実現したことを世界に知らしめた行事でした。1970年代は世界中がそうでした。しかし、その一方で70年代に世界の文明は転換します。きっかけは、ベトナム戦争でした。ベトナムで規格大量生産の武器で完全武装した米軍が、サンダルと腰弁当のベトコンに勝てなかった。なぜだということが盛んに議論されたんですね。その結論がまさに、規格大量生産の限界でした。アメリカで草の根運動や反戦運動が盛んになったのは、そうした文明の転換が背景にありました。

 20世紀の技術というのは、大型化と大量化と高速化、この3つだけを目指していたんです。それでジャンボジェット機ができて、50万トンのタンカー船ができて、5000立米の溶鉱炉ができた。まさに、あらゆる分野で最高速度、最大規模の製品が生まれたのが、70年代でした。そこが限界だったんです。

 それから以後、ジャンボジェットより大きな飛行機は、最近のエアバスの超大型機ぐらいまでありませんでしたし、50万トンのタンカーなんてもう造らなくなった。溶鉱炉も石油コンビナートも大きくなくなり、多様化の時代に文明が一気に変わったのです。

 ところが日本は、その後もまだ高速化、大型化を志向し続けた。アメリカやヨーロッパが文明を転換をしている間に、日本はひたすら規格大量生産を続けた。だがら、その間の80年代に輸出が猛烈に伸びたわけです。欧米と日本の文明のズレが、一時の繁栄をもたらしたんです。これが1つの日本の頂点、戦後の頂点ですが、それでそれが行き過ぎてバブルになって大崩壊した。
あの日本の発展が欧米と日本の文明のズレに咲いた一時の徒花だとしたら悲しいですが、それが事実なのかもしれませんね。日本の実力以上に時代が上げ底してくれていただけなのでしょうか。だとすると我々は新しい時代に即した日本を作り直さねばなりません。その向かう方向も堺屋さんは指し示してくれています。
3度目の日本。それは、官僚制度ではなしに、本当の主権在民を実現する「楽しい日本」です。今、日本は「安全な日本」なんですよ。安全という意味では世界一安全です。だけど全然楽しくない。

 例えばお祭りをやろうとしても、リオのカーニバルなんかでは何人も死ぬんですよ。そんな行事がいっぱいある。アメリカの自動車レース「デイトナ500」なんかもそうでしょう。楽しみと安全とを天秤にかけて、多少は危険だけどこの楽しさは捨てられない、というのが外国にはあるんですよ。

 ところが日本は、どんなに楽しくても、少しでも危険があったらやめておけ、やめておけと、官僚が統制してしまう。それがマスコミや世間でも通っているんですよ。

 安全だけでいいなら、監獄に入ればいい。それでもみんな入りたがらないのは、監獄には幸福を追求する選択性がないからです。その意味で、今の日本はまるで監獄国家とも言えるほどです。その監獄国家から、幸福の追求ができる選択国家にしなきゃいけない。そうすると、ベンチャーを起こす冒険心も復活する。この官僚主導からいかにして逃れるかが、これからの2020年までの最大の問題なんですね。
この、”安全だけど、楽しくない国”という指摘は正しいと思います。やたらコンプライアンを重視して細かいルールで縛ることばかりに執着し、息苦しい国になってしまっていますよね。みんなが心のどこかで感じているんじゃないでしょうか。「この国は楽しくないよね」と。少子化も、メンタルに問題を抱える人が増えていることも、全部”楽しくない”という点に集約して説明できると思います。では我々はどうすればいいのか?

私は、みんなと同じであることをやめる、ということをオススメします。何かをするときに、やたら世間体を気にしていませんか? 自分がどうしたいかよりも、周囲がどう思うかを優先していませんか? 日本人は、人に嫌われることを恐れすぎなのだと思います。ムラ社会の同調圧力に負けてしまっているんです。

これは今後、日本に外国人が増えることで否応なく変わっていくのでしょう。行き過ぎた移民の受け入れは日本のカルチャーを破壊してしまう危険性もありますが、少子化を乗り切るにはもう移民に頼るしかないのが現実だと思います。仕方ないんですよ。身の回りに異文化の人が増えれば、必然的に同調圧力は弱まっていきます。世界はグローバル化するのが流れなのですから、日本だけが例外であり続けることは不可能。子供たちの世代には世間の空気が大きく変わっていることでしょう。

私たちが気持ちの持ち様を変えることはすぐにできます。楽しく生きることを意識する。気分が明るくなる、いい方向性だと思いますね。

令和への提言

こうあって欲しいということを幾つか考えてみる。

●ゾンビ企業の退場
 ジャパンディスプレイとか東芝とか三菱自動車とか、誰が見ても潰れてて当たり前の企業を国策で延命するのやめてほしい。こういう大企業が抱えている優秀な人材が市場に放出されたらもっと人が流動化するはず。日本に活気が生まれない一因は潰すべき企業を潰さないからだと思う。目先の痛みを恐れすぎて自分たちの首を絞めていることに気付くべき。大手志向が修正されて、もっとベンチャーに目を向ける若手が増えてほしい。

●教育コンテンツの動画活用
 ウチの息子が通っているN高は、全ての授業が一コマ5分程度の動画コンテンツ。ダラダラと40分の授業を聞いているよりも集中出来て頭に入ると言っています。生まれたときから動画に慣れ親しんだ世代の教育スタイルは、彼らが受け入れやすいメディアを使った方が絶対に効果的です。恐らく公立学校は導入が後手に回ると思うので、私立からでも率先して新しい教育コンテンツを試してみてほしい。親の側に古い先入観への固執があるので、新しいもの好きな家庭からどんどんチャレンジして先例を作って頂きたいです。

●金銭解雇の導入
 一定の金額を支払うことで自由に解雇できる仕組みを導入すること。これ、労働者にとって不利な仕組みと思われていますが、逆です。確かに解雇の恐れを抱くのは自然な感情なんですが、企業の手足を縛っても結果的に非正規雇用が増えるだけで雇用関係の安定化には繋がりません。一歩踏み込んで金銭解雇を導入すれば、企業側の正規雇用へのリスクが減ります。事業環境の変化やスキルとポジションのアンマッチで自由に人を入れ替えることができれば、正社員を雇用することにためらわなくなるのです。お互いにアンマッチな環境で長期間我慢するような関係こそ不健康です。労働市場の流動化が日本の一番の課題だと思います。

●規制緩和
 私は行政に頼ることが嫌いなのであまり政治に関心はないのですが、それでも政治にしかできない役割というものがあります。その筆頭が規制緩和。元々規制は市民の権利を守るために作られたものだと思いますが、時代が変化するにつれて古くなっているルールが沢山ある。それらをなるべく緩和して新しい競争環境を生み出すことが産業の活性化に繋がります。例えば、タクシー、旅行(ホテル)。UberやAirbnbみたいなシェアリングエコノミーの隆盛で効果が実証されているのに、いつまでも古い業界を変革できないのは明らかにマイナスです。フィンテックが重視されているのに金融業界も規制でがんじがらめですよね。仮想通貨などの新しい分野は一定のいかがわしさがつきまといますが、詐欺や背任などの明らかな違法行為だけを厳しく取り締まって、あまり手足を縛りすぎないことが業界の発展にプラスだと思います。不動産の対面説明義務とか、医療行為に対する制約も古すぎると感じます。(ここまで書いたところで「なぜ医療に市場原理は通用しないのか?」なんてBLOGを発見しました。医療分野に市場原理は本当に馴染まないのか、改めて考えてみたいと思います)

●判例主義への転換
 これは多分無理だろうなと思いながら挙げました。日本とドイツは成文法の国、イギリスとアメリカは判例法の国、という違いがあります。非常にざっくり書いてしまうと、何か新しいサービスが提供されるときに、前以て法律にどう該当するか判断して是非を決めてしまう(往々にしてできない理由が見つかる)日本と、とりあえずやってみて後から問題点を修正するアメリカの違いになります。変化の激しい現代ではアメリカ型の法令システムの方が新しいサービスを試すのに適しているんですよね。先に挙げたUberやAirbnbみたいな新サービスを取りあえず許容するアメリカと、いつまでも既存の法律に縛られて許可できない日本を比べて頂ければ分かりやすいと思います。日本の方が安全ですが、何をするにも時間が掛かる社会になってしまっていますよね。失敗の許容度が違う社会システムと言い換えてもいいかもしれません。失敗を許さない日本と許すアメリカの違いは大きいのです。

●(無目的な)延命治療の拒否
 昨年母を亡くしましたが、その過程で治療方法の選択を迫られました。諸事情で不本意ながらも胃ろう処置を施しましたが、私自身は絶対に選びたくないと痛感しました。これは私の個人的な主観ですが、自分自身で食べ物を摂取できなくなったら、それが寿命なのだと思います。寝たきりでただ死を待つだけの時間を延ばして何になるのか。本人も周りも辛いだけではないでしょうか。この寝たきり生活の時間とコストが読めないから、みんな無駄に老後の蓄えを心配して貯蓄に走る。いくら備えをしても老後の不安がなくならずに、人生を楽しむというモードになれないのではないですか。無駄な延命治療を拒否すると決めてしまえば、病院で過ごす時間はせいぜい二年程度。それなら必要な貯蓄も保険も計算が立ちます。最小限の備えだけして、あとはせっかくの人生の終幕を楽しんでしまえばいいのです。老人世代がもっと消費をするようになれば、今の不景気ムードは一変するのではないでしょうか。そして未来への明るい展望が描きやすくなれば、若い人のモチベーションも高くなり結婚や出産の機会も増えるはず。必要以上に将来への不安が高くてみんなが縮こまっているのが日本の沈滞ムードの根源である気がします。終活のコストを見切ってしまうことが不安解消の一番効果的な処方箋だと考えます。


私は日本という国が大好きで、国民性も社会も素晴らしいものがあると思っています。この国がこのまま老いて右肩下がりに衰退していくのを見ているのは辛い。私にも息子と娘がいますので、彼らによい置き土産がしたいのです。私たちに今すぐできる改善策って何でしょうか? 私は周りと同じであることに安心するのではなく、自分の頭で何がいいことなのか考えてリスクを取る姿勢を持つことが大事だと思います。「人の行く裏に道有り花の山」 少しのリスクで得られるものは大きいと思いますよ。チャレンジしましょう!

小林君のビジョン

最近の私の人に関する引きの強さには自分ながら恐ろしくなることがあります。戦略プランニングとマーケティングで入社してもらった馬頭さんの存在も大きいですが、よりインパクトがあったのはAIエンジニアの小林健生君が入社してくれたこと。彼の応募書類は永久保存ものなのですが、面接で初めて彼と会った時の印象も忘れられません。

正直に書けば、彼の第一印象は良くはありませんでした。何を考えているのか、表情から読み取れなかったからです。私は小林君に一つの質問をしました。「君は将来何をしたいの?」 至極まっとうで平凡な質問ですよね。しかしこの質問への回答がぶっ飛んでいました。小林君はこう答えたのです。「人類の寿命を延ばしたいです」

あなたが面接官なら、どう返事しますか。私は思わずその場で考え込んでしまいました。人類の寿命を延ばしたい。確かにそう言ったよな。まだ25歳であどけなさの残るこの若者は何者なのだろうか。はったりを言っているようには思えない。多分彼は本音で心からそう思っているのだろう。しかし人類の寿命を延ばしたいとは何とも壮大な話だ。この子はとんでもない大物なのだろうか。京都大学理学部卒業とある彼の経歴と目の前の表情を変えない彼の振るまいが、不思議な迫力でオーラを発しているのを感じました。小一時間ほどの面接を経て、当初抱いていた彼への違和感が消え、この子はとても純粋で優しい子なのかもしれないなと思えてきたんですよね。そして私は彼に懸けてみることにしました。

3月の頭から二ヶ月が経過しましたが、小林君の働きぶりは目覚ましいものがありました。合理的な思考に裏付けされた迷いのないアクションと、吸収力。常人の数倍のスピードでどんどんタスクをこなしてプロジェクトを前に進めていきます。正直、周囲が付いて行けていません。私は前職のサミットシステムサービス時代に多くの有能な中国人エンジニアと一緒に働きましたが、その当時のトップクラスのエンジニアと比べても全く遜色のない、いや凌駕していると言える能力の高さに惚れ惚れとしてしまいます。

いま私が感じているのは、小林君や馬頭さんを気持ちよく仕事に向かわせるだけの魅力のある環境を用意できるかどうか、自分が試されているんだなということです。彼らや他のスタッフに、ここに居ても面白くない、未来がないと思われないように、モチベーションを高く維持できる楽しい仕事を作り続けなければなりません。理想と現実のバランスを取る、なかなか高いハードルですよね。

しかし、人類の寿命を延ばしたい、とはなんと大きな志でしょうか。そしてその根底に他者への愛を感じます。自分の成功だけを願うなら、こんなビジョンを抱いたりはしないと思いますから。私が個人的に持っているビジョンよりはるかに大きな小林ビジョン、この実現に貢献できるならそれは私の大きな歓びになると思っています。

私が今思っているのは、どういう形でそのビジョンを実現するか。ただ難病を克服して寿命を延ばしても、老齢期の時間が増えるだけで私は嬉しくないと思うのです。私なりに考える良い寿命の延ばし方は、やはり人生の生き甲斐や充実感をより多く持てる生き方の実現にあると思います。昨日「ココ・シャネル」という映画を見ました。女性が苦しいコルセットに縛られて男の愛玩物扱いされていたのは、まだほんの100年ほど前のことなのです。技術進歩や社会制度の革新などよりも、人の頭の中の既成概念や先入観こそが発展の妨げ。タブーを破壊して、より自由で楽しく暮らせる世の中の実現こそが、私の目指すビジョンの到達点です。長く生きることよりも、どう生きるかということの方が大切なんじゃないかと私は考えています。これから何年小林君と一緒に働けるのか分かりませんが、ビジョンの実現に向けていい時間を過ごしたいですね。

平成を振り返って

令和元年が始まりました。私がリクルートに新卒で入社したのが平成元年4月のこと。思えば社会に出てからの殆どを平成という時代と共に過ごしたことになります。就職、転職、結婚、起業、離婚、再婚、出産、と人生のビッグイベントは全部平成に起きました。この30年、感慨深いものがあります。

日本経済について考えてみれば、バブル崩壊からずっと右肩下がりの低調な時代でした。一時はアメリカを追いこそうかという勢いだったのに、いまや一人当たりの名目GDPは世界27位(出典)。アメリカはともかく、オーストラリア・ドイツ・フランス・イギリスに負けているのはどうかと思います。どうしてこうなってしまったのか?

一つには生産性が高かった製造業を軒並み海外に移転させてしまったことが挙げられます。グローバル最適化を進める上で仕方なかったとは言え、その穴埋めをすべきサービス業が決定的に立ち上がりませんでした。その責はひとえにIT産業にあります。自動車を筆頭に製造業ではそれなりにキーテクノロジーを押さえてグローバルスタンダードを握れたのに、ことIT産業では軒並み失敗してしまいました。OS、CPUは言うまでもなく、近年は重要なプラットフォームを全てアメリカ起業に支配されてしまっています。まあそれは日本に限った話ではなく、GAFAはシリコンバレー特有のエコシステムが生み出したモンスターなので、どこの国もその追随に成功してはいません。トライ&エラーの圧倒的な数の多さと、数少ない成功者をスケールさせる育成システムの充実度が全く違うんですよね。では、日本はこれからどうすべきか?

まずは打席に立つ回数をふやすことですよね。起業家がもっと出てきて、チャレンジする風土を醸成しないとビジネスの種が生まれません。日本の開業率が低位安定しているようではダメですよね。(出典) 私が思うに、この原因の一番は親の教育姿勢にあります。恐らく未だに多くの親が子どもに安定した人生を望みます。不景気が長く続いて将来に夢が描きにくくなった世相を反映して、公務員志望の家庭が多いように見受けます。昔から安定志向の親は多かったのですが、アメリカでこれだけ起業意欲が高いのはやはり圧倒的な成功体験への憧れなのだと思うのです。上記の出典元にある通り、起業を後押しするのは
・起業に成功すれば社会的地位が得られる
・周囲に起業家がいる
という点が大きいと思います。つまり日本では企業を後押しする力が弱いのですね。

時代は令和に移りました。そろそろ失われた30年なんて後ろ向きなことを考えずに、もう一度明るい日本を取り戻すにはどうすればいいか、みんなで考えてみませんか。前向きに新しい提案と実行を始めるタイミングだと思うのです。日本が起業しにくい国だとは思いません。むしろ逆です。世界有数の経済大国なのに、日本語のカベに守られて海外の有力企業が参入しづらい特異な環境は起業に優位なんです。上場のためのハードルも低くて、アメリカ市場に比べるとはるかにローレベルでマザーズなんかにIPOできてしまいます。少しずつですが、CVCなんて仕組みも増えてきてベンチャーにリスクマネーが回り出しています。よほどの経済危機が訪れない限り世界のカネ余り傾向は続くでしょうから、今は起業家にとって”美味しい”時代なんですよね。官僚や古い既得権益職種(医者・弁護士・大企業)に就職するくらいなら、自分で一発当てにいった方がはるかに期待値も満足度も高い人生が送れるのです。仮に起業に失敗しても昔みたいに再起不能に陥ることもありません。銀行からの借金ではなく出資金を集めるスキームを使えば、何度でも再チャレンジは可能なのです。そして失敗した経験は必ず次に活きます。起業しない理由がむしろないのですが、そこを妨げるのは親の教育姿勢が大きいと私は感じています。

でもね、いまは全員がネットにアクセスできる時代。親の古い既成概念なんか、子どもはやすやすと越えていくんです。古い先入観に縛られずに、起業して成功していく実例を多く目にすれば、目ざとい子どもから順にチャレンジは増えていくのだと思います。だから私たち大人の世代は、チャレンジする姿勢を見せることが一番大事。そのプロセスを愉しんで、笑顔で過ごす姿を見せてあげることです。それが子供たちに明日への希望を持たせ、自信と勇気の源になるのだと私は信じます。

先のための準備や備えではなく、今を楽しむこと。笑顔で暮らすこと。やり切ること。他人の目を気にするより、自分の心の歓びを重視すること。それが令和を迎えるにあたって大事な心の持ち様なんじゃないでしょうか。人生を遊びましょう!

リクルート同期会

土曜日に銀座のG8ビルで元リクルートの平成元年入社組同期会が開催されました。平成が終わろうとしているこのタイミングで平成の最初に入社した我々が一同に集うというのもオツなものです。私はたった3年しか在籍しなかったのに、退職してから30年近くずっと付き合いが続いている。この繋がりをもたらしているのは一体何なんだろう。リクルートが持つ独特のカルチャーのパワーとしか言いようがないんですよね。根っこの部分で信頼関係があるんです。多くを語らなくても分かり合えているという”ラポール”みたいなものが。

我々が大学四回生の夏前にリクルート事件が起こり、相当数の内定辞退が出たらしいです。実は1600名ほどの内定者がいたらしいのですが、そこから実際に入社したのは848人。この数に当時の先輩社員たちはホッとひと安心したのだそう。この会社はヤバいんじゃないかと不安だったのですね。当の我々内定者のメンタリティはどうだったかというと、実のところ何も考えてませんでしたw 子供でしたから、事件の意味が分かっていなかったんですね。マスコミは嘘ばっかり酷いことを書くなと憤慨しており、会社の将来に対してたいした懸念も感じていませんでした。当時の正社員が3000人ほどだったはずなので、その1/3が新入社員というのは今考えると異常な比率ですが、普通の会社なら潰れていてもおかしくなかった当時のリクルートを支える土台にはなったのだと思います。その後予期せぬダイエーの傘下入り、一兆四千億円の借金返済といった苦難を乗り切って今日の隆盛を誇るに至ったのは、あの危機を乗り切ったことが大きかったのです。

今私たちは50代というベテランになり、どこの会社でも幹部クラスになっていると思います。人によってはそろそろリタイアのこと、第二の人生について考えるタイミングでしょう。しかしながら集まった同期の多くはまだまだ現役で夢を追いかけている人が多かった印象です。ある同期はこう言ってました。「事業を売却してセミリタイア人生を何年か送ったけれど、やっぱり現役が恋しくて事業に戻ってきた」 それが自然なのだと思います。いくらおカネを持っても、悠々自適な生活が送れても、人生で一番大事なのは刺激なんじゃないでしょうか。人によって頑張る理由はそれぞれでしょうが、なにかしらの満ち足りない思い、ハングリー精神があるからこそ、辛いことに立ち向かえる。私がぬるま湯よりもヒリヒリした緊張感のある人生を選ぶのにも理由があるのです。同期たちの頑張っている姿は励みになりますね。また10年後に顔を合わせて、どんな成果が得られたか武勇伝を交換したいものです。

CONCORSO D'ELEGANZA KYOTO 2019

CONCORSO D'ELEGANZA KYOTO 2019

京都の二条城で開催された「コンコルソ・デレガンツァ・京都2019」、初日の土曜日はお天気に恵まれ、絶好の舞台にクラシックカーが並ぶ様は壮観でした。やはり京都の歴史的建造物と旧車は絵になりますね。

会場では西川淳さんをはじめクルマ好きの知人や旧友と楽しくクルマ談義を繰り広げ、クルマ好きで良かったと改めて感じました。クルマ趣味って、クルマそのものへの愛着もありますけど、クルマを通じた交友関係を得られることが大きな喜びなんですよね。

今回のBest of showはランボルギーニ350 GT Zagatoでした。アメリカからのご参加だったようですね。国を超えたお付き合いができるのもクルマのいいところ。

今回のコンクールのラインナップは若干アルファロメオとランボルギーニに偏っていて多様性に欠けていたきらいもありますが、特別な会場で名車に触れられるのは至福のひととき。残念ながら日曜日は雨でしたが、濡れたクラシックカー達も風情があっていいもの。来年の開催も楽しみです。

これから秋にかけて毎週のように各地でクルマイベントが開催されます。お近くのイベントに是非足をお運びください。きっと皆さんの生活に彩りと味わいをもたらしてくれるはずです。

ドバイ訪問記

年度の変わり目だったのですが子供たちの春休みに合わせてドバイに行ってきました。初の中東訪問です。

発展中の国はどこもそうですが、インフラが大きくて新しい。ドバイ国際空港も関西国際空港の何倍あるんだろうという巨大さ。バゲージクレームポイントまでシャトルで移動して、この広さです。圧倒されますね。

初日はドバイモール。世界最大規模と言われる総店舗数1200の高級店が威容を誇ります。ブランド自体は日本でもお馴染みのものばかりなのですが、違うのはその品揃え。日本ではお目に掛かれないほど多種多様なアイテムが陳列され、それをアラブの民族衣装に身を包んだ王族と思われる富裕層顧客が爆買いしていきます。正直、日本人観光客は相手にされていませんw

二日目はタクシーをチャーターしてアブダビへ。シェイク・ザイード・モスクはまだ2007年にできたばかりの世界で6番目に大きなモスク。アラビアンナイトの世界ですね。

定番のデザートサファリにもオプションツアーで参加。使用車両は全てトヨタのランドクルーザー。ちなみにドバイの街中の日本車率は90%以上(私の主観です) 砂漠での故障は即命取りの環境ですから、信頼性の持つ重みが違うんでしょうね。

伝統的なドバイの商人街であるスークも訪ねました。最近はまず「チャイニーズ?」と呼びかけられる悲しさに日本人のプライドは傷つきますが、「チョットマテチョットマテオニイサン、オカチマチ」と何故か御徒町コールでしつこい客引き。こういうところに中東独特の面倒くさい面が出ます。あまり情をかけているとキリがないんですよね。カモられるだけです。

恐らくウケ狙いだけを考えた海上の人工島、パーム・ジュメイラ。わざわざ珊瑚礁を埋め立てて、高級ホテルとコンドミニアム専用の異次元アイランドを作ってしまっています。

そしてドバイの象徴であるブルジュ・ハリファ。高さ828m、206階建ての世界一のビルです。(ちなみに日本一のあべのハルカスは300m、60階です) 設計はアメリカの事務所で建設施行はサムスン物産です。

ドバイを訪問しての感想は明暗両方に分かれました。暗の方は、意外と行ってみたらショボかったという全体印象。ドバイは富裕層でごった返しているという勝手なイメージがありましたが、思ったほどは発展していませんでした。これなら深圳や上海の方が上だと思います。ビルの集積度はそれほどでもなく、街が横に細長いのでドバイモール周辺やフィナンシャルセンター、マリーナ地区など、複数に発展エリアが分散していて迫力に欠けます。街中で殆どスーパーカーを見かけなかったのも意外。これなら東京の方がはるかに多くの高級車が走っています。あと、食べ物中心にやたら物価が高いです。というか、今や日本がコストパフォーマンスのいい国になっちゃってるんですよね。そりゃインバウンドで爆買いしに来ますわ。

明の方は、インフラへの投資振り。これはもう日本の各施設が貧相に見える豪華さとスケールの大きさ。どうして日本の高速道路は2車線しかないんでしょうね。日本人はシステムの基本設計が苦手なのかと思ってしまいます。細部の仕込みは見事なんですけどね。石油が出ないドバイは、中東の経済発展のお手本。金融を中心に世界各国から投資を呼び込んで、まさに今成長中の国である迫力は感じました。集積度合いはまだまだですが、来年のドバイ万博を良い呼び水に街中凄い建設ラッシュではありました。来年以降に訪れればまた印象は変わるのかもしれません。

私は普段神戸におりますので、東京に行くたびに凄いなと規模感に圧倒されるんですが、海外に行くと更に上を行く発展振りに毎回驚かされます。日本だけを見ていちゃダメなんだな、世界視点でグローバルに考えないと、と気付かされるのです。コンタクトのビジョンは「ワールドクラスの事業を創り出す」です。まず思わなければ何も始まらない。志は大きく持つべき。そう再確認させられる良い機会でした。

アップル vs. ネットフリックス

アップル vs. ネットフリックス。映像配信サブスクで激突、投資1兆円超の戦略

Appleが映像配信のサブスクリプションサービス強化に動いています。普通に考えれば圧倒的な資金力を誇るAppleの優勢なのですが、さすがグローバルマーケットではエースプレイヤーが活躍中、そう簡単にはいきません。最大のライバルはAmazon Primeビデオなのでしょうが、めきめき追走しているのがNetflix。ウチの家族も全員加入しています。CEOのリード・ヘイスティングスの言葉にシビれますね。
アップルは素晴らしい企業だが、我々は、我々のサービスの上で、我々が作ったコンテンツを見てもらいたい。彼らのサービスには参加しない。競合から学ぶことはできるが、競合とともにビジネスをしようとは思わない
こんなこと普通言えます? 時価総額世界トップの企業相手に真っ向から勝負ですよ。チビリそうですw

当然ながらNetflixには勝算があるわけで、
コンテンツの内容は重要だが、あればいいわけではない。多様で質の高いコンテンツを持っていることが重要で、特に“多様である”ということが大切だ

アメリカでは、英語以外で作られた作品を見る人は非常に少ない。だが、アメリカの外には魅力的な作品は山のようにある。吹き替えを行ない、アメリカ人も興味を持つよう提示することで、ようやく見てもらえるようになる。そもそも、英語をネイティブに話している人々は、世界中でたった5%しかいない。
だから、世界中で支持されるには、吹き替えや字幕には力を入れる必要がある。その結果として、“ネットフリックスには他にないコンテンツがある”と理解してもらえて、サブスクリプションの契約が継続する(イエリン氏)
Appleはコンテンツプラットフォーマーとしてのポジションを確立することが優先で、独自コンテンツを作ろうとは思っていません。踏み込みの深さが映像配信専業のNetflixの強みなのです。ユーザーベースで1.4億人を抱えるまでに成長したNetflix、Huluや既存TVメディアを振り切ってトップランナーの地位を固めるのは間違いなさそうですね。

振り返って日本国内は弱小プレイヤーの乱立状態。小粒感が見ていて嫌になります。せめて中国やアジアマーケットを押さえて、欧米プレイヤーに一泡吹かせてやりましょうよ。大きなターゲットを見据えることが大事なのだと痛感します。

おちゃのこネット名古屋セミナー開催しました

おちゃのこネット名古屋セミナー「私はコレにこだわっています」
女性経営者に聞く、選ばれるネットショップ作りのヒント

概ね二か月に一度のペースで開催しているおちゃのこネットセミナーですが、名古屋での開催は初めて。中京圏のお客さまには大変お待たせいたしました。

今回嬉しかったのは、事前アンケートで「岡野さんに会いたい」という参加動機を回答頂いた方がいらしたこと。タレントでもない私に会って喜んで頂けるなんて気恥ずかしいですけど、嬉しいです♪

今回のセッション1では弊社の馬頭より、モチベーションラインという考え方をご説明させて頂きました。つまりどのようなサイトの見せ方をすれば顧客の離脱が防げるのか、という心理的な施策ですね。サイトにも商品ページにも、ストーリーが必要。なぜこのお店で買うのか、なぜこの商品を買うのか。その理由をきちんと説得できなければ、どんなに沢山の商品を並べていても売上は上がりません。それができていないから、多くのお店は売り上げが作れず退場していくのです。おちゃのこネットでも多くのお店は月商10万円以下の水準から脱却できていません。私は一人でも多くのショップオーナーさまに成果を上げて頂いて、長くお店を続けて頂きたいのです。小手先のテクニックよりも、こういう根本的な芯の部分の考え方を身につけて頂くことが成功への近道だと思います。

セッション2ではいつものパネルディスカッション。今回も名古屋の有名店「SPLASH」さまにご登壇頂きました。本当にいつ見てもセンスのいいほれぼれするデザインのサイトですよね。ご夫婦で創業から経営に携わっておられる石田店長に日頃のネットショップ経営の裏側をお話し頂きました。お店を立ち上げて数年はご夫婦二人で運営をされて、ヤフオクへの出品で売れ線の商品の見極めと値頃感を掴み、全てのコンテンツを自前で作り、コツコツと実績を積み上げてこられました。検索エンジンへの露出、リスティング広告、メルマガ発信、FacebookやInstagramなどのSNSの活用、独自の読み物コンテンツの整備。それぞれが当たり前の施策を、ただし高品質に実行しておられます。デザインや見せ方についてはオーナーさんのセンスとしか言いようがないので簡単には真似できませんが、売上を作っていくプロセスそのものは王道ですから参考になるはずです。セッションの途中から参加オーナーさんからお悩みの相談などもあり、具体例を交えたやり取りが時間をオーバーして続きました。

そして最後の打ち上げ。実はこの時間が私にとって一番楽しい時間でもあります。顔なじみの古いオーナーさんたち数人とお互いの近況報告をして、おちゃのこネットがいまどういう状況で何をしようとしているのかお伝えしました。実はいま裏側で凄いことが進行中でして、東京で買収したエンジニアのSES会社を舞台に、新しい人材の採用と新規の開発チームの編成、そしてAIを活用した新しいツールの企画と開発がスタートしているのです。永年神戸で思ったような採用が進まず慢性的な人材不足に悩んでいましたが、状況はこの数ヶ月で様変わり。貴重な人財を多数確保することに成功し、戦略を考えられるキーマンの獲得と併せて新しいビジョンに向けて邁進中です。向こう数ヶ月でこの成果を形にしてお目に掛けられるはずです。どうぞ新しいおちゃのこネットにご期待ください。再度成長軌道に会社を乗せたいと強く決意しています。

アートに数字で裏付けする

経営はアートである。これは一面の真実で、どんなにもっともらしい理屈を寄せ集めても、成功するビジネスを創り出せるとは限りません。スタートアップが成功する時の要因として創業者の個人的なセンスが大きな要素として挙げられることに皆さんも同意されるでしょう。上手くいくときはそれでいいんですが、問題はスムーズに立ち上がらなかったときです。創業者の勘は概ね間違っていなくて、そこにビジネスチャンスは存在するんですが、上手にマーケットフィットが実現できていない。その時は速やかにビジネスモデルの修正が必要です。
失敗するスタートアップのサイクル:‬
起業目的で起業する

‪ 思い込み信じる‬
‪ ↓‬
‪ 自分が作りたいプロダクト作る‬
‪ ↓‬
ローンチする

‪ 見たい指標計測‬
‪ ↓‬
‪ 思い込み強化‬される
‪ ↓‬
‪ 誰も欲しがらないものできる

途方に暮れる‬

共同創業者が辞める
‪ ↓‬
‪ 金もやる気もBurn‬する

田所雅之さんのご指摘ですが、耳が痛いですねw 確かにありがちなんです。思い込みで創ること自体は仕方ない、だってどんなプロダクトも創業者の想いをカタチにしたものなのだから。問題はそのプロダクトがマーケットニーズからズレていた時です。立ち上げたプロダクトが最初からヒットすることばかりではないので、どこかでピボットすることはよくある話。どう賢く軌道修正できるかが、別れ目なんです。
成功するスタートアップのサイクル‬:
自ら起業しないと解決できない課題に出会う

‪ 冷静に課題仮説構築する‬
‪ ↓‬
‪ 一次情報獲得‬
‪ ↓‬
‪ 仮説検証‬
‪ ↓‬
‪ 他人が気づいてないインサイト発見‬
‪ ↓‬
あるべきUX/あるべき顧客の状態を考える

‪ MVPをリリース
‪ ↓‬
‪ 指標を因数分解し計測‬
‪ ↓‬
指標ベースにイテレーション/UX改善を継続

‪ PMF達成‬

このサイクルを実行するには、優れたアドバイザーが必要になります。創業者のアートを補完するマーケターの存在。これが普通は見つからないんですよね。例えるなら、USJを成功させた森岡毅さんみたいな人。数字に強くて、事実を客観的に見れる人。できれば創業者に柔らかく説明できるコミュニケーション能力に優れた人であればベスト。恐らく起業経験がないと創業者の胸に響かないと思います。そんな人をどうやって見つけるか。

実はいまは、気の利いたプロフェッショナル人材の紹介サービスがいくつもあるんです。完全に雇用するとなるとコストもかかりますから、まだ成功していないベンチャーには敷居が高い。しかし副業前提の短期支援モデルであれば、コストを抑えて、アドバイザーも現職に在籍しながらリスクを抑えたチャレンジの機会が得られるというwin-winの関係が得られます。ウチは既に良い人を正社員で抱えることに成功しましたが、アドバイスサービスも試してみるつもりです。近日ご報告させて頂きますね。

スピードを維持したまま、精度を上げる。これがベンチャーの成功に不可欠なのだと思っています。

ワールドクラスの事業を創り出す

コンタクトのビジョンは何でしょう、と問われます。確かにそこを明確に言語化はしてきませんでした。それではいけないので、馬頭さんと相談して次のように定めました。

「ワールドクラスの事業を創り出す」

なかなか壮大ですねw しかし、ビジョンとはこうでなくてはならないのです。それが達成できたときに心からの達成感と満足感を得られる、誰にとってもワクワクする目標。そうでなければ、目指す意味がないからです。

ワールドクラスという言葉には色んな意味が込められています。一つは、神戸という地方都市から東京に負けない仕事を発信することで、地方を活性化する。もっと大きな視点からは、存在感が低下する一方の日本を活性化し次の世代にいい形のバトンタッチをする。

おちゃのこネットが身の丈を超えて英語版のサービスを提供し続けているのは、世界を見た仕事をしたいからです。我々が神戸を離れずにいるのは、地方の意地なんです。

いま有能な人たちが続々と集まってきてくれているのを感じます。まだおちゃのこネットは成長の勢いを取り戻していないけれど、CARZYは軌道に乗ってはいないけれど、それでも我々はワールドクラスを意識したい。時価総額一兆円は、そのモノサシだと思っています。神戸に一兆円の企業が生まれたら、きっと周囲にインパクトを与えられますよね。

期限は私の70歳の誕生日。あと18年。本気で狙います。

iPhoneの次を探せ

次の稼ぎ頭を探すApple

恐らくここ数年、ずっとAppleの経営陣はこのテーマに向き合ってきたはず。これ、考えるだにハードルの高いミッションです。世界で一番売れていて収益をもたらしている製品の次を探す。このミッションをクリアできる経営者が果たして世界に何人いるでしょうか。

もし私がAppleの社長なら。そう考えてみるのはとてもいい思考トレーニングです。クルマという選択肢もあったのですが、彼らは放棄しました。恐らくハードルが高すぎたのです。テレビというのも良い切り口なのですが、Netflixがこれだけ大きなってはもう手遅れでしょうね。Appleはプライドに懸けても既存の大きなプロダクトやサービスをそのまま買うことはないでしょう。ではどうするか?

私ならイヤホンかな。やっぱりAppleはハードウェアの会社、それも最先端のITカルチャーの会社だと思うのです。これから絶対に必要なのは多言語間のコミュニケーションとウェアラブルデバイスによる高次なマン/マシンインターフェース。Googleグラスの失敗に見るように、眼鏡では違和感ありすぎなんです。そこをスマートに納められるのは意外とイヤホンなんじゃないでしょうか。AmazonのAlexaやSiriのような音声応答システムは違和感のないUI/UXとして有望だと感じます。世界中の人が耳にApple Earを付ける未来、充分アリですよね。

事業開発パートナーという立ち位置

K.S.ロジャース

こちらの民輪さんはCARZYのCTOを引き受けて頂いています。今日の午前中のスプリントミーティングで民輪さんの今後の事業プランを尋ねたところ、自社サービスの開発と、事業開発パートナーという立ち位置を追求したいと。なるほど。さすが目線が高いですね! 正直なところ、私は楽らクラウド社について目先の売上を上げるために受託開発スタイルへの移行しか考えていませんでした。それでも普通のSES会社が派遣でピンはねビジネスに甘んじていることからすると大きな飛躍なのですが、事業開発パートナーは更に斜め上を行きます。

事業開発パートナーとは何か? つまり新規事業を志す新興スタートアップとがっぷり四つに組んで、リスクを負ったビジネスパートナーとして立ち上げの苦労を共にするということです。そこに求められるのはただの開発会社ではなく、あるときは戦略コンサルティングであり、資金調達アドバイザーであり、共同出資者であることもあるでしょう。相応のリスクを負う覚悟とハイエンドなスキル提供が求められます。

そこで大事なのは事業の立ち上げ経験、特に成功した実績ですよね。どれだけ美辞麗句を並び立てても、一定のスケールに事業を成長させた裏付けがなければ言葉に説得力は出ません。その意味では私にある材料はおちゃのこネットの実績とCARZYの立ち上げ経験。まだまだインパクトはありませんね。当面CARZYの立ち上げに全力を注ぎますが、必ず成果を出して、次のステージは後進の育成にかかりたいのです。立ち止まっている暇はありません。

「起業の科学」

起業の科学

Amazonで経営戦略カテゴリーの70週連続ベストセラーだそうです。もしまだお読みでなければ、ご一読をオススメします。

起業セミナー&オフィス見学会「スタートアップを成功させる7つのポイント」

こちらで田所さんに直接尋ねましたので間違いないと思いますが、私は経営はアートだと思っています。田所さんもそこは同意で、本書で実現したかったのは95%の失敗を未然に取り除くこと。しかしそれはそのまま残り5%の成功を導くものではないのです。最終的には、起業家の勘とセンスに依存する、それがスタートアップの世界です。

どんなアイデアを採用するか、誰と組むか、どこから手を付けるか、全てがクリティカルで答えのないテーマです。いくら望んでも目の前の手の届くところに解決の選択肢があるとは限らない。リソースを充分確保しようと考えるから、大企業はスピードで勝てないのです。拙速でも意志決定の速度で勝っていくしかスタートアップに勝ち目はない。その現場でいちいち数字の裏付けを取っていては間に合わない事も多いのです。だから最後にモノを言うのは、経営者の勘なんです。勘とは永年の経験とインプットから総合的に導かれるその人のエッセンス。それが外れている、質が低いということになれば、その起業家にはセンスがないのです。

私にそのセンスがあるのかないのか。答えを出すために用意された時間はそれほど多くはありません。今年一年が勝負です。

AIによる文章執筆

AIによる自動文章作成ツールがあまりにも高精度のテキストを簡単に作り出してしまうため開発陣から「危険過ぎる」と問題視される

現在の第三次ブームと呼ばれるAIが、本物の人工知能なのか、ただの少し賢い変換エンジンなのか、私には分かりません。レイ・カーツワイルが唱えるシンギュラリティが本当に2045年に来るのなら、そろそろ本当の神が現れてくれないと間に合わない気がします。

上記の文章作成ツールも、ある意味データベースから適切な文言を抽出して整形しているだけで、自分で考えて文章を書いているわけではありませんから、”知能”とは呼びにくいですよね。しかしながら、私たちが何かを考えるとき、何か思考のベースとなる材料なり参考となる知識が存在しているわけで、それを元に自分の頭の中にある言葉を選んで組み合わせているだけだとしたら、GPT2のやっていることと大して変わりはない気もします。人は自分たちが思うほどに創造的なことはしていないのではないか、そんなことを考えたりもします。少し怖いですね。

巨人の肩に例えられるとおり、技術の進歩は不可逆的に進んでいきます。良かれ悪しかれ、それが事実である以上、エコやロハスといった左派思想で懐古主義に陥っている余地はないと思っています。AIも、原発も、遺伝子組み換えも、タブー視している暇があるなら、欠点をなくして実用性を向上させるための研究開発に注力すべきだと思っています。新しい技術にマイナス要素は必ず付いてまわりますが、だからといって副作用を理由にその技術を捨てていては進歩はないのです。

私が生きていれば、2045年には79歳。シンギュラリティの到来を私は見てみたいですね。