コロナショックの今できること

2020年がこんな年になるなんて、誰も思っていませんでしたね…。もうオリンピックどころの話ではなく、世界の医療と経済に及ぶ甚大なダメージをどう押さえ込むか、まさに人類とウィルスとの戦いです。大所高所からの開設や提言は専門家にお任せして、私は零細の事業者がいま何をすべきかに焦点を絞って考えをまとめてみようと思います。

知人の喫茶店経営者に「お店を閉めるべきかどうか迷っている」とご相談をいただきました。こういうとき、経営者、オーナとして見識を問われます。その方は、結局お店を閉める決断をなさいました。素晴らしいご判断だと思います。

この方の場合はご自身お一人でお店を運営なさっていたので、雇用への心配をする必要がありませんでした。しかし一人でも従業員を雇っていれば、話は簡単ではありません。人命をリスクに晒すわけにはいきませんが、目の前の現実として売上を失ってなお人件費を負担するだけの余裕があるか。大多数のお店にその余裕はないはず。ではいま何をすべきなのか。

1.キャッシュの確保
 私は創業以来20年余り、無借金を志向してきました。小さい所帯ながら事業スタイルの変遷を何度か繰り返してきたので、転換期には一時的につなぎの資金が必要になったこともありましたが、父親に短期的に借金をして、すぐに返済をしましたので金融機関からの借り入れに頼ることはありませんでした。しかしながら、大きなM&Aをする機会が訪れ、更に新規事業への投資金額が膨らんだこともあり、昨年は金融機関にかなりの額の借り入れを申し入れました。取引のあるメガバンク一行と、取引のなかった地銀一行から借り入れを受けることができました。コロナを予見していたわけでは全くありませんが、それでも東京オリンピックが終わった後の景気後退局面を想定して手元のキャッシュを積み増ししておこうと考えたのは事実です。今思い返しても正しい判断でした。企業は会計帳簿で赤字を出すから潰れるのではありません。キャッシュが尽きたときに潰れるのです。その意味では、内部留保だろうが借り入れだろうが、いまはキャッシュこそが大事。借り入れできるのなら、それが政府融資だろうが身内だろうが銀行だろうが、可能な限り現金を調達すべきです。使わなければ置いておけばいいんです。この低金利時代には調達コストは誤差の範囲です。

2.コストカット
 永く経営をしていると、知らず知らずのうちに余計な支払いが増えているものです。もう一度銀行通帳とクレジットカードの明細をチェックしましょう。喫緊の用途以外の無駄な出費はありませんか。義理でお付き合いしている貢献度の低い支払いはありませんか。売上を増やすことは大変で時間がかかりますが、コストをカットするのは一瞬でできます。ぜい肉を落とす良いチャンスと考えて、経費を見直しましょう。

3.IT武装
 我田引水ですけどw、こんな時だからこそ、やっぱりIT武装を進めることは大事なんだと思います。実際問題対面でのサービス提供ができなければ、ネットを使うしかありません。物販をされているところはネットショップ、サービス提供の業態でしたらウェブサイトを強化しましょう。もしまだお持ちでないなら、この機会にネットのチャネルを作りましょう。ホームページの作成、Google MapやGoogle Localへの登録、予約サービスの導入、などすぐにできることは沢山あります。ウェブチャンネルをお持ちのところでも、販促に予算を割いてらっしゃらないお店が結構あります。Googleリスティング広告、Facebook広告、Twitter広告、などは少額の予算ですぐに出稿できます。ライバルが広告予算を削っているいまは以前より安価に広告を出せるチャンスでもあります。この機会にマーケティングスキルを勉強して、戦闘力を高めましょう。

4.人の採用
 もしあなたのビジネスが比較的コロナショックの影響を受けていないのなら、いまは採用のチャンスでもあります。普段なら手が届かない質の高い人材を採れるかもしれません。株と同じで、他人と同じことをしていてはダメです。逆張りは多くの場合効果的です。


多くの人がコロナショックは長期化すると悲観的な予測をしています。勿論余談は許しませんが、しかし日本にコロナウィルスが入ってきたのはかなり初期のはず。しかしその後の感染の拡がり方がヨーロッパ・アメリカと比べて致命的ではありません。東京パラドックスなんて言葉もありますが、そこには何か原因がある気がします。本当にBCG接種が効いているのか、それとも弱毒性の菌種なのか、私にはわかりませんが、三カ月程度でピークアウトして明るい見通しが出てくる気がしています。どのみち我々にできることは限られています。目の前のビジネスと会社を守ることが、家族と従業員にとっての最重要事項。ウィルスよりも経済のダメージの方がより人命を左右するのです。感染リスクを下げながら、ビジネスへの影響を最小限にする。難しい綱渡りですが、なんとか乗り切りましょう。不況や災害を乗り切ったあとには、より強くなった自分がいるはずですから。

高速にゴミを作っていませんか?

これはアジャイルコーチの大友さんに言われた言葉です。ショッキングで、未だに頭を離れませんw "ゴミ"と言われるとさすがに抵抗ありますが、確かに一生懸命作っているプロダクトがマーケットに受け入れられていなければ、それは価値のないものを作っていると指摘されても否定できません。良いものであっても、顧客に届いていなければそれもまた同じことです。あなたはゴミを作っていないと言い切れますか?

振り返ると、創業してからの20年強、モノ作りにフォーカスしてきました。初期はWebの受託制作。これは文字通りクライアントに言われたモノを早く安く作ることがミッション。手を動かしてナンボ、でしたからそこに迷いはありませんでした。Autostepmail、おちゃのこネットを始めてからはユーザーから追加機能に関する要望がひっきりなしに来ましたから、そこにも特に迷いはなく、必死に沢山の機能を作り込んできました。その結果、こんなことになってしまった感があります。

イノベーションのジレンマというヤツです。最初はマーケットニーズを下回るプリミティブなプロダクトからスタートしたのに、気付けばいつの間にかマーケットのニーズを超えた必要以上に複雑で高機能なプロダクトになってしまっている。これは困った状況です。さて、どうすべきか。

いくつか答えはあります。我々が選択したのは、高機能なプロダクトになっている現状を認識して、ベテランショップオーナーさんに永く使って頂けるプロダクトとしての位置付けを強化しようというものでした。申し訳ないですが、高機能になっている分を利用料金の値上げというカタチで修正させていただき、初心者向けの簡単なサービスという出発点から少し立ち位置をずらしました。そしていま、ショッピングカートに付帯する周辺プロダクトを新たに開発するロードマップを組み立てています。その第一弾が「おちゃのこネットPOP-UP」サービスです。ウザいとお感じの方もいらっしゃるでしょうが、原始的でありながら訪問者に対してアテンションを効果的に引き出せるツールであることも事実です。実際に賢い使い方をされているショップさんがありますから、来週のセミナーで効果的なご利用方法についてお伝えしたいと思っています。

もし、もう一度Easyでコストパフォーマンスの良いプロダクトを提供するなら、それは既存のおちゃのこネットとは別の新プロダクトを作るべきなのでしょうね。そこまでやるかどうかは、まだ決めていません。これはこれで、また一つの答えになると思います。

進むべき道がいくつもあるとき、大事なのは戦略を練ることです。今までの私たちは、すぐに手を動かしてモノを作るということを意識しすぎていました。しかしそうやって作りだしたプロダクトがもしゴミ(嫌な表現ですが)だったら、それはとても悲しいことだし、投入した時間やコストが無駄になります。アジャイル開発のスタイルを取り込んで、開発の生産性は上がりました。それは大きな成果。そしていま考えるべきことは、作る前にじっくり腰を落として何を作るべきかを考える習慣をみにつけることです。それが、「仮説検証」プロセス。

優先度が高くて、エビデンスが取れていない”仮説”は何なのか。これをみんなで意見を出し合い、大事なことからなるべくコストの安い方法で検証を進めます。「おちゃのこネットの売上を増やす」「CARZYのトラクションを出す」という会社にとって一番大事なテーマを正面に据えてそのためのアイデア出しをすると、みんな自分のこととして真剣に考えてくれます。みんなで手を動かしてアイデアをポストイットに書き出して、ホワイトボードに貼り出す。それを見ながらワイワイと意見を交わして、やるべきことを決めていく。なかなか楽しい体験です。設定したテーマについてのアイデアを出す”仮説検証MAP”、優先度の高い施策を洗い出す”インパクトMAP”、洗い出した施策を高速に回す仕組みである”スクラム開発”。「アジャイル型開発」を成功させるためのメソッドというのがあるんですよね。たぶんちゃんと理解して取り入れている会社は少ないはず。全ての会社がクリエイティブになるために、オススメの手法です。

時代が進んで、成功するための知見は蓄積されているんです。一つでも多くの成功事例を作って、日本が元気になるといいですね。

2019年の振り返り

アジャイル開発では振り返りというプロセスがあるので、仕事納めの日に今年一年を振り返ってみます。

創業して21年になりますが、過去最高に人の出入りの多い年でした。入社してくれたスタッフも多かったのですが、残念ながら退職者も多かった。こちらの受け入れ体制の不備もあり、申し訳ないことをしたスタッフもいたのでそこは反省点。ただ結果的に重要なポジションにキーマンが確保でき、戦略担当やデザイナー、開発チームリーダー、営業担当などスタッフの陣容は充実しました。人しかリソースのないIT企業にとって、良い人が確保できたことが最大の成果です。そこは素直に喜びたい。事業の方はまだ成果に結びついていませんが、種まきは一生懸命したので来年以降の収穫を楽しみに待つことにします。

経営者の役割は「種をまくこと」
公益法人の役員の任期は2年です。ちまたでは「2年では短く、成果は出しにくい」との声も聞きます。ですが、私は必ずしもそうは思いません。なぜなら、経営者の役割は「果実を収穫すること」ではなく「種をまくこと」だと思うからです。将来に向けてどれだけ多くの種をまけるかは必ずしも特定の時間が必要なわけではなく、夢のある大きなビジョンや、多くの仲間と志を1つにできることの方が重要だと思うのです。
確かにそうですよね。まずは種まきしないと収穫の秋は来ない。チャレンジがカタチになるのには時間がかかりますが、ひるまずに攻める姿勢を貫こうと思います。

ものごとが上手く運んでいるかどうかの指標って、関わるメンバーの笑顔の量で表せるのだと思います。その意味ではみんな楽しそうに仕事をしてくれている様子で、私も嬉しくなります。この笑顔の輪を、お客さまや取引先や周囲の人たちに拡げていきたい。新年が笑いに包まれた良い年になりますように。

令和に生きる私たちが失ったもの

’89 牧瀬里穂のJR東海クリスマスエクスプレスのCMが良すぎて書き殴ってしまった

読んでて感動で涙が出ましたw このCMが流れた1989年は平成元年、私が大学を卒業して社会人としてスタートした思い出の年です。確かに色んなできごとがあった年でした。何といってもベルリンの壁崩壊はもう歴史に残る大エピソード。オイルショック、世界大恐慌と並ぶクラスの現代の一大事です。個人的にはリクルート事件の大波をもろに被りましたし、電電公社の民営化と国鉄の民営化は日本に特大のインパクトを与えました。中曽根さんは大宰相だったなぁ。

この元記事ではそういう時代背景を振り返った上で、現代の私たちが失ってしまったものを挙げています。
この現代は嫉妬が渦巻く世界だと思う。SNSの発達はコミュニケーションを発達させたが、それはあまりに過剰になりすぎた側面もある。つまり、あまりに人の成功が届きやすくなったのだ。

煌びやかな生活をする人も、充実した日々を送る人も、素敵な仲間に囲まれる人も、知らない世界の何かではなくなってしまった。確実にこの世のどこかに存在すると分かってしまったのだ。

例えば、それ感情はSNSを取り巻く「嫉妬」の感情に現れているのかもしれない。成功者を引きずり下ろし、幸せな人を破滅させる、そういった炎上がまるで娯楽のように存在する。そして、やはり僕自身にも人の幸せや成功を素直に喜べない嫉妬めいた何かがある。そんな30年後の世界において、牧瀬里穂のこの笑顔は貴重なのだと思う。
全てを変えてしまったのは、携帯電話とネットですよね。マクルーハンが、メディアこそが社会を変革すると喝破したのは正しいのです。良くも悪くも、私たちは繋がってしまいました。良いことも悪いことも秒単位で津波のごとく押し寄せてくるのですが、何となく悪いことを目にすることの方が多くなってしまった気がします。そして効率化されたはずの時間に追われ、日常から間合いが失われてしまった気がします。知らなくていいはずのことを知り、気付かなくていいはずのことに気付いてしまう。そして人との関係が壊れるスピードが速くなってしまった。想像力や思いやりでくるまれていたものがむき出しになってしまった現代。それはみんなが望んだ世界だったのか。

何度もこの動画を見直して、本気で胸が苦しく、切なくなりました。ああ、この感じが懐かしい。スマホを持ち歩いていなかったあの頃は、こんな想いをしょっちゅうしていたよな。人に連絡をとること、逢うってことが今よりずっと特別だったころ。一つ一つの行動に余白みたいなものがあって、気持ちの色がついていたんですよ。若い人にはわからないかな。時間は巻き戻せないけど、もっと濃密な時間があったあの頃を懐かしく思い出す。たぶんそれは進歩した技術がまだこなれていないんだと思う。未来はこういうものを取り戻す方向なんだよ。

チームビルディング

会社経営の肝を一つだけ挙げよと言われたら、間違いなく人のマネージメントにあると考えます。資金調達や売上拡大も大事ですが、全ての要素は最終的に人に帰属します。一番大事なのは、良い人を採用すること。次は、その人が活きるような配置と役割分担を与えることです。仕事が独りでできるものではない時点で、チームビルディングの巧拙が企業の業績に直結するのは自明ですよね。

皆さんは「ピーターの法則」をご存知でしょうか。
全ての組織とポジションは無能で満たされる
これは一件乱暴な表現に思えますが、深い洞察に裏付けされています。例えば非常に有能な営業マンがいたとします。当然高い業績を上げるので、会社は昇進させます。リーダー、課長、部長、本部長、取締役。組織の階段を登っていったとき、どこかに本人の能力の限界が訪れます。その限界の一歩手前で定着するのが幸せな在り方なのですが、普通は無能が証明されたポジションで出世が止まり、本人も周囲も持て余すという状況になりがちです。これが日本中の組織で起きているのではないでしょうか。

ITエンジニアについて考えるとわかりやすいのですが、プログラミングのスキルとマネージメントスキルは全く別物です。有能なプログラマーが必ずしもチームマネージメントに向いているわけではない。というか、普通は向いていません。かといってプログラマーとして成果を出せていないメンバーをチームリーダーに抜擢するのも難しいでしょう。マネージメント能力に秀でているかもしれないのに、プログラマーとしての実績を評価尺度においてしまうからです。

本人も組織も、階層上の上位者がエラいと考えてしまいますが、冷静に考えるとそんなことはないんですよね。部長より高い報酬の証券トレーダーとかいますし、高い専門性スキルとマネージメント能力は本来比べる対象ではないんです。だからもし間違ったポジショニングをとってしまったら、本人と組織が合意した上で、ポジションを下げた方がお互いに幸せということを多々あるのです。これを降格と考えない組織風土が求められるのかもしれません。本人にもプライドがあるでしょうから、なかなか難しいことではあるのですが。役職という考え方が古いのかもしれませんね。理想は強いサッカーチームでしょうか。ヘッドコーチとキャプテンがいて、メンバーはフラットなチーム組織。もちろん経営層は別に存在するのですが、チームとしてどう高いパフォーマンスを発揮するかをチームメンバー全員が摸索して、組み合わせと役割を調整する。そんなチームビルディングに成功した企業が成果を出せるのだと思います。

社長だってただの役割です。上がりのポジションと考えている古い日本企業が経営で外資に負けているのはそこの意識にある気がします。創業者は特別ですが、経営者もプロスキルだという認識が必要ですね。現場の質がまだ高いうちに経営層をレベルアップさせないと、日本企業の勝ち目は巡ってこないんじゃないでしょうか。

スター不在

韓国のトップ囲碁棋士、AIを「打ち負かすのは不可能」として引退決断

少し前にこんな記事を見かけました。イ・セドル九段は誰もが認める囲碁のトッププロなのですが、AIに勝てないから引退というのは違うだろと思いました。いや、ご本人がそうお考えになったのは事実なのでしょうが、ファンは人間のプロにAIに勝ってほしいと思っているわけではないということです。本当に見たいのは、人間ドラマなのです。

私が将棋にハマっていた中・高校生の頃、日本の将棋界はキラ星のような個性で埋め尽くされていました。死ぬまで現役A級を死守した不世出の勝負の天才・大山十五世名人、その大山を追い落とした”棋界の若き太陽”中原十六世名人、彗星のごとく出現した天才・谷川十七世名人、泥沼流と剛腕を恐れられた女たらしの米長、プロ歌手との二足のわらじでセンスを羨まれた内藤、振り飛車アナグマの大内、カミソリ勝浦、いぶし銀の桐山、妖刀花村、天才升田幸三の晩年にもお目に掛かることができました。何も文献を見なくてもこうやってスラスラ名前が挙がるほど、一人一人のキャラが立っていたのです。こんなメンバーが毎年死力を尽くして繰り広げる順位戦を見守ることが面白くないわけがありません。

そうやって考えると、いまの時代、各界でスーパースターと呼ばれる人が少なくなっているのを感じます。マイケル・ジャクソン、マイク・タイソン、ミハエル・シューマッハ、スティーブ・ジョブズ、クラスのスターが見当たりませんよね。これだけネットで世界が繋がって狭くなったのに、影響力という点ではネット出現前の時代の方がはるかに上だった気がします。私が単に年を取ってオッサンになって懐古主義になっているだけなのか、世界が小さくまとまってしまったのか。ちょっとしたスキャンダルですぐに総攻撃される今の有名人が気の毒で、飛び抜けた個性が生きづらい世の中になってしまっている気が私にはします。

私たちが本当に見たいのは、ドラマの中の架空の人物じゃなく、生身の人間のリアリティのあるドラマなんです。そんな濃密なドラマが見れなくなっているのは寂しいけれど、他人じゃなくて自分自身がドラマの主人公になれる時代が来ているのならそれは大きなトレンドの変わり目なのかもしれません。YouTubeやTwitter、Instagramで昨日まで無名だった一般人が芸能人並みのフォローを集めているのを見ると、隔世の感があります。そう考えると、舞台の上のスターを見ているだけだった自分が、その舞台に上がれてしまう時代。ある意味こちらの方が幸せなのかも。ネットの登場で全ては変わってしまいましたね。

ミャンマー訪問

初めてミャンマーを訪問しました。なぜミャンマーなのかと問われると、元リクルートの先輩たちとの恒例のアジアツアーで各国を回っているのですが、もう残りの国が少ないのです。私が参加していない回も含めると、タイ・フィリピン・インドネシア・ベトナム・カンボジア・中国と訪問し、先輩二人が居住するマレーシアを含めると東南アジアの国々をほぼ網羅したことになります。

冬の日本から亜熱帯のミャンマーに着いた途端に気温と湿度の高さに参りましたが、騒々しい空港到着ロビーの活気に「ああアジアにやってきたな」という実感も持ちました。明らかに経済力は日本が上なのに、訪れた観光客が感じるその国のパワーはアジア各国の方がはるかに上。普段は何とも思いませんが、日本が老大国になってしまっているのだという事実を肌で感じます。

これは首都ヤンゴンで最も有名なシュエダゴン・パゴダ。ダウンタウンからほど近いエリアに巨大な金色の塔がそびえ立ちます。入口で靴を脱ぎ、長い階段を登ると、いきなり出現する黄金のパゴダ。このスケールに圧倒されますね。外国人観光客が多いのはもちろんですが、地元の人たちも多く訪れ、この国が熱心な仏教国であることがよくわかります。表面に張られている金箔は数年おきに張り替えられているらしく、キラキラまばゆいばかりに輝いています。オススメは夕方に訪問すること。ゆっくり日が沈むと徐々にその姿を変え、ライトアップされた照明と相まって幻想的な雰囲気に包まれます。何時間でも居れるね、と先輩が思わずもらした言葉が印象的でした。

こちらはヤンゴン市内からヤンゴン川をフェリーで渡ったDala地区。ここに火葬場があり、その周囲にヤンゴンの再貧困エリアがあります。お米とお菓子を用意してDonationに行ったのですが、案内人が鐘を鳴らすとうわっと村中から子供たちが集まり列ができます。Donationされ慣れてる感もありますがw、どの家も簡単な木の骨組みに風雨をしのぐだけのあばら屋ですから見ていて痛々しいです。この子供たちはここから脱出できるんだろうか、対岸の都会に出て人生を盛り立てることが可能なのだろうか、なんて色々考えちゃいました。このDalaへのDonationツアーを勧めてくれたミャンマー在住の元Rの先輩は「この人たちを見てると自分も元気だそうっていう気になるよ」と言ってましたが、本当にその通り。おカネがなくても、みんな屈託のない笑顔で明るいんです。満員電車で朝から死んだような顔してる日本人よりよほど生き生きしてる。どっちが幸せかはわかりませんよね。一人の人間としてのパワーはミャンマーの方が上だと感じました。

一つ驚いたのは、日本でも有名なアウン・サン・スー・チー女史率いるNLDが政権を握って、却って経済が失速しているという事実。どうやら前政権の腐敗を摘発するために公共事業などを一斉にストップして監査しているみたいで、そりゃ悪影響出ますわな。清川の…、の例えにある通り、あまりに清貧を求めると特に発展途上国は仕組みが上手く回らない気がします。拙速は巧遅に勝る、の通り、意志決定スピードの速さこそが重要なんじゃないでしょうか。これは日本でも同じ。政府組織はしかたないにしても、大企業が経営で外資に負けているのは経営層の判断の遅さが主因。であれば我々中小企業はスピードで勝負すれば勝ち目があるということです。そう考えれば希望が持てますね。

日常を離れてたまには旅に出ると、色々リフレッシュできます。お疲れの方は思い切って時間を取ってみてくださいね。

主語の大きさ

我々はともすると、「日本は」「若者は」なんて言葉で対象を一括にして語ってしまいます。しかし最近、それは危険な発想ではないのかなと思うようになりました。あまりに主語が大きすぎて議論が粗雑になっているのではないだろうかと。

確かに一定の傾向はあります。日本とアメリカや中国は違う国で、歴史も文化も気質も異なります。さまざまな現象をスッパリ切って落とす明快な理論を目の当たりにすると、論じ手の明晰な頭脳に感動してカタルシスを感じたりします。だから自分もあやかりたいと、古来床屋談義や居酒屋のオッサン語りが繰り返されてきたのでしょうね。

いろんな物事を変えてしまったのは、ネットの登場です。もはや世の中はネット以前と以後で全く違う理屈で動いています。人は自分の目で見、耳で聞いて、口で話す言葉と共に生きていますが、いまやその情報の入手先は圧倒的にネットになってしまいました。半径3mの周囲が自分に与えるインパクトは年々小さくなる一方なのです。

集団への同調圧力が薄れ、個人の価値観が多様化していく中で、観測できる人の集団規模は小さくなっていくのです。サービス設計も、数を追うより、小集団のコアに刺さるかどうかが成果を左右します。自分が語るストーリーの主語が大きくなりすぎていないか、振り返ってみる姿勢が大切な気がします。

世界で勝てる日本企業

今の若いひとには信じられないかもしれませんが、日本はアメリカを追い落として世界一の経済大国になりかけていたことがあるんですよ。今の中国のような立場といえばお分かりいただけるでしょうか。後年バブル期と言われる1980年代がそうでした。

戦後の高度成長が人口ボーナス期の追い風を受けて絶好調だった日本。転機は二度のオイルショックでした。西欧諸国が成長の限界に直面して恐れおののいた苦境を乗り切ったのは、省エネ技術だったのです。日本の細部にこだわる精神性と、分厚い中間層がアナログすり合わせという特技で世界の最先端に躍り出ました。この時期の日本の躍進ぶりはアメリカにとって心底脅威だったと思います。社畜ぶりが揶揄され、欧米とは異質な文化を背景とする異民族の得体の知れないパワーに西欧は恐怖感を覚えたのです。当時のアンチ・日本ぶりは下記の動画を見れば一目瞭然。

●日本車を壊すアメリカの労働者 『日米貿易摩擦』



今でも日本車の競争力はキープされていますが、1980年代当時は家電・半導体・繊維・素材、あらゆる製造業カテゴリーで日本企業が世界を席巻していました。しかし1989年のバブル崩壊を境に日本企業の勢いは失われていきます。冷戦の終結によるグローバル市場の創出、さらにインターネットの出現への対応遅れ。製造現場の知見がデジタルに置き換わり、最新の製造設備を購入さえすれば途上国でも最先端技術をキャッチアップできるようになったことが日本の強みを失わせてしまいました。アナログ技術が重視される現場力よりも、投資判断がモノを言う経営戦略勝負に勝敗の帰趨は変化してしまったのです。経営幹部の質、経営戦略で日本はアメリカ・中国に負けてしまっていますよね。

いま求められているのは、新たな”日本の勝ちパターン”です。と書いて気付きましたが、主語が”日本の”というのは大きすぎるのかもしれませんね。もはや日本企業を一括りにできる時代ではなく、個別企業が個別の戦略と努力で成功を摸索する時代なのでしょう。

世界時価総額ランキング

日本企業で勝ち組と目されているのは、トヨタ、ユニクロ、ソフトバンク、日本電産、リクルート、ダイキン、コマツ、ブリヂストン、キーエンス、ファナック、あたりでしょうか。本来、現代的な価値を創出しているべきIT企業の名が上がらないのは残念ですね。メルカリ、サイバーエージェント、DeNAあたりの国内有名IT企業も世界ではまだまだ無名の存在です。

個人的には、食とポップカルチャーの分野は日本が独特の強みを発揮できている領域で、今後も有望だと思っています。日本語の壁に甘んじず、世界市場で本気勝負してほしいものですね。就職人気企業ランキングと世界での評価はズレていますが、若い人には外に目を向けて実力企業で腕を磨いてほしいです。一人でも多くのチャレンジャーが生まれることが、この国を元気にするのだと思っています。

アジャイルSESというコンセプト

一説には東京都内に2万社のSES企業があるのだそうです。SESとはわかりやすく言えば、プログラマーの派遣ビジネスです。ご存じない方からすれば普通のビジネスだとお思いになるでしょう。ところが、ここに日本のIT業界の悪いところが集約されているのです。

“IT土方”という言葉があります。建設業界に見立てた多重下請構造を揶揄する表現なのですが、なかなかツライ現実を表しています。今でこそコンプライアンス遵守の世相で長時間労働はなくなりつつありますが、それでも発注元の圧力で不当・不条理な環境に甘んじているエンジニアは沢山います。ソフトウェアの開発というのは聞こえの良さとは裏原に、とてつもない労働集約型の仕事なんですよね。多分、プレファブ工法が普及した建設業界の方がよほど合理化・効率化されていると思います。大手銀行の勘定系システムのリプレースなんかが典型例なのですが、大人数のチームを編成してウォーターフォール式の大規模開発を行う現場はエンジニアが駒扱いされて納期と品質のプレッシャーに喘いで疲弊しています。そりゃ精神病むよな、と同情したくなります。

ソフトウェア開発のスタイルは、大きく二つの流儀に分かれます。一つは上記のウォーターフォール式、もう一つが比較的新しいアジャイル式です。これらはどちらが優っているというものでもなく、目的に応じて使い分けるべきなのですね。ざっくり言うと、ウォーターフォール型は、開発する仕様が決まっていて比較的大規模な案件向き。アジャイル型は、コンシューマー向けのプロダクトなど仕様が固まっていなくて柔軟な対応が求められる案件に向いています。ウチのおちゃのこネットとCARZYはこのアジャイルスタイルで開発をしています。乱暴な言い方ですが、ウォーターフォール型の開発案件は古い大企業の現場に多く見受けられ、アジャイル型はベンチャーや新しめの企業で採用されることが多いのです。仕様と予算と納期を予め決めてヨーイドンで開発するプロジェクトの方が予算を組んで管理する大企業には採用しやすいんですよね。アジャイル式は柔軟なスタイルな分、いつどんな成果物が上がってくるのか予測がつかず、管理がしづらいデメリットがあります。特に新規性を要求されない業務システムの開発ならウォーターフォールで構わないんですが、出してみないと顧客の反応が見えないWebサービスやアプリなんかは短いスパンで開発を回していくアジャイル式の方が無駄がなく効率的な開発が期待できます。ただ比較的新しい手法だけに、クライアントも見通しが立たない怖さがある。比較的小さくて新しい企業が採用することが多いのは、リスクを取ってでも良いものを作ろうという若さがあるからですね。

楽らクラウドは、従来はどこにでもある平凡なSES会社でした。しかしいま、このアジャイル型の開発手法にフォーカスした新しいやり方にシフトチェンジしようと考えています。顧客の現場になるべく近いポジションで、柔軟なアジャイル手法で合理的なソフトウェア開発にチャレンジする会社。顧客の目線に近い立ち位置でサービス設計レベルの提案ができる開発会社であることで、リモートワークに象徴されるような自由度の高い開発スタイルを実現する。これができれば、エンジニアにとっての幸せな仕事環境が手に入るはず。クライアントもエンジニアも双方がハッピーな理想形ですよね。

レベルの高い人材によるレベルの高い仕事をする魅力的な開発会社を目指します。目標は、それが達成できた時に心から満足感が得られる高いものでなければ意味がありませんから。

日本の未来は明るい

なんてお書きすると意外に思われるでしょう。この30年負けっぱなしの日本は随分先行きが暗い国になってしまいました。敗戦後からオイルショック(1973年)まで高度成長を遂げて絶対の勝ちパターン、つまり”良いモノを安く作る”で世界を席巻したジャパンパワーは、プラザ合意(1985年)後の内需拡大でバブルを招き、バブル崩壊(1989年)以降は全く世界で勝てなくなってしまいました。優秀な現場力でアナログな摺り合わせ技術を磨いた勝ちパターンが通じなくなってしまったんですよね。面倒なアナログ摺り合わせ技術からデジタルにノウハウが移転して、韓国・台湾・中国が最新の製造設備を導入すれば良いモノを安く作れるようになってしまった。そこで日本は先進国としての新しい勝ちパターンを作らねばならなかったのですが、作れず今日に至る。つまり平成以降に生まれた若者はもう勝っていた日本のイメージを持てないわけです。おカネが回らないから結婚や子育てにも踏み切れず。そりゃ少子化になりますよね。じゃあどうすればいいのか。

日本の未来は明るい

辛口な渡辺千賀さんがこうまで日本の将来に楽観的なエントリーを書かれることが本当に意外でした。読んでみて納得。確かに日本はダイバーシティ化が急速に進んでいます。

日本がいつのまにか「世界第4位の移民大国」になっていた件

これを聞いて本気で驚いたんですが、日本って移民に厳しい政策を取っていると思っていたので世界四位の移民大国とは知りませんでした。確かに東京でコンビニや飲食店に入ると店員さんは外国人だらけだし、日本企業の中に外国人の方を多くお見受けするようになっているとは感じていました。
歴史上栄えた文明は、アジアも含め、移民比率の高い場所で起こった
これは自明の事実ですものね。そうすると外国人が増えている今の日本の状況は良い傾向と考えるべきなのでしょうね。純粋な日本国民が2/3程度いればカルチャーは守れそうだし、多少コスモポリタンな国になってもそれはもうグローバル化の必然と受け入れるしかないのだと思います。
企業にダイバーシティが必要だ、と言われるのは、「可哀想な人をちゃんと使ってあげましょう」ということではなく、ダイバーシティによってアイディアの幅が広がる、人材の母集団が増えることでより優秀な人が集められるようになる、といったことで業績が向上するから。「何が変えられるか」という判断が違う人たちが増えるのももちろんダイバーシティである。
これはウチでもひしひしと感じています。ここ半年ほどで入社した新しいメンバーがどれほどの新しい風をもたらしてくれたことか。化学反応って起きるんですよね。企業の経営陣に外国人や女性がどんどん増えて、日本に活力が戻ることを本当に願っています。まずは自社から、ですよね。

仕入れを値切るな

ドキッとされた方も多いのではないでしょうか。実は私もそうでした。これは知人である”日本一予約の取れない焼き肉屋さん”肉山の光山英明さんの言葉なんです。

赤身肉ブームの先駆け的存在『肉山』。「決して値下げ交渉しない」理由とは?

何が値打ちあるって、光山さんは”値切ってなんぼ”のこてこての大阪人なんですよね。だからこそ、言葉に重みがあります。私も関西で暮らして長いので知らず知らずのうちに値切るカルチャーが染みついていまして、どうしても値段交渉をしたくなります。その時にこの言葉を思い出して、じっと我慢をするようにしています。その理由とは。

仮に言い値を値切って仕入れたとします。仕入先さんはどうお感じになるでしょうか。”値切られた” ”どこかでコストを下げて元を取ろう”と考えるのが普通じゃないでしょうか。つまり値切ることで本来得られるはずだったモノやサービスの質が下がってしまうのです。逆に言い値で買った場合はどうでしょうか。”良いお客だ” ”この付き合いを大事にしよう”と思うのが人情です。つまり普通の取引よりも身を入れて良いものを納入しようと考えるのじゃないでしょうか。これはモノに限らず、ソフトウェア開発やコンサルティングなどのサービス提供の場合も同じことです。つまり取引においては、

1.言い値で買う
2.買わない

の二択しかなく、3.値切って買う、は最悪の手段なんですね。よく考えると今まで恐ろしいことをしていました。

これ実は関西の悪癖なんだと思います。大阪人はケチることを自慢する風潮がありますけど、それで失っている機会がどれだけあるか考えてみるべきです。質の高いサービスを提供したいと思っている会社も個人も、できるなら東京で高く買って欲しいと思いますよね。そうやって良い人や会社がどんどん東京に逃げていくのです。だから関西に文化も会社も育たないと言われちゃうんじゃないでしょうか。

節約する、始末することとケチることは本来違うはずなんです。無駄なお金を使う必要はありませんけど、何でもケチって値切る意識は捨てた方がいいですよね。自戒を込めて。

上海訪問記

週末に上海に行ってきました。元リクルートのメンバーでアジアの会という集まりが毎年2回ほど開催されており、私は初めての参加でした。前に社員旅行で訪れたのが2011年のことだったので、もう8年が経ちました。今でも上海市内はあちこちで大きなビルの建築ラッシュが続いており、活気は衰える様子がありません。普段神戸にいると東京に来ただけでエネルギーに気圧されますが、海外の成長都市が持つパワーには圧倒されてしまいます。東京も形なしですね。

外灘(バンド)と呼ばれる新しいエリアはここ15年ほどの発展ぶりが特に著しく、大きなビルがどんどん建っています。深センでもそうでしたが、あべのハルカスなんかより高いビルがあちこちにあるんですから、日本は完全に負けてます。今回一番驚いたのは、海底撈という流行りの火鍋屋さんのサービスレベルの高さ。同行した同期の友人曰く、日本の支店よりも中国のお店の方がサービスがいいと。中国人の店員さんといえばつっけんどんで愛想の悪さが典型なんですが、彼女は丁寧に客の心を拾って応対してくれているのが伝わってくる。ついにサービスで日本が中国に遅れを取るようになったのかと、最後の拠り所を攻略されてしまったようで寂しい気持ちになりました。

そういえば、友人はこう言っていました。「人が悪いんやない。悪いんはルールや!」。全くそのとおりだと思います。であれば、中国人のマナーの悪さも、日本の経済停滞も、悪いのはルールなんでしょうね。認めたくはありませんが、そこは政治の役割なのかもしれない。衣食足りて礼節を知る、を実現させた中国共産党は本当に凄い。過去30年に渡って停滞に有効な手を打てなかった日本は本当に情けない。政治に期待できない我々はどうすべきか?

一人でも多くの日本人が、リスクを負って攻める姿勢を持つこと。それに尽きるのではないでしょうか。茹でガエルに甘んじていてはなりません。チャレンジしましょう。人が老いるのは挑戦する気持ちを失った時なのですから。

もう一つのスティーブ・ジョブズ物語り

PIXAR <ピクサー> 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話

今やレジェンドになったスティーブ・ジョブズですが、カリスマの人間的な一面が垣間見れるIT業界人必読の書です。物語の始まりは1994年の一本の電話から。Appleを追い出され、再起を懸けてチャレンジしていたNeXTもPIXARも迷走続きで結果の出ない日々を送っていたジョブズがスカウトしたのが筆者であるローレンス・レビー。この一人のCFOが驚きの成功をもたらすストーリーには、どんなフィクションも及ばないリアリティと興奮があります。意外だったのはジョブズの素顔です。

すごいアイデアも出てくるけど、的外れも少なくないんだ
スティーブの打つ手は何でもビシビシ結果が出ていた気がしていますが、それは成功したあとに振り返っていい場面だけを拾うからバイアスが掛かっているんですね。思い返すと、SONYにおける盛田昭夫さん、ホンダにおける藤沢武夫さんのように、偉大なビジョナリーの夢を形にしていく有能な実務家が成功には不可欠なのかもしれません。スティーブは何でも自分の思うようにしようという独善的なところがありますが、挫折経験を経てはじめて人の言うことに耳を傾けるようになったのかもしれませんね。
スティーブとは、いつもだいたいこんな感じのやりとりだった。大きな問題でも小さな問題でも、スティーブは激しい議論を展開する。議論は同意できる場合もあれば同意できない場合もある。同意できない場合、私は、彼が激しいから譲歩するのではなく、あくまで事態の打開に資するから譲歩という姿勢で臨む。スティーブも、自分の考えを押しつけるより、議論で互いに納得できる結論を出し、ともに歩むほうを好んだ。ピクサーにおける事業や戦略は、彼が選んだものでも私が選んだものでもなく、こういうやり方で得た結果だと思うと、何年もあとにスティーブからも言われている
有能な補佐役との出会いも望んで得られるものではないのだと思います。スティーブにはその縁を引き寄せるパワーがあったということなのでしょう。

実はPIXARは10年に渡り私費を5,000万ドルも投入しながら全く成果が上がっていない苦しい状況でした。カオスな状態から、当面のキャッシュの手当、何が収益を生み出す元となるのかの見極め、ディズニーとの交渉、IPOの道筋と実現、そしてバイアウトという着地。筆者の果たした役割はとてつもなく大きい。スティーブ・ジョブズ復活のお膳立てをしたのはローレンス・レビーだと断言しても過言ではないでしょう。

生の成功ドラマを読んでいると、本当にワクワクします。そしてそこに自分を当てはめてみる。自分にも同じことができるだろうかとイメージしてみる。身の程知らずなのかもしれないけれど、それでも思わなければ絶対に実現はしない。夢を追う人の背中をそっと押してくれる、そんな勇気をくれる本でした。

「NETFLIXの最強人事戦略」

●「NETFLIXの最強人事戦略

働き方改革の名の下に色んなワーキングスタイルが摸索されていますが、恐らく今一番進んでいる事例の一つだと思います。インパクトのあったところをご紹介。
重要な行動規範の周知を図り、それを実行するかどうかを各人の裁量に任せる
ネットフリックス文化の柱の一つは、「徹底的に正直であれ」だ
エンパワメントに関していえば、私はこの言葉が大嫌いだ。よかれと思ってやっているのだろうが、そもそもエンパワメントがこんなに注目されるのは、今行われている人材管理の手法が従業員から力を奪っているからにほかならない。力をとり上げることを狙っているわけではないが、やたらと介入しすぎる結果、従業員を骨抜きにしている。
従業員に力を与えるのではなく、あなたたちはもう力をもっているのだと思い出させ、力を存分に発揮できる環境を整えるのが、会社の務めだ。そうすれば、彼らは放っておいてもめざましい仕事をしてくれる
ビジネスリーダーの役割は、すばらしい仕事を期限内にやり遂げる、優れたチームをつくることである。それだけ。これが経営陣のやるべきことだ
若干抽象的で分かりにくいかもしれません。しかしながら、企業が作り上げてきた様々な人のマネージメントの仕組みが、本当に機能しているのか全員が考え直した方がいいと思います。例えば分かりやすいのは、
有給休暇制度の廃止を考えてみよう。従業員には、「妥当だと思うだけの休暇をとり、適宜上司と相談してほしい」とだけ伝えた。さてどうなったか?彼らは前と変わらず、夏期とホリデーシーズンに1、2週間ずつ休暇をとり、子どものスポーツの試合のためにちょこちょこ休みを入れた。従業員を信頼し、自分で責任をもって時間を管理させることは、彼らに力をとり戻させるために私たちがとった初期の施策の一つだった。
有給休暇制度を廃止したんですよ! これはちょっと衝撃でした。ウチで同じようにしたらどうなるだろうか? 
従業員を大人として扱うとよい成果が得られること、また従業員もそれを望んでいることがわかった
まあ、そうなんですよね。リモートワークを導入するときのポイントがここにあって、要するにスタッフを信用するかどうかが問われるんです。信用できないと、自宅でもちゃんと仕事をしているのか監視しようとしてカメラを付けたり細かい報告を上げさせたり、ロクな方向に行きません。人は信用されれば、その信頼を裏切りたくはないものだという哲学がないと実行できない施策なんです。


しかしながら、普通の企業がいきなりNetflixを真似て同じ仕組みを導入しても失敗すると思います。それはNetflixの人事システムを支える前提条件というものがあって、それは高い労働流動性が確保されているからだと思います。
今のチームが理想のチームでないことが、私たちの足かせになっていないか?
会社は家族ではなく、スポーツチームだ
社内の人材を登用すべきか、社外からハイパフォーマーを連れてくるべきかを判断する
私も今まで”家族”という言葉をよく使っていましたが、そこにはある種の嘘が紛れています。家族なら解雇することも新たに採用することもないのですからね。ウェットな感情を持ち込みすぎずに、スポーツチームとして必要な人材を適所に配置する、という考え方をした方が気持ちが楽ですね。だからチームにフィットしないと判断すれば、そこは人を入れ替えて良いのだと思います。その人が悪いわけじゃない、ただこのチームにフィットしなかっただけ。無用な人格攻撃をせずに、お互い客観的に適性のマッチングを判断できるといいですよね。

Netflixの特徴的なカルチャーとして、徹底的に正直に情報をオープンにするスタイルがあります。
やるべき仕事の内容や背景情報を、従業員に明瞭かつ継続的に伝えることだ。「これが今の正確な状況で、これが私たちの成し遂げようとしていることだ」と伝えるのだ。マネジャーが、やるべき仕事と事業上の課題、幅広い競争環境について伝え、説明し、隠し立てのない姿勢でいることに時間をかければかけるほど、方針や承認、インセンティブの必要性は薄れる
これが答えです。本来は社内に隠しごとなんてないはずなんですよね。腹を割って本音で話せるか、都合の悪い情報も含めて全てをさらけ出してオープンになれるだけの度量があるか。最後は経営者の器を問われるのだと思います。