ホイットニー・ヒューストン

年に一度の音楽業界のお祭り、グラミー賞はアデルの6部門制覇という華々しい結果になりましたが、お祭り騒ぎというよりはホイットニー・ヒューストンの追悼の場となりました。

「ボディーガード」のイメージが強いのですが、晩年は決して順調とは言えず、薬物トラブルや破産の危機をなんとか周囲の好意で凌いでいた状態だったらしいです。

こちらとかにある彼女の動画をつらつらと見ていて、本当に良い曲が多かったんだなと痛感。

こういう時に思い出すのは、さとなおさんが加藤和彦の自殺に際してアップしていたエントリーです。



もっとちゃんと伝えよう。
たぶん、一時期でも時代の先頭を走った人は、自分の中でのハードルがどんどん上がり、下げられなくなってしまうのだろうと思う。真面目で真摯な人ほど高く高くハードルを上げる。そしてある日ハードルを越えられなくなった自分に気づき、「みんなの期待に応えられない自分」が自分の中でクローズアップされていく…。



いままで素晴らしいものを提供してくれただけで、こんなにもボクらの人生は豊かになっているのに。その素晴らしい価値に気づかないまま、ボクらの声も届かないまま、深く悩み、苦しんでいく。



手軽に、簡単に、いろんな芸術作品やありがたい言葉やオリジナルな情報を享受できるようになった現代。

手に入れやすくなったからこそ、こちらからも手を伸ばして、もっとしっかり感謝や愛情を「伝える」ことをしないといけないのだと思う。彼らには心ない言葉もたくさん届いている。それに負けないくらいたくさん「心ある言葉」を伝えないといけない。ここでも書いたが、意外と本人には伝わってない。誰かがきっと伝えてるよと思っても意外と誰も伝えていない。それどころかとっても孤独な状態にいたりする。それはきっとサイレント・マジョリティがサイレントのままでいるからだ。
若いときから長く長く創造活動をやっているアーチストたちは、多かれ少なかれ同じ苦しみを感じながら創作活動をやっているのだろうと思う。身勝手に「今度のアルバムつまんねぇ。○○も終わったな」とか言えるのも聴く側の権利ではあるが、長く聴かせてもらっているファンとしてはそういう客観評価とは違う軸で応援していく態度が必要なんだろうな。



家に帰って、ユーミンとか桑田とか達郎とか元春とか、若いときからずっと聴いているアーチストたちのCDジャケットを見ながらそんなことを考えてた。せめて借りずに買わなきゃなぁ(最近の数枚は借りた)。頭の隅でユーミンや桑田が自殺したらどう思うかを想像した。うぅ。心が痛すぎる。もっとちゃんと応援しないと。


そうなんだよな〜

この時代、余計なノイズばかりが届いて、ちゃんとしたポジティブなメッセージが意外と届いていない気がします。

大事な才能が若くして消えた時、その責任のいくばくかは受け手である我々にもあるんじゃないでしょうか。

いつまでもサイレントじゃダメなんだ。

ありがとう、や、おめでとう、の気持ちをもっとちゃんと伝えないと。

それは、スターに対しても、身近な人でも、同じなんだ。

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