近畿地方を台風7号が直撃しているお盆休みの最中に書いています。雨はそれほどでもないですが、風が強いですね。新幹線も停まって行楽予定が狂ってしまった方も多いでしょうね。被害が大きくないといいのですが。
実家が空き家になってしまったので、形ばかりですがお盆のお飾りをカミさんが設えてくれました。こういう行事ごとをきちんとやってくれるのはカミさんが京都出身であることが大きいと思います。やはり様式美を大事にするということが身に付いているんですね。考えてみると、お盆もお祭りも年末年始もクリスマスだって、イベントごとには全部それぞれのカタチがあります。長い年月を超えて受け継がれてきた決めごとや手順、道具などが伝統というものです。我々昭和生まれの人間にはまだこれを守ろうという気持ちがありますが、私たちの子どもの世代になったときにどうなるんでしょうね。今の親世代は子どもにあれこれ強制することがダサいという考えが定着しています。だから結婚式もしない、イベントはどんどん簡略化、決めごとは風化するばかり。多分、お葬式だって散骨で終わり、なんてのが当たり前になりそうですよね。これから冠婚葬祭業は大変です。
こういう一見面倒で意味のない決めごとって、なんで生まれたんでしょうか。多分娯楽のなかった昔の人が、生活を楽しむための工夫だった気がします。平凡な毎日がただ365積み重なった一年が過ぎていくだけではあまりに抑揚がなくて寂しい。だから秋の豊穣を祝う祭りが盛んに執り行われ、一年の区切りで来し方を振り返り新年に想いを馳せる。家族の誕生日をお祝いする。婚礼や葬儀の儀式に大勢が参加する。これが生活のアクセントになっていたんでしょうね。このカタチの価値は、子供たちにはなかなか理解できないものです。私も歳をとり、親がいなくなって、しみじみと感じる様になってきた感覚です。年寄り臭い感傷なのかもしれませんねw
歴史的なスケールで見れば、少々お金持ちになろうが有名になろうが、人間の存在なんてちっぽけなものに過ぎません。命の灯を延々と受け継ぐ世代のリレーの中では個人の意味なんてないんですよね。であれば、ガツガツせずに身の回りの人の役に立つ、穏やかな存在でありたい。最近はそんなことを考えます。ご先祖様に手を合わせる感覚、大事ですね。合掌
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