ドキッとするタイトルで恐縮ですが、私のことではなくとある知人のことです。最近とんと開かなくなったFacebookを本当に久しぶりに開いてみたら、一番上にあったのがこの投稿。「早ければ余命三カ月、長くとも半年から一年」とありました。しばし呆然…
そこまで親しく日常的にお付き合いしていた方ではないんですが、一時は色々お世話になった方。今は残りの時間を考えて、旧交を温める全国行脚の旅の最中なのだそうです。まあ、そうなりますよね。ひとまず体は今のところお元気で、動ける状態ではある。それで余命幾ばくもないとは信じられません
せめて何かメッセージを、と思って画面を開いたのですが、この状況で何をお書きすればいいのやら…
自分自身ももういい歳なので、最近は自分の人生の終わらせ方についてよく考えます。まあしかし、日常的に好きなことを好きにやらせてもらっているし、何かを我慢しているわけでも先延ばしにしている計画があるわけでもない。となると、残された日までにやることは、実はいつもの日々の暮らしになるのかもしれない。自分が逆の立場で、どんな言葉を掛けられたいか考えてみても、特別なことは思い浮かばない。多分、この方もそうなんじゃないかなと想像して、「○○さんらしいですね」とだけお伝えしておきました
普段、いのちのことなんて考えながら暮らしている人はいないだろうからピンとこないと思いますが、皆さんはやりたいことやってますか? もし明日が自分の最後の日だとして、やり残したことはありますか?
もしやり残したことがあると思うなら、それをすぐにやるべきですよね。今なら、体も動くし、気力もある。本当に老いてからでは、やりたいと思っても肝心の気力がない
考えてみると、みんなつまんないことで大切な時間を失っていますよね。誰かが偉いとか偉くないとか、おカネがあるとかないとか、認めてほしいとか馬鹿にされたとか。自分じゃない人と比べて何が嬉しいのか。自分が本当にやりたかったのは何だったのか。大切なのは誰と過ごす時間なのか
死に向き合うから、生の意味が見えてくる。たまには振り返らねばなりませんね

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