スター不在

韓国のトップ囲碁棋士、AIを「打ち負かすのは不可能」として引退決断

少し前にこんな記事を見かけました。イ・セドル九段は誰もが認める囲碁のトッププロなのですが、AIに勝てないから引退というのは違うだろと思いました。いや、ご本人がそうお考えになったのは事実なのでしょうが、ファンは人間のプロにAIに勝ってほしいと思っているわけではないということです。本当に見たいのは、人間ドラマなのです。

私が将棋にハマっていた中・高校生の頃、日本の将棋界はキラ星のような個性で埋め尽くされていました。死ぬまで現役A級を死守した不世出の勝負の天才・大山十五世名人、その大山を追い落とした”棋界の若き太陽”中原十六世名人、彗星のごとく出現した天才・谷川十七世名人、泥沼流と剛腕を恐れられた女たらしの米長、プロ歌手との二足のわらじでセンスを羨まれた内藤、振り飛車アナグマの大内、カミソリ勝浦、いぶし銀の桐山、妖刀花村、天才升田幸三の晩年にもお目に掛かることができました。何も文献を見なくてもこうやってスラスラ名前が挙がるほど、一人一人のキャラが立っていたのです。こんなメンバーが毎年死力を尽くして繰り広げる順位戦を見守ることが面白くないわけがありません。

そうやって考えると、いまの時代、各界でスーパースターと呼ばれる人が少なくなっているのを感じます。マイケル・ジャクソン、マイク・タイソン、ミハエル・シューマッハ、スティーブ・ジョブズ、クラスのスターが見当たりませんよね。これだけネットで世界が繋がって狭くなったのに、影響力という点ではネット出現前の時代の方がはるかに上だった気がします。私が単に年を取ってオッサンになって懐古主義になっているだけなのか、世界が小さくまとまってしまったのか。ちょっとしたスキャンダルですぐに総攻撃される今の有名人が気の毒で、飛び抜けた個性が生きづらい世の中になってしまっている気が私にはします。

私たちが本当に見たいのは、ドラマの中の架空の人物じゃなく、生身の人間のリアリティのあるドラマなんです。そんな濃密なドラマが見れなくなっているのは寂しいけれど、他人じゃなくて自分自身がドラマの主人公になれる時代が来ているのならそれは大きなトレンドの変わり目なのかもしれません。YouTubeやTwitter、Instagramで昨日まで無名だった一般人が芸能人並みのフォローを集めているのを見ると、隔世の感があります。そう考えると、舞台の上のスターを見ているだけだった自分が、その舞台に上がれてしまう時代。ある意味こちらの方が幸せなのかも。ネットの登場で全ては変わってしまいましたね。