2019年の振り返り

アジャイル開発では振り返りというプロセスがあるので、仕事納めの日に今年一年を振り返ってみます。

創業して21年になりますが、過去最高に人の出入りの多い年でした。入社してくれたスタッフも多かったのですが、残念ながら退職者も多かった。こちらの受け入れ体制の不備もあり、申し訳ないことをしたスタッフもいたのでそこは反省点。ただ結果的に重要なポジションにキーマンが確保でき、戦略担当やデザイナー、開発チームリーダー、営業担当などスタッフの陣容は充実しました。人しかリソースのないIT企業にとって、良い人が確保できたことが最大の成果です。そこは素直に喜びたい。事業の方はまだ成果に結びついていませんが、種まきは一生懸命したので来年以降の収穫を楽しみに待つことにします。

経営者の役割は「種をまくこと」
公益法人の役員の任期は2年です。ちまたでは「2年では短く、成果は出しにくい」との声も聞きます。ですが、私は必ずしもそうは思いません。なぜなら、経営者の役割は「果実を収穫すること」ではなく「種をまくこと」だと思うからです。将来に向けてどれだけ多くの種をまけるかは必ずしも特定の時間が必要なわけではなく、夢のある大きなビジョンや、多くの仲間と志を1つにできることの方が重要だと思うのです。
確かにそうですよね。まずは種まきしないと収穫の秋は来ない。チャレンジがカタチになるのには時間がかかりますが、ひるまずに攻める姿勢を貫こうと思います。

ものごとが上手く運んでいるかどうかの指標って、関わるメンバーの笑顔の量で表せるのだと思います。その意味ではみんな楽しそうに仕事をしてくれている様子で、私も嬉しくなります。この笑顔の輪を、お客さまや取引先や周囲の人たちに拡げていきたい。新年が笑いに包まれた良い年になりますように。

令和に生きる私たちが失ったもの

’89 牧瀬里穂のJR東海クリスマスエクスプレスのCMが良すぎて書き殴ってしまった

読んでて感動で涙が出ましたw このCMが流れた1989年は平成元年、私が大学を卒業して社会人としてスタートした思い出の年です。確かに色んなできごとがあった年でした。何といってもベルリンの壁崩壊はもう歴史に残る大エピソード。オイルショック、世界大恐慌と並ぶクラスの現代の一大事です。個人的にはリクルート事件の大波をもろに被りましたし、電電公社の民営化と国鉄の民営化は日本に特大のインパクトを与えました。中曽根さんは大宰相だったなぁ。

この元記事ではそういう時代背景を振り返った上で、現代の私たちが失ってしまったものを挙げています。
この現代は嫉妬が渦巻く世界だと思う。SNSの発達はコミュニケーションを発達させたが、それはあまりに過剰になりすぎた側面もある。つまり、あまりに人の成功が届きやすくなったのだ。

煌びやかな生活をする人も、充実した日々を送る人も、素敵な仲間に囲まれる人も、知らない世界の何かではなくなってしまった。確実にこの世のどこかに存在すると分かってしまったのだ。

例えば、それ感情はSNSを取り巻く「嫉妬」の感情に現れているのかもしれない。成功者を引きずり下ろし、幸せな人を破滅させる、そういった炎上がまるで娯楽のように存在する。そして、やはり僕自身にも人の幸せや成功を素直に喜べない嫉妬めいた何かがある。そんな30年後の世界において、牧瀬里穂のこの笑顔は貴重なのだと思う。
全てを変えてしまったのは、携帯電話とネットですよね。マクルーハンが、メディアこそが社会を変革すると喝破したのは正しいのです。良くも悪くも、私たちは繋がってしまいました。良いことも悪いことも秒単位で津波のごとく押し寄せてくるのですが、何となく悪いことを目にすることの方が多くなってしまった気がします。そして効率化されたはずの時間に追われ、日常から間合いが失われてしまった気がします。知らなくていいはずのことを知り、気付かなくていいはずのことに気付いてしまう。そして人との関係が壊れるスピードが速くなってしまった。想像力や思いやりでくるまれていたものがむき出しになってしまった現代。それはみんなが望んだ世界だったのか。

何度もこの動画を見直して、本気で胸が苦しく、切なくなりました。ああ、この感じが懐かしい。スマホを持ち歩いていなかったあの頃は、こんな想いをしょっちゅうしていたよな。人に連絡をとること、逢うってことが今よりずっと特別だったころ。一つ一つの行動に余白みたいなものがあって、気持ちの色がついていたんですよ。若い人にはわからないかな。時間は巻き戻せないけど、もっと濃密な時間があったあの頃を懐かしく思い出す。たぶんそれは進歩した技術がまだこなれていないんだと思う。未来はこういうものを取り戻す方向なんだよ。

チームビルディング

会社経営の肝を一つだけ挙げよと言われたら、間違いなく人のマネージメントにあると考えます。資金調達や売上拡大も大事ですが、全ての要素は最終的に人に帰属します。一番大事なのは、良い人を採用すること。次は、その人が活きるような配置と役割分担を与えることです。仕事が独りでできるものではない時点で、チームビルディングの巧拙が企業の業績に直結するのは自明ですよね。

皆さんは「ピーターの法則」をご存知でしょうか。
全ての組織とポジションは無能で満たされる
これは一件乱暴な表現に思えますが、深い洞察に裏付けされています。例えば非常に有能な営業マンがいたとします。当然高い業績を上げるので、会社は昇進させます。リーダー、課長、部長、本部長、取締役。組織の階段を登っていったとき、どこかに本人の能力の限界が訪れます。その限界の一歩手前で定着するのが幸せな在り方なのですが、普通は無能が証明されたポジションで出世が止まり、本人も周囲も持て余すという状況になりがちです。これが日本中の組織で起きているのではないでしょうか。

ITエンジニアについて考えるとわかりやすいのですが、プログラミングのスキルとマネージメントスキルは全く別物です。有能なプログラマーが必ずしもチームマネージメントに向いているわけではない。というか、普通は向いていません。かといってプログラマーとして成果を出せていないメンバーをチームリーダーに抜擢するのも難しいでしょう。マネージメント能力に秀でているかもしれないのに、プログラマーとしての実績を評価尺度においてしまうからです。

本人も組織も、階層上の上位者がエラいと考えてしまいますが、冷静に考えるとそんなことはないんですよね。部長より高い報酬の証券トレーダーとかいますし、高い専門性スキルとマネージメント能力は本来比べる対象ではないんです。だからもし間違ったポジショニングをとってしまったら、本人と組織が合意した上で、ポジションを下げた方がお互いに幸せということを多々あるのです。これを降格と考えない組織風土が求められるのかもしれません。本人にもプライドがあるでしょうから、なかなか難しいことではあるのですが。役職という考え方が古いのかもしれませんね。理想は強いサッカーチームでしょうか。ヘッドコーチとキャプテンがいて、メンバーはフラットなチーム組織。もちろん経営層は別に存在するのですが、チームとしてどう高いパフォーマンスを発揮するかをチームメンバー全員が摸索して、組み合わせと役割を調整する。そんなチームビルディングに成功した企業が成果を出せるのだと思います。

社長だってただの役割です。上がりのポジションと考えている古い日本企業が経営で外資に負けているのはそこの意識にある気がします。創業者は特別ですが、経営者もプロスキルだという認識が必要ですね。現場の質がまだ高いうちに経営層をレベルアップさせないと、日本企業の勝ち目は巡ってこないんじゃないでしょうか。

スター不在

韓国のトップ囲碁棋士、AIを「打ち負かすのは不可能」として引退決断

少し前にこんな記事を見かけました。イ・セドル九段は誰もが認める囲碁のトッププロなのですが、AIに勝てないから引退というのは違うだろと思いました。いや、ご本人がそうお考えになったのは事実なのでしょうが、ファンは人間のプロにAIに勝ってほしいと思っているわけではないということです。本当に見たいのは、人間ドラマなのです。

私が将棋にハマっていた中・高校生の頃、日本の将棋界はキラ星のような個性で埋め尽くされていました。死ぬまで現役A級を死守した不世出の勝負の天才・大山十五世名人、その大山を追い落とした”棋界の若き太陽”中原十六世名人、彗星のごとく出現した天才・谷川十七世名人、泥沼流と剛腕を恐れられた女たらしの米長、プロ歌手との二足のわらじでセンスを羨まれた内藤、振り飛車アナグマの大内、カミソリ勝浦、いぶし銀の桐山、妖刀花村、天才升田幸三の晩年にもお目に掛かることができました。何も文献を見なくてもこうやってスラスラ名前が挙がるほど、一人一人のキャラが立っていたのです。こんなメンバーが毎年死力を尽くして繰り広げる順位戦を見守ることが面白くないわけがありません。

そうやって考えると、いまの時代、各界でスーパースターと呼ばれる人が少なくなっているのを感じます。マイケル・ジャクソン、マイク・タイソン、ミハエル・シューマッハ、スティーブ・ジョブズ、クラスのスターが見当たりませんよね。これだけネットで世界が繋がって狭くなったのに、影響力という点ではネット出現前の時代の方がはるかに上だった気がします。私が単に年を取ってオッサンになって懐古主義になっているだけなのか、世界が小さくまとまってしまったのか。ちょっとしたスキャンダルですぐに総攻撃される今の有名人が気の毒で、飛び抜けた個性が生きづらい世の中になってしまっている気が私にはします。

私たちが本当に見たいのは、ドラマの中の架空の人物じゃなく、生身の人間のリアリティのあるドラマなんです。そんな濃密なドラマが見れなくなっているのは寂しいけれど、他人じゃなくて自分自身がドラマの主人公になれる時代が来ているのならそれは大きなトレンドの変わり目なのかもしれません。YouTubeやTwitter、Instagramで昨日まで無名だった一般人が芸能人並みのフォローを集めているのを見ると、隔世の感があります。そう考えると、舞台の上のスターを見ているだけだった自分が、その舞台に上がれてしまう時代。ある意味こちらの方が幸せなのかも。ネットの登場で全ては変わってしまいましたね。