ミャンマー訪問

初めてミャンマーを訪問しました。なぜミャンマーなのかと問われると、元リクルートの先輩たちとの恒例のアジアツアーで各国を回っているのですが、もう残りの国が少ないのです。私が参加していない回も含めると、タイ・フィリピン・インドネシア・ベトナム・カンボジア・中国と訪問し、先輩二人が居住するマレーシアを含めると東南アジアの国々をほぼ網羅したことになります。

冬の日本から亜熱帯のミャンマーに着いた途端に気温と湿度の高さに参りましたが、騒々しい空港到着ロビーの活気に「ああアジアにやってきたな」という実感も持ちました。明らかに経済力は日本が上なのに、訪れた観光客が感じるその国のパワーはアジア各国の方がはるかに上。普段は何とも思いませんが、日本が老大国になってしまっているのだという事実を肌で感じます。

これは首都ヤンゴンで最も有名なシュエダゴン・パゴダ。ダウンタウンからほど近いエリアに巨大な金色の塔がそびえ立ちます。入口で靴を脱ぎ、長い階段を登ると、いきなり出現する黄金のパゴダ。このスケールに圧倒されますね。外国人観光客が多いのはもちろんですが、地元の人たちも多く訪れ、この国が熱心な仏教国であることがよくわかります。表面に張られている金箔は数年おきに張り替えられているらしく、キラキラまばゆいばかりに輝いています。オススメは夕方に訪問すること。ゆっくり日が沈むと徐々にその姿を変え、ライトアップされた照明と相まって幻想的な雰囲気に包まれます。何時間でも居れるね、と先輩が思わずもらした言葉が印象的でした。

こちらはヤンゴン市内からヤンゴン川をフェリーで渡ったDala地区。ここに火葬場があり、その周囲にヤンゴンの再貧困エリアがあります。お米とお菓子を用意してDonationに行ったのですが、案内人が鐘を鳴らすとうわっと村中から子供たちが集まり列ができます。Donationされ慣れてる感もありますがw、どの家も簡単な木の骨組みに風雨をしのぐだけのあばら屋ですから見ていて痛々しいです。この子供たちはここから脱出できるんだろうか、対岸の都会に出て人生を盛り立てることが可能なのだろうか、なんて色々考えちゃいました。このDalaへのDonationツアーを勧めてくれたミャンマー在住の元Rの先輩は「この人たちを見てると自分も元気だそうっていう気になるよ」と言ってましたが、本当にその通り。おカネがなくても、みんな屈託のない笑顔で明るいんです。満員電車で朝から死んだような顔してる日本人よりよほど生き生きしてる。どっちが幸せかはわかりませんよね。一人の人間としてのパワーはミャンマーの方が上だと感じました。

一つ驚いたのは、日本でも有名なアウン・サン・スー・チー女史率いるNLDが政権を握って、却って経済が失速しているという事実。どうやら前政権の腐敗を摘発するために公共事業などを一斉にストップして監査しているみたいで、そりゃ悪影響出ますわな。清川の…、の例えにある通り、あまりに清貧を求めると特に発展途上国は仕組みが上手く回らない気がします。拙速は巧遅に勝る、の通り、意志決定スピードの速さこそが重要なんじゃないでしょうか。これは日本でも同じ。政府組織はしかたないにしても、大企業が経営で外資に負けているのは経営層の判断の遅さが主因。であれば我々中小企業はスピードで勝負すれば勝ち目があるということです。そう考えれば希望が持てますね。

日常を離れてたまには旅に出ると、色々リフレッシュできます。お疲れの方は思い切って時間を取ってみてくださいね。

主語の大きさ

我々はともすると、「日本は」「若者は」なんて言葉で対象を一括にして語ってしまいます。しかし最近、それは危険な発想ではないのかなと思うようになりました。あまりに主語が大きすぎて議論が粗雑になっているのではないだろうかと。

確かに一定の傾向はあります。日本とアメリカや中国は違う国で、歴史も文化も気質も異なります。さまざまな現象をスッパリ切って落とす明快な理論を目の当たりにすると、論じ手の明晰な頭脳に感動してカタルシスを感じたりします。だから自分もあやかりたいと、古来床屋談義や居酒屋のオッサン語りが繰り返されてきたのでしょうね。

いろんな物事を変えてしまったのは、ネットの登場です。もはや世の中はネット以前と以後で全く違う理屈で動いています。人は自分の目で見、耳で聞いて、口で話す言葉と共に生きていますが、いまやその情報の入手先は圧倒的にネットになってしまいました。半径3mの周囲が自分に与えるインパクトは年々小さくなる一方なのです。

集団への同調圧力が薄れ、個人の価値観が多様化していく中で、観測できる人の集団規模は小さくなっていくのです。サービス設計も、数を追うより、小集団のコアに刺さるかどうかが成果を左右します。自分が語るストーリーの主語が大きくなりすぎていないか、振り返ってみる姿勢が大切な気がします。

世界で勝てる日本企業

今の若いひとには信じられないかもしれませんが、日本はアメリカを追い落として世界一の経済大国になりかけていたことがあるんですよ。今の中国のような立場といえばお分かりいただけるでしょうか。後年バブル期と言われる1980年代がそうでした。

戦後の高度成長が人口ボーナス期の追い風を受けて絶好調だった日本。転機は二度のオイルショックでした。西欧諸国が成長の限界に直面して恐れおののいた苦境を乗り切ったのは、省エネ技術だったのです。日本の細部にこだわる精神性と、分厚い中間層がアナログすり合わせという特技で世界の最先端に躍り出ました。この時期の日本の躍進ぶりはアメリカにとって心底脅威だったと思います。社畜ぶりが揶揄され、欧米とは異質な文化を背景とする異民族の得体の知れないパワーに西欧は恐怖感を覚えたのです。当時のアンチ・日本ぶりは下記の動画を見れば一目瞭然。

●日本車を壊すアメリカの労働者 『日米貿易摩擦』



今でも日本車の競争力はキープされていますが、1980年代当時は家電・半導体・繊維・素材、あらゆる製造業カテゴリーで日本企業が世界を席巻していました。しかし1989年のバブル崩壊を境に日本企業の勢いは失われていきます。冷戦の終結によるグローバル市場の創出、さらにインターネットの出現への対応遅れ。製造現場の知見がデジタルに置き換わり、最新の製造設備を購入さえすれば途上国でも最先端技術をキャッチアップできるようになったことが日本の強みを失わせてしまいました。アナログ技術が重視される現場力よりも、投資判断がモノを言う経営戦略勝負に勝敗の帰趨は変化してしまったのです。経営幹部の質、経営戦略で日本はアメリカ・中国に負けてしまっていますよね。

いま求められているのは、新たな”日本の勝ちパターン”です。と書いて気付きましたが、主語が”日本の”というのは大きすぎるのかもしれませんね。もはや日本企業を一括りにできる時代ではなく、個別企業が個別の戦略と努力で成功を摸索する時代なのでしょう。

世界時価総額ランキング

日本企業で勝ち組と目されているのは、トヨタ、ユニクロ、ソフトバンク、日本電産、リクルート、ダイキン、コマツ、ブリヂストン、キーエンス、ファナック、あたりでしょうか。本来、現代的な価値を創出しているべきIT企業の名が上がらないのは残念ですね。メルカリ、サイバーエージェント、DeNAあたりの国内有名IT企業も世界ではまだまだ無名の存在です。

個人的には、食とポップカルチャーの分野は日本が独特の強みを発揮できている領域で、今後も有望だと思っています。日本語の壁に甘んじず、世界市場で本気勝負してほしいものですね。就職人気企業ランキングと世界での評価はズレていますが、若い人には外に目を向けて実力企業で腕を磨いてほしいです。一人でも多くのチャレンジャーが生まれることが、この国を元気にするのだと思っています。