もう一つのスティーブ・ジョブズ物語り

PIXAR <ピクサー> 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話

今やレジェンドになったスティーブ・ジョブズですが、カリスマの人間的な一面が垣間見れるIT業界人必読の書です。物語の始まりは1994年の一本の電話から。Appleを追い出され、再起を懸けてチャレンジしていたNeXTもPIXARも迷走続きで結果の出ない日々を送っていたジョブズがスカウトしたのが筆者であるローレンス・レビー。この一人のCFOが驚きの成功をもたらすストーリーには、どんなフィクションも及ばないリアリティと興奮があります。意外だったのはジョブズの素顔です。

すごいアイデアも出てくるけど、的外れも少なくないんだ
スティーブの打つ手は何でもビシビシ結果が出ていた気がしていますが、それは成功したあとに振り返っていい場面だけを拾うからバイアスが掛かっているんですね。思い返すと、SONYにおける盛田昭夫さん、ホンダにおける藤沢武夫さんのように、偉大なビジョナリーの夢を形にしていく有能な実務家が成功には不可欠なのかもしれません。スティーブは何でも自分の思うようにしようという独善的なところがありますが、挫折経験を経てはじめて人の言うことに耳を傾けるようになったのかもしれませんね。
スティーブとは、いつもだいたいこんな感じのやりとりだった。大きな問題でも小さな問題でも、スティーブは激しい議論を展開する。議論は同意できる場合もあれば同意できない場合もある。同意できない場合、私は、彼が激しいから譲歩するのではなく、あくまで事態の打開に資するから譲歩という姿勢で臨む。スティーブも、自分の考えを押しつけるより、議論で互いに納得できる結論を出し、ともに歩むほうを好んだ。ピクサーにおける事業や戦略は、彼が選んだものでも私が選んだものでもなく、こういうやり方で得た結果だと思うと、何年もあとにスティーブからも言われている
有能な補佐役との出会いも望んで得られるものではないのだと思います。スティーブにはその縁を引き寄せるパワーがあったということなのでしょう。

実はPIXARは10年に渡り私費を5,000万ドルも投入しながら全く成果が上がっていない苦しい状況でした。カオスな状態から、当面のキャッシュの手当、何が収益を生み出す元となるのかの見極め、ディズニーとの交渉、IPOの道筋と実現、そしてバイアウトという着地。筆者の果たした役割はとてつもなく大きい。スティーブ・ジョブズ復活のお膳立てをしたのはローレンス・レビーだと断言しても過言ではないでしょう。

生の成功ドラマを読んでいると、本当にワクワクします。そしてそこに自分を当てはめてみる。自分にも同じことができるだろうかとイメージしてみる。身の程知らずなのかもしれないけれど、それでも思わなければ絶対に実現はしない。夢を追う人の背中をそっと押してくれる、そんな勇気をくれる本でした。

「NETFLIXの最強人事戦略」

●「NETFLIXの最強人事戦略

働き方改革の名の下に色んなワーキングスタイルが摸索されていますが、恐らく今一番進んでいる事例の一つだと思います。インパクトのあったところをご紹介。
重要な行動規範の周知を図り、それを実行するかどうかを各人の裁量に任せる
ネットフリックス文化の柱の一つは、「徹底的に正直であれ」だ
エンパワメントに関していえば、私はこの言葉が大嫌いだ。よかれと思ってやっているのだろうが、そもそもエンパワメントがこんなに注目されるのは、今行われている人材管理の手法が従業員から力を奪っているからにほかならない。力をとり上げることを狙っているわけではないが、やたらと介入しすぎる結果、従業員を骨抜きにしている。
従業員に力を与えるのではなく、あなたたちはもう力をもっているのだと思い出させ、力を存分に発揮できる環境を整えるのが、会社の務めだ。そうすれば、彼らは放っておいてもめざましい仕事をしてくれる
ビジネスリーダーの役割は、すばらしい仕事を期限内にやり遂げる、優れたチームをつくることである。それだけ。これが経営陣のやるべきことだ
若干抽象的で分かりにくいかもしれません。しかしながら、企業が作り上げてきた様々な人のマネージメントの仕組みが、本当に機能しているのか全員が考え直した方がいいと思います。例えば分かりやすいのは、
有給休暇制度の廃止を考えてみよう。従業員には、「妥当だと思うだけの休暇をとり、適宜上司と相談してほしい」とだけ伝えた。さてどうなったか?彼らは前と変わらず、夏期とホリデーシーズンに1、2週間ずつ休暇をとり、子どものスポーツの試合のためにちょこちょこ休みを入れた。従業員を信頼し、自分で責任をもって時間を管理させることは、彼らに力をとり戻させるために私たちがとった初期の施策の一つだった。
有給休暇制度を廃止したんですよ! これはちょっと衝撃でした。ウチで同じようにしたらどうなるだろうか? 
従業員を大人として扱うとよい成果が得られること、また従業員もそれを望んでいることがわかった
まあ、そうなんですよね。リモートワークを導入するときのポイントがここにあって、要するにスタッフを信用するかどうかが問われるんです。信用できないと、自宅でもちゃんと仕事をしているのか監視しようとしてカメラを付けたり細かい報告を上げさせたり、ロクな方向に行きません。人は信用されれば、その信頼を裏切りたくはないものだという哲学がないと実行できない施策なんです。


しかしながら、普通の企業がいきなりNetflixを真似て同じ仕組みを導入しても失敗すると思います。それはNetflixの人事システムを支える前提条件というものがあって、それは高い労働流動性が確保されているからだと思います。
今のチームが理想のチームでないことが、私たちの足かせになっていないか?
会社は家族ではなく、スポーツチームだ
社内の人材を登用すべきか、社外からハイパフォーマーを連れてくるべきかを判断する
私も今まで”家族”という言葉をよく使っていましたが、そこにはある種の嘘が紛れています。家族なら解雇することも新たに採用することもないのですからね。ウェットな感情を持ち込みすぎずに、スポーツチームとして必要な人材を適所に配置する、という考え方をした方が気持ちが楽ですね。だからチームにフィットしないと判断すれば、そこは人を入れ替えて良いのだと思います。その人が悪いわけじゃない、ただこのチームにフィットしなかっただけ。無用な人格攻撃をせずに、お互い客観的に適性のマッチングを判断できるといいですよね。

Netflixの特徴的なカルチャーとして、徹底的に正直に情報をオープンにするスタイルがあります。
やるべき仕事の内容や背景情報を、従業員に明瞭かつ継続的に伝えることだ。「これが今の正確な状況で、これが私たちの成し遂げようとしていることだ」と伝えるのだ。マネジャーが、やるべき仕事と事業上の課題、幅広い競争環境について伝え、説明し、隠し立てのない姿勢でいることに時間をかければかけるほど、方針や承認、インセンティブの必要性は薄れる
これが答えです。本来は社内に隠しごとなんてないはずなんですよね。腹を割って本音で話せるか、都合の悪い情報も含めて全てをさらけ出してオープンになれるだけの度量があるか。最後は経営者の器を問われるのだと思います。

堺屋太一さんの提言

堺屋太一氏の遺言「2020年までに3度目の日本をつくれるか」

連休明けにメールに目を通していたら堺屋太一さんの提言がありました。好きな方だったんですけどね、堺屋さん。お亡くなりになって残念です。俯瞰で見た視点が参考になります。
戦後日本というのは、官僚が東京一極集中政策を猛烈な勢いでやっていたんですね。それで特に全国規模の頭脳活動、つまり、経済産業の中枢管理機能と情報発信と文化創造活動の3つは東京以外でしちゃいけない、ということになっていた。

だから金融貿易は東京以外でしちゃいけない。大きな会社の本社も東京に置け。そのために各種業界団体の本部事務局は東京に置けと。つまり、沖縄での頭脳活動は一切ダメというわけですよ。地方は頭がないんだから、手足の機能に専念しろ。つまり、農業や製造業、建設業の現場になれ、というわけです。その代わりに東京はお米を高く買い、建設補助金をばら撒き、公共事業を盛んにするという仕掛けにしていたんですね。

 そんな官僚が作った規制から外れているのは、観光業しかありません。それで沖縄で観光開発を打ち出し、海洋博覧会を契機に沖縄を訪れる観光客の数を10倍にしようという話を作ったんです。

 その時にお目にかかったのが、世界的な観光プロデューサーと言われたアラン・フォーバスというアメリカ人です。この人は、当時の日本で行われていた観光開発は全部間違っている、と言うんです。道路を造るとか、飛行場を造るとか、ホテルを建てるとかいうのは、これらは観光を支える施設ではあるが、観光の施設ではないと。

 じゃあ、観光に必要なものは何かというと、「あれがあるからそこへ行きたい」という“アトラクティブス”だと言うんです。それは6つの種類がある。ヒストリー、フィクション、リズム&テイスト、ガール&ギャンブル、サイトシーン、そしてショッピングだと。この6つの要素のうち3つそろえろと言うんですね。
そもそも敗戦で日本人のメンタリティーは、物量崇拝と経済効率礼賛に180度変わっていました。戦争に負けたのは、アメリカの物量に負けたのだと。それが規格大量生産で高度成長を引っ張る原動力になっていました。

 実際、大阪万博は、日本が規格大量生産社会を実現したことを世界に知らしめた行事でした。1970年代は世界中がそうでした。しかし、その一方で70年代に世界の文明は転換します。きっかけは、ベトナム戦争でした。ベトナムで規格大量生産の武器で完全武装した米軍が、サンダルと腰弁当のベトコンに勝てなかった。なぜだということが盛んに議論されたんですね。その結論がまさに、規格大量生産の限界でした。アメリカで草の根運動や反戦運動が盛んになったのは、そうした文明の転換が背景にありました。

 20世紀の技術というのは、大型化と大量化と高速化、この3つだけを目指していたんです。それでジャンボジェット機ができて、50万トンのタンカー船ができて、5000立米の溶鉱炉ができた。まさに、あらゆる分野で最高速度、最大規模の製品が生まれたのが、70年代でした。そこが限界だったんです。

 それから以後、ジャンボジェットより大きな飛行機は、最近のエアバスの超大型機ぐらいまでありませんでしたし、50万トンのタンカーなんてもう造らなくなった。溶鉱炉も石油コンビナートも大きくなくなり、多様化の時代に文明が一気に変わったのです。

 ところが日本は、その後もまだ高速化、大型化を志向し続けた。アメリカやヨーロッパが文明を転換をしている間に、日本はひたすら規格大量生産を続けた。だがら、その間の80年代に輸出が猛烈に伸びたわけです。欧米と日本の文明のズレが、一時の繁栄をもたらしたんです。これが1つの日本の頂点、戦後の頂点ですが、それでそれが行き過ぎてバブルになって大崩壊した。
あの日本の発展が欧米と日本の文明のズレに咲いた一時の徒花だとしたら悲しいですが、それが事実なのかもしれませんね。日本の実力以上に時代が上げ底してくれていただけなのでしょうか。だとすると我々は新しい時代に即した日本を作り直さねばなりません。その向かう方向も堺屋さんは指し示してくれています。
3度目の日本。それは、官僚制度ではなしに、本当の主権在民を実現する「楽しい日本」です。今、日本は「安全な日本」なんですよ。安全という意味では世界一安全です。だけど全然楽しくない。

 例えばお祭りをやろうとしても、リオのカーニバルなんかでは何人も死ぬんですよ。そんな行事がいっぱいある。アメリカの自動車レース「デイトナ500」なんかもそうでしょう。楽しみと安全とを天秤にかけて、多少は危険だけどこの楽しさは捨てられない、というのが外国にはあるんですよ。

 ところが日本は、どんなに楽しくても、少しでも危険があったらやめておけ、やめておけと、官僚が統制してしまう。それがマスコミや世間でも通っているんですよ。

 安全だけでいいなら、監獄に入ればいい。それでもみんな入りたがらないのは、監獄には幸福を追求する選択性がないからです。その意味で、今の日本はまるで監獄国家とも言えるほどです。その監獄国家から、幸福の追求ができる選択国家にしなきゃいけない。そうすると、ベンチャーを起こす冒険心も復活する。この官僚主導からいかにして逃れるかが、これからの2020年までの最大の問題なんですね。
この、”安全だけど、楽しくない国”という指摘は正しいと思います。やたらコンプライアンを重視して細かいルールで縛ることばかりに執着し、息苦しい国になってしまっていますよね。みんなが心のどこかで感じているんじゃないでしょうか。「この国は楽しくないよね」と。少子化も、メンタルに問題を抱える人が増えていることも、全部”楽しくない”という点に集約して説明できると思います。では我々はどうすればいいのか?

私は、みんなと同じであることをやめる、ということをオススメします。何かをするときに、やたら世間体を気にしていませんか? 自分がどうしたいかよりも、周囲がどう思うかを優先していませんか? 日本人は、人に嫌われることを恐れすぎなのだと思います。ムラ社会の同調圧力に負けてしまっているんです。

これは今後、日本に外国人が増えることで否応なく変わっていくのでしょう。行き過ぎた移民の受け入れは日本のカルチャーを破壊してしまう危険性もありますが、少子化を乗り切るにはもう移民に頼るしかないのが現実だと思います。仕方ないんですよ。身の回りに異文化の人が増えれば、必然的に同調圧力は弱まっていきます。世界はグローバル化するのが流れなのですから、日本だけが例外であり続けることは不可能。子供たちの世代には世間の空気が大きく変わっていることでしょう。

私たちが気持ちの持ち様を変えることはすぐにできます。楽しく生きることを意識する。気分が明るくなる、いい方向性だと思いますね。

令和への提言

こうあって欲しいということを幾つか考えてみる。

●ゾンビ企業の退場
 ジャパンディスプレイとか東芝とか三菱自動車とか、誰が見ても潰れてて当たり前の企業を国策で延命するのやめてほしい。こういう大企業が抱えている優秀な人材が市場に放出されたらもっと人が流動化するはず。日本に活気が生まれない一因は潰すべき企業を潰さないからだと思う。目先の痛みを恐れすぎて自分たちの首を絞めていることに気付くべき。大手志向が修正されて、もっとベンチャーに目を向ける若手が増えてほしい。

●教育コンテンツの動画活用
 ウチの息子が通っているN高は、全ての授業が一コマ5分程度の動画コンテンツ。ダラダラと40分の授業を聞いているよりも集中出来て頭に入ると言っています。生まれたときから動画に慣れ親しんだ世代の教育スタイルは、彼らが受け入れやすいメディアを使った方が絶対に効果的です。恐らく公立学校は導入が後手に回ると思うので、私立からでも率先して新しい教育コンテンツを試してみてほしい。親の側に古い先入観への固執があるので、新しいもの好きな家庭からどんどんチャレンジして先例を作って頂きたいです。

●金銭解雇の導入
 一定の金額を支払うことで自由に解雇できる仕組みを導入すること。これ、労働者にとって不利な仕組みと思われていますが、逆です。確かに解雇の恐れを抱くのは自然な感情なんですが、企業の手足を縛っても結果的に非正規雇用が増えるだけで雇用関係の安定化には繋がりません。一歩踏み込んで金銭解雇を導入すれば、企業側の正規雇用へのリスクが減ります。事業環境の変化やスキルとポジションのアンマッチで自由に人を入れ替えることができれば、正社員を雇用することにためらわなくなるのです。お互いにアンマッチな環境で長期間我慢するような関係こそ不健康です。労働市場の流動化が日本の一番の課題だと思います。

●規制緩和
 私は行政に頼ることが嫌いなのであまり政治に関心はないのですが、それでも政治にしかできない役割というものがあります。その筆頭が規制緩和。元々規制は市民の権利を守るために作られたものだと思いますが、時代が変化するにつれて古くなっているルールが沢山ある。それらをなるべく緩和して新しい競争環境を生み出すことが産業の活性化に繋がります。例えば、タクシー、旅行(ホテル)。UberやAirbnbみたいなシェアリングエコノミーの隆盛で効果が実証されているのに、いつまでも古い業界を変革できないのは明らかにマイナスです。フィンテックが重視されているのに金融業界も規制でがんじがらめですよね。仮想通貨などの新しい分野は一定のいかがわしさがつきまといますが、詐欺や背任などの明らかな違法行為だけを厳しく取り締まって、あまり手足を縛りすぎないことが業界の発展にプラスだと思います。不動産の対面説明義務とか、医療行為に対する制約も古すぎると感じます。(ここまで書いたところで「なぜ医療に市場原理は通用しないのか?」なんてBLOGを発見しました。医療分野に市場原理は本当に馴染まないのか、改めて考えてみたいと思います)

●判例主義への転換
 これは多分無理だろうなと思いながら挙げました。日本とドイツは成文法の国、イギリスとアメリカは判例法の国、という違いがあります。非常にざっくり書いてしまうと、何か新しいサービスが提供されるときに、前以て法律にどう該当するか判断して是非を決めてしまう(往々にしてできない理由が見つかる)日本と、とりあえずやってみて後から問題点を修正するアメリカの違いになります。変化の激しい現代ではアメリカ型の法令システムの方が新しいサービスを試すのに適しているんですよね。先に挙げたUberやAirbnbみたいな新サービスを取りあえず許容するアメリカと、いつまでも既存の法律に縛られて許可できない日本を比べて頂ければ分かりやすいと思います。日本の方が安全ですが、何をするにも時間が掛かる社会になってしまっていますよね。失敗の許容度が違う社会システムと言い換えてもいいかもしれません。失敗を許さない日本と許すアメリカの違いは大きいのです。

●(無目的な)延命治療の拒否
 昨年母を亡くしましたが、その過程で治療方法の選択を迫られました。諸事情で不本意ながらも胃ろう処置を施しましたが、私自身は絶対に選びたくないと痛感しました。これは私の個人的な主観ですが、自分自身で食べ物を摂取できなくなったら、それが寿命なのだと思います。寝たきりでただ死を待つだけの時間を延ばして何になるのか。本人も周りも辛いだけではないでしょうか。この寝たきり生活の時間とコストが読めないから、みんな無駄に老後の蓄えを心配して貯蓄に走る。いくら備えをしても老後の不安がなくならずに、人生を楽しむというモードになれないのではないですか。無駄な延命治療を拒否すると決めてしまえば、病院で過ごす時間はせいぜい二年程度。それなら必要な貯蓄も保険も計算が立ちます。最小限の備えだけして、あとはせっかくの人生の終幕を楽しんでしまえばいいのです。老人世代がもっと消費をするようになれば、今の不景気ムードは一変するのではないでしょうか。そして未来への明るい展望が描きやすくなれば、若い人のモチベーションも高くなり結婚や出産の機会も増えるはず。必要以上に将来への不安が高くてみんなが縮こまっているのが日本の沈滞ムードの根源である気がします。終活のコストを見切ってしまうことが不安解消の一番効果的な処方箋だと考えます。


私は日本という国が大好きで、国民性も社会も素晴らしいものがあると思っています。この国がこのまま老いて右肩下がりに衰退していくのを見ているのは辛い。私にも息子と娘がいますので、彼らによい置き土産がしたいのです。私たちに今すぐできる改善策って何でしょうか? 私は周りと同じであることに安心するのではなく、自分の頭で何がいいことなのか考えてリスクを取る姿勢を持つことが大事だと思います。「人の行く裏に道有り花の山」 少しのリスクで得られるものは大きいと思いますよ。チャレンジしましょう!

小林君のビジョン

最近の私の人に関する引きの強さには自分ながら恐ろしくなることがあります。戦略プランニングとマーケティングで入社してもらった馬頭さんの存在も大きいですが、よりインパクトがあったのはAIエンジニアの小林健生君が入社してくれたこと。彼の応募書類は永久保存ものなのですが、面接で初めて彼と会った時の印象も忘れられません。

正直に書けば、彼の第一印象は良くはありませんでした。何を考えているのか、表情から読み取れなかったからです。私は小林君に一つの質問をしました。「君は将来何をしたいの?」 至極まっとうで平凡な質問ですよね。しかしこの質問への回答がぶっ飛んでいました。小林君はこう答えたのです。「人類の寿命を延ばしたいです」

あなたが面接官なら、どう返事しますか。私は思わずその場で考え込んでしまいました。人類の寿命を延ばしたい。確かにそう言ったよな。まだ25歳であどけなさの残るこの若者は何者なのだろうか。はったりを言っているようには思えない。多分彼は本音で心からそう思っているのだろう。しかし人類の寿命を延ばしたいとは何とも壮大な話だ。この子はとんでもない大物なのだろうか。京都大学理学部卒業とある彼の経歴と目の前の表情を変えない彼の振るまいが、不思議な迫力でオーラを発しているのを感じました。小一時間ほどの面接を経て、当初抱いていた彼への違和感が消え、この子はとても純粋で優しい子なのかもしれないなと思えてきたんですよね。そして私は彼に懸けてみることにしました。

3月の頭から二ヶ月が経過しましたが、小林君の働きぶりは目覚ましいものがありました。合理的な思考に裏付けされた迷いのないアクションと、吸収力。常人の数倍のスピードでどんどんタスクをこなしてプロジェクトを前に進めていきます。正直、周囲が付いて行けていません。私は前職のサミットシステムサービス時代に多くの有能な中国人エンジニアと一緒に働きましたが、その当時のトップクラスのエンジニアと比べても全く遜色のない、いや凌駕していると言える能力の高さに惚れ惚れとしてしまいます。

いま私が感じているのは、小林君や馬頭さんを気持ちよく仕事に向かわせるだけの魅力のある環境を用意できるかどうか、自分が試されているんだなということです。彼らや他のスタッフに、ここに居ても面白くない、未来がないと思われないように、モチベーションを高く維持できる楽しい仕事を作り続けなければなりません。理想と現実のバランスを取る、なかなか高いハードルですよね。

しかし、人類の寿命を延ばしたい、とはなんと大きな志でしょうか。そしてその根底に他者への愛を感じます。自分の成功だけを願うなら、こんなビジョンを抱いたりはしないと思いますから。私が個人的に持っているビジョンよりはるかに大きな小林ビジョン、この実現に貢献できるならそれは私の大きな歓びになると思っています。

私が今思っているのは、どういう形でそのビジョンを実現するか。ただ難病を克服して寿命を延ばしても、老齢期の時間が増えるだけで私は嬉しくないと思うのです。私なりに考える良い寿命の延ばし方は、やはり人生の生き甲斐や充実感をより多く持てる生き方の実現にあると思います。昨日「ココ・シャネル」という映画を見ました。女性が苦しいコルセットに縛られて男の愛玩物扱いされていたのは、まだほんの100年ほど前のことなのです。技術進歩や社会制度の革新などよりも、人の頭の中の既成概念や先入観こそが発展の妨げ。タブーを破壊して、より自由で楽しく暮らせる世の中の実現こそが、私の目指すビジョンの到達点です。長く生きることよりも、どう生きるかということの方が大切なんじゃないかと私は考えています。これから何年小林君と一緒に働けるのか分かりませんが、ビジョンの実現に向けていい時間を過ごしたいですね。

平成を振り返って

令和元年が始まりました。私がリクルートに新卒で入社したのが平成元年4月のこと。思えば社会に出てからの殆どを平成という時代と共に過ごしたことになります。就職、転職、結婚、起業、離婚、再婚、出産、と人生のビッグイベントは全部平成に起きました。この30年、感慨深いものがあります。

日本経済について考えてみれば、バブル崩壊からずっと右肩下がりの低調な時代でした。一時はアメリカを追いこそうかという勢いだったのに、いまや一人当たりの名目GDPは世界27位(出典)。アメリカはともかく、オーストラリア・ドイツ・フランス・イギリスに負けているのはどうかと思います。どうしてこうなってしまったのか?

一つには生産性が高かった製造業を軒並み海外に移転させてしまったことが挙げられます。グローバル最適化を進める上で仕方なかったとは言え、その穴埋めをすべきサービス業が決定的に立ち上がりませんでした。その責はひとえにIT産業にあります。自動車を筆頭に製造業ではそれなりにキーテクノロジーを押さえてグローバルスタンダードを握れたのに、ことIT産業では軒並み失敗してしまいました。OS、CPUは言うまでもなく、近年は重要なプラットフォームを全てアメリカ起業に支配されてしまっています。まあそれは日本に限った話ではなく、GAFAはシリコンバレー特有のエコシステムが生み出したモンスターなので、どこの国もその追随に成功してはいません。トライ&エラーの圧倒的な数の多さと、数少ない成功者をスケールさせる育成システムの充実度が全く違うんですよね。では、日本はこれからどうすべきか?

まずは打席に立つ回数をふやすことですよね。起業家がもっと出てきて、チャレンジする風土を醸成しないとビジネスの種が生まれません。日本の開業率が低位安定しているようではダメですよね。(出典) 私が思うに、この原因の一番は親の教育姿勢にあります。恐らく未だに多くの親が子どもに安定した人生を望みます。不景気が長く続いて将来に夢が描きにくくなった世相を反映して、公務員志望の家庭が多いように見受けます。昔から安定志向の親は多かったのですが、アメリカでこれだけ起業意欲が高いのはやはり圧倒的な成功体験への憧れなのだと思うのです。上記の出典元にある通り、起業を後押しするのは
・起業に成功すれば社会的地位が得られる
・周囲に起業家がいる
という点が大きいと思います。つまり日本では企業を後押しする力が弱いのですね。

時代は令和に移りました。そろそろ失われた30年なんて後ろ向きなことを考えずに、もう一度明るい日本を取り戻すにはどうすればいいか、みんなで考えてみませんか。前向きに新しい提案と実行を始めるタイミングだと思うのです。日本が起業しにくい国だとは思いません。むしろ逆です。世界有数の経済大国なのに、日本語のカベに守られて海外の有力企業が参入しづらい特異な環境は起業に優位なんです。上場のためのハードルも低くて、アメリカ市場に比べるとはるかにローレベルでマザーズなんかにIPOできてしまいます。少しずつですが、CVCなんて仕組みも増えてきてベンチャーにリスクマネーが回り出しています。よほどの経済危機が訪れない限り世界のカネ余り傾向は続くでしょうから、今は起業家にとって”美味しい”時代なんですよね。官僚や古い既得権益職種(医者・弁護士・大企業)に就職するくらいなら、自分で一発当てにいった方がはるかに期待値も満足度も高い人生が送れるのです。仮に起業に失敗しても昔みたいに再起不能に陥ることもありません。銀行からの借金ではなく出資金を集めるスキームを使えば、何度でも再チャレンジは可能なのです。そして失敗した経験は必ず次に活きます。起業しない理由がむしろないのですが、そこを妨げるのは親の教育姿勢が大きいと私は感じています。

でもね、いまは全員がネットにアクセスできる時代。親の古い既成概念なんか、子どもはやすやすと越えていくんです。古い先入観に縛られずに、起業して成功していく実例を多く目にすれば、目ざとい子どもから順にチャレンジは増えていくのだと思います。だから私たち大人の世代は、チャレンジする姿勢を見せることが一番大事。そのプロセスを愉しんで、笑顔で過ごす姿を見せてあげることです。それが子供たちに明日への希望を持たせ、自信と勇気の源になるのだと私は信じます。

先のための準備や備えではなく、今を楽しむこと。笑顔で暮らすこと。やり切ること。他人の目を気にするより、自分の心の歓びを重視すること。それが令和を迎えるにあたって大事な心の持ち様なんじゃないでしょうか。人生を遊びましょう!