シリコンバレー進出の是非

「メルカリうまい、トヨタ存在感なし」なぜ日本企業はシリコンバレーで失敗するのか —— 元米Yahoo!VPの日本人女性に訊く

最近私の大層な話に慣れてきたとスタッフが言ってましたw シリコンバレー進出と聞いてもそんなのメディアの世界の出来事で自分には関係ないと思う人が多数派でしょうね。私はその距離感をなんとかしたいのです。

つまり、神戸や地方で身近にそんな話を聞いたことがないから実感が持てないわけです。「あの人のレベルでアメリカ進出ができるの?」 「あんな会社がNASDAQに上場したの?」 そう思われたい。そして、「じゃあ自分でもできるんじゃないか」と思う人が一人でも多く増えてほしいのです。

最近は日本の証券市場も随分ハードルが下がって、マザーズあたりなら上場はそれほど特別なことではなくなりました。別に流行のIT企業じゃなくても、ネットショップでもサービス業でも、上場というステップは誰にでも目指せるはずなのです。そのチャレンジは絶対に無駄にならないし、挑戦する姿を見ている人がきっと後に続くと思うのです。できなかったって何も恥ずかしいことなんかない。死ぬまであきらめなければ、結果が出たことにはならないのですから。一度きりの人生、とことんやり切ってみよう。そう思っています。

あなたも、本気で狙ってみませんか。

個別面談

ウチでは二カ月に一度のペースで個別面談を実施しています。人数が多くないので、今のところは私が全員とOne On Oneです。もっと回数を増やしてもいいのですが、今のところはこのペースが丁度いい按配と感じています。一応事前にヒアリングシートは出してもらいますが、フォーマットには拘らず、その人の現在の仕事状況、プライベートの変化、仕事のロードマップ、会社のビジョン、個人のキャリアプラン、など色んなことを話します。

やっぱり普段は表面的なことしか話しませんから、こういうじっくり膝を交えて話を聞く機会はとても大事だと思います。実際、ここで大切なことを知ることも多いのです。なるべく一方的にこちらの想いを伝えるのではなく聞くことを増やそうと思っていますが、それでも振り返ると私がしゃべっていることが多くて反省します。

最近社内で非同期型のつぶやきシステムを定着させようとしています。いわば社内版のTwitterですね。これがなかなかいい。使い方は強制していませんが、それでもリモートワークをしたい人はこれが大事だよ、と伝えています。離れていても何となくお互いの様子がわかる、というのがいいです。

コミュニケーションの総量を増やすこと。これが風通しのいい会社をつくるために必要なんだろうなと思いますね。

センターピンという考え方

折口雅博さんとお話ししていて、繰り返し出てくるのがセンターピンという考え方です。要するにビジネスのツボを外すな、と。事業で成功するのはボーリングでストライクを出すこと。センターピンを外さないことが絶対条件であると同時に、全部のピンを倒すだけのグランドデザインも必要。それはつまり資金調達、ブランディング、マーケティング、チーム編成、出口戦略、全てなのです。これは経験がないと見えないんですよね。経験値がものをいう世界。やったことがある人の知見はとても貴重です。

CARZYの、おちゃのこネットの、センターピンは何か? ヒントは頂きましたので、外さないようフォーカスしたいと思います。

NASDAQへ!

折口雅博氏による新時代を担うリーダー達へのメッセージ

北九州市の小倉で開催された講演会に参加してきました。お名前は存じてましたが雲の上の人だし、イメージはあまり宜しくない。正直怖い人だと思ってました。ところが実際に会ってみると、なかなかチャーミングで実直な方。人間的な魅力が備わっていなければ、あれだけの仕事を実行するだけの人が集まらないですよね。

講演会では、日本企業にもっと目線を高く持って本気で世界で戦って欲しい、NASDAQを目指そう、と熱く語りかけていました。講演会の質問タイムで私が「日本企業が本気で世界で勝つために何が必要ですか?」と尋ねたら、「日本のお上と関わらないことです」と。よほどトラウマだったのでしょうか…。

翌日に個別に面談する時間を頂いて、CARZYのプレゼンをさせて頂きました。手応えは充分。世界で戦えるポテンシャルがあると評価頂きました。素直に嬉しかったです。

パートナーの西川淳さんにも意向を確認して、本気でNASDAQを目指してみようと思います。やれるところまでやり切ってみます!

仕事への共感

みなさんは自分の仕事にやり甲斐を持てていますか? もうひとつモチベーションが上がらないときには、是非社長と話してみることをお勧めします。

チームオーダーという言葉があります。必ずしも本人の意向に沿わないことでも、チームのために飲んでくれと言われるシーンは珍しくないはず。ウチでも発生します。都度その意思決定の背景や理由をなるべく丁寧に説明しますが、それでも伝わりきらないこともある。そんな時には、遠慮せずに何度でも、納得いくまで尋ねてみてください。それは経営者も歓迎することなのです。もやもやした思いを抱えながら自分をだまして仕事をしてもアウトプットは落ちます。何より楽しくない。そんな顔は経営者も見たくないのです。もし説明を拒まれたら? そんな社長はこちらから見切りをつけてやりなさい。奉仕する価値のない会社です。

経営者にとって重要な能力は、言語化能力です。自分の考えや想いを形にして伝える。何度も何度も伝える。伝わるまで伝える努力を諦めないようにせねば。そう自分に言い聞かせました。

セミナーあれこれ

週末にセミナーに参加してきましたので、簡単にご報告。

家業イノベーションCAFE @関西

実家に家業を持つ人というのは実は結構多いのです。私を含めて概ねの方は家業を継ぐ志向はなく、都会に就職する道を選びます。やはり社会人として羽ばたく段階では、まずは家を出たいという気持ちが強いのです。そして都会で会社員生活を数年するうちに、このまま今の仕事を続けていて良いのだろうかという疑問が生まれます。その疑問は日を追うごとに自分の中で成長し、ついにある日堤防が決壊します。「もう、カイシャ辞めよう!」

最初はやっぱり転職を考える人が多いでしょうね。もっと自分に合った環境があるはず。もっとやり甲斐を持てるカイシャがあるはず、と。そこで数年、やっぱり違和感はなくなりません。そこで気付くのです。「実は、家業を継ぐというのもアリなんじゃないか」

私は30代で独立開業という道を選択したので上記のコースには乗りませんでしたが、いい歳になって父親の引退と相続というタイミングが家業継承に向き合う機会になりました。今回のイベントは30代くらいの若手の家業継承者を対象とした催しだったのですが、比較的若い段階で実家に戻ることを考える人が増えているのでしょうかね。

家業継承者の環境はさまざまですが、殆どの家業は古い経営体質から脱却できずに苦しんでいます。事業として将来性があるのか、ないのか。ここの判断がまず難しい。でもやっぱり家業から逃げるわけにはいかないんですよね。星野リゾートの星野佳路さんは「ファミリービジネスは継ぐべき」と仰っています。そのココロは、
家業を継ぐというと、実力に関係なく経営に携わることになり、七光りとか、楽しているなど、周囲からネガティブなイメージで見られることが確かにある。ただ家業がある家は限られているし、誰もができることではない。人生にはいろいろな選択肢があるのは事実だが、チャンスがあるなら、そのチャンスはとるべきだ。社会の中で自分にしかできないこと、自分の使命は何か、と考えたとき、家業を継ぐというのは、大事な役割だ
心に響きますね。田舎の百姓家の長男坊として家業に向き合うことは大きなチャンスなのではないか、自分の今までの経営者としての経験が大いに活かせるのではないか。そう感じました。若い方に家業を継ぐということを前向きに考える人が増えるといいなと思っています。


対話の場づくり実践シリーズ「ワールド・カフェのつくりかた」

ワールドカフェという手法は対話を引き出すメソッドとして有力だと思います。おちゃのこサークルの交流会に使えるんじゃないかと思っていますが、問いかけの設定や、場の流れを修正するファシリテーションのスキルなど、うまく回すための経験は必要な気がしますね。試してみないと分からないので、どこかで使ってみるつもりです。


研修的な場に出ることは少ないのですが、社会人になってから新しいことを学ぶというのは楽しい経験です。普段会わない人と繋がるのも楽しい。表に出よ、人に会え。ですね。

組織の成功 = 個人の幸せ、ではない

今私が取り組んでいることは、新プロダクトのプランとリモートワーク体制の導入です。これらのことを考えていると、必ず話が経営理念の問題に戻ってきます。全ての土台ができていないと、その上に建てる構築物の具体案を決めれないということなのですね。回りくどいようにも思えますが、ここを飛ばしては何も決めれないのです。

幸せな働き方や会社の風土や文化についてあれこれ考えていると時々思います。JobsやBezosはこんなこと考えてたのだろうかと。多分考えてない。だから圧倒的なプロダクトの成功を前にすると、全ては些事であるようにも思えます。

ここで、もう一歩踏み込んで考えてみる。では、AppleやAmazonの社員はみな幸せなのだろうかと。幸せな人も多いでしょうが、そうでもない人も多い気がする。ただの主観ですけど。それはつまり、組織として経営的に成功していても、それが即ち個人の幸せと直結しているわけではないということなのだろうと思います。経営者はどうしても会社目線でものごとを考える。それが社員に共感をもって受け入れられるかは分からない。今は会社と個人のパワーバランスが変化している最中な気がしています。そな流れに気付き、個人を尊重する風土を作れた会社が勝者として残るのではないでしょうか。

経営者としての常識を作り変える作業はなかなかシンドいのですか、やってみようと思っています。

リモートワークの導入について

エンジニアが働きたい場所で働けるために、チームに必要なこと

これは今ウチで顧問をしてくれているサイボウズの岡田君の資料ですが、リモートワークの導入を考えている全ての企業にとって役に立つ内容だと思います。リモートワークに興味はある、導入してみたいと考えている、でもどこからどう手を着けていいのかわからない、ヘタな導入の仕方をして混乱を招きたくない。多くの方はそうお考えのはず。私も同じです。

大事なのは、何のためにリモートワークを導入するのか、という目的ですね。私が思うメリットは、生産性の向上と優秀な人材の確保の二点です。

まず生産性の向上という観点ですが、そもそもオフィスは本当に効率的に仕事に集中出来る場なのか、という疑問があります。オフィスで働いている毎日を客観的に眺めてみると、大小様々な割り込みでブツブツ時間が切れていることが分かります。電話、メール、チャット、LINE、会議、打ち合わせ、そして誰彼なく話しかけられる。本当に落ち着いて仕事に取り組んでいる時間が一日にどれほどあるのか。正直なところ、真剣に考えをまとめたい時は私自身がカフェに移動して集中したりしていますからね。暗黙知の共有という面があることは否定しませんが、こと作業に集中したい、アウトプットを出す、という観点からはオフィスはあまりにノイズが多すぎます。その時その時の目的に応じた最適な場所で仕事をする、というのは選択肢として有用だと思います。

更に分かりやすいのは、優秀な人材の採用という点です。これはもうエンジニアを採りたければ、必須条件になりつつあると感じています。他社が対応を始めている以上、こちらもその環境を用意しなければ永遠に良い人にリーチできません。これはウチのようなIT企業だけではなく、今後どんな企業にとっても他人事ではありません。

この二点を求めてリモートワークを導入したいと考えていますが、そのデメリットにも目を向けないわけにはいきません。先の岡田君は下記の点を問題点の例として挙げています。

・チームの作業効率低下
・情報漏洩リスクの増大
・心身への悪影響
・マネジメントの難易度向上

つまり個人の効率は向上するかもしれないけど、それはチームの効率低下とのトレードオフではないのかという懸念ですね。チームメンバーが顔を合わせてのコミュニケーションは減りますから、ちょっとした軽い相談や雑談レベルの交流は少なくなるでしょう。人間関係の構築ができていないのにリモートで顔を合わせなかったら、どこで関係を作るのかその場がないかもしれません。リアルなチームミーティングをする場にはどうしても出席しないと疎外感も生まれそうですね。

低レベルかもしれませんが、「サボってるのではないか」という疑問は誰もが真っ先に思うポイントです。大事なことです。これについては、そこはあきらめる、が正解のようです。驚かれました? でもこれ、ごもっともなんじゃないかと思っています。だってオフィスにいてもサボる人はサボりますよね。防ごうと思えば四六時中監視するしかない。でもそんな職場で働きたいですか。私はイヤです。それよりも、目の前の仕事に価値を感じていて、会社に愛着があり、メンバーの信頼を裏切りたくなければ、自然に働きますよね。この共通の価値基盤がない会社にはそもそもリモートワークは向かないということなのでしょう。私は子どもに向かって宿題しなさいとうるさく叱る親の姿をイメージしました。小学生レベルには必要な関与かもしれませんが、高校生以上になればそれはもう自分の問題です。ましてやいい大人なのですから、働く意味を見出せない職場なのならそれは真面目に転職を考えるべきなんじゃないでしょうか。

先の岡田君はリモートワークをうまく機能させるには三つの条件が必要と言っています。それはツール、制度、風土の三つ。この中で一番大事なのは、最後の風土なのでしょう。多様性を尊重し、公明正大で嘘を付かないこと。だからこそ、チャットツールやTV会議システムを入れたらできる、というものではない。結果的に社内がバラバラでチームが崩壊した会社もある。扱い方を間違えるととんでもないことになる劇薬。それでも未来のオフィス、未来の会社を追い求めるなら避けては通れないもの。それがリモートワークなのだと思います。まずは条件を幾つか設定して、スタッフみんなが納得して進められるやり方で試してみようと思っています。

「ティール組織」が未来のカタチ?



ティール組織とは?3つのエッセンスの基本を実務的に丁寧に解説!

マネージメントに答えはありません。また時代と共に進化していきます。いま最新の理論がこの”ティール組織”なのだそうです。確かにマネージメントしないマネージメント、非階層構造、信頼による結びつき、というのは今っぽいと感じます。要するに、大量生産型の上意下達の仕組みが古くなり、情報化社会に合わせた個人の多様性と創造性を尊重した組織が求められているんでしょうね。どこまで取り入れることができるか分かりませんが、勉強してみようと思います。マネージメントにもイノベーションが起きているんですね。

最近見た記事で気になるのは、下記のテスラについてのもの。

トヨタの向こうを張ったTeslaの赤字が止まらない

私が思うに、テスラは事業の理念は素晴らしいものの、組織のマネージメントスタイルが威圧的で古いんですね。これはトヨタの方がよっぽど新しいと感じます。ラインを停めずに生産高を上げることを強制されるテスラと、アンドンで現場にラインを停めることを推奨するトヨタの違いです。イーロン・マスクの理想は完全無人工場なんでしょうが、そこに働く人の個の尊重という意識はありません。これは危ないですね。

目まぐるしく動いている日常も、俯瞰してみれば歴史的にある一定の方向に動いているもの。人間性を重視する社会、というのがその目指す先であるように感じます。チャレンジしてみましょうか。

メキシコ人漁師の寓話

とある所で、懐かしいものを見かけました。みなさんはこのお話しをご存知ですか。
メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。

メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。

その魚はなんとも活きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、

「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。

すると漁師は

「そんなに長い時間じゃないよ」

と答えた。旅行者が

「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」

と言うと、

漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。

「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」

と旅行者が聞くと、漁師は、

「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。

「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキシコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。

「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」

「15年、いやおそらく20年でそこまでいくね」

「それからどうなるの」

「それから?そのときは本当にすごいことになるよ」

と旅行者はにんまりと笑い、

「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」

「それで?」

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ」
我々はこの話からどんな教訓を学ぶべきなのでしょうか?

一般的にはこの寓話はMBAの提案を揶揄するものとして扱われますが、私はそうは思いません。結果的に同じ生活を手に入れたかに見えますが、漁師は相変わらず生活のために日々漁に出て日銭を稼ぐことを義務付けられており、MBAは生活の心配をする必要がありません。MBAにとって漁はある意味、趣味です。この差は限りなく大きい。人生の大半の時間をビジネスの成功に投入しただけの価値はやはりあるのだと言わざるを得ないでしょう。しかし、個人の幸福感がその努力に比例しているかどうかと問われると、必ずしもイエスとは言えませんよね。ここに大きな選択肢があります。

幾多のリスクを乗り越え、必死に長期間の努力を積み上げた結果の対価である漁師生活。片や、最初から努力を放棄して目の前の安楽な幸せを選んだ結果としての漁師生活。MBAは一生分のストレスを投入して成功を勝ち得ているのであり、リタイヤ生活を手に入れた時には身も心もボロボロかも知れない。世の中が敷いたレールに背を向けて、ホームレス的なお気楽人生を選んだとしてもそれは誰かに非難される謂われのものではないはずなのです。どちらがエラいかではない。これは個人の主観の問題なのですね。

それでも私はMBAの道を選びますし、できれば子ども達にもこちらを選んで欲しい。どうしてか。それは人生がレッスンの場であると信じるからです。人がこの世に生まれてきた理由。それが自分を高め、よりよい人間として高みを目指す旅路にあると考えるからです。ただ生まれて、食べて、死ぬ。それだけではつまらないと、私は思います。この世に自分の足あとを残したい。何か意味のあるものを伝えたい。自分にしかできないことを成し遂げたい。それが私の人生観です。勿論、正解はありません。ただ、面白かったなと振り返れる人生を送りたいと思うだけです。

身近に人の死が訪れると、こういうことを考えてしまいますね。ではみなさま、よい連休を。