Panasonicに必要なビジョンは?

Panasonicが社長交代を発表しましたね。当初予定は、中村会長・大坪社長コンビの続投だったようですが、この業績悪化で圧力が強くなり津賀新社長へのバトンタッチに至った模様です。事情通からは津賀氏の手腕を押す声が強かったので、いたずらに時間を無駄にすることなく良かったのではないでしょうか。



さて、これからのPanasonicに必要な成長ビジョンとはなんでしょうか?頭の体操のつもりで考えてみました。



まず、現状把握。

一時は日本、いえ世界の家電をリードしていた松下電器ですが、当時の中村社長がコメントした通り「SONYがチャンピオン、我々は挑戦者」と言わざるを得ないほど業界での地位は低下してしまいました。その後SONYが自分達のエラーで没落してしまった感はありますが、それでもSONYの映画・音楽といったソフトコンテンツとブランドイメージには底力があり、Panasonicが後追いすることは実質無理だと思います。無難な商品開発に終始してきたツケが一気に回ってきた感がありますが、まあこれは社風とあきらめるしかないと思います。

では、Panasonicの強みとは何か。それは白物家電の存在でしょう。勿論コモディティ化してしまっては価格競争しかありませんので、付加価値を付けていくしかありませんが、この領域はSONYもAppleも簡単には手を出せないので今後も強みが活かせると思います。デジタルAVの領域はSONY・Appleに勝てないと思うので、正面突破はあきらめた方が良いと思います。更にPanasonic電工の存在。地道ですけど、強い会社です。では、この強みを活かしてどう成長ビジョンを描くか。



PCとスマートデバイスの融合の中で繰り広げられる、新たな“OS戦争”



上記のエントリーにPanasonicの向かうべき未来のヒントがあると思います。やはり自社のデバイスにOSを搭載してプラットフォーム化していく事でしょうね。ここで大事なのは、そのプラットフォームで何を実現するか、です。昔から家電がネットに繋がる、というコンセプトはさんざん提唱されており、「ネット冷蔵庫」なんてのも提案されましたがそれでどれだけ消費者にメリットがあるのか、もう一つ説得力に欠けていました。ここで重要な技術は、音声認識にあるのでは、と思っています。



Siriのデモ



これはiPhone 4SのテレビAdですが、一番強くアピールしているのは音声認識ソフトである「Siri」です。残念ながらまだ日本語化はされていませんので我々はその恩恵にあずかることは出来ませんが、日本語を含める他言語で認識精度を高く維持出来れば世界中で爆発的なヒットになるでしょう。そして、これこそが生前にJobsが「ようやく見つけた」語っていたテレビの操作UIなのかも知れません。そして、この音声認識技術こそが、白物家電に搭載されるべき明日の技術なのではないでしょうか。



「スマートホーム」とでも呼べる、各家電がネットワークでクラウドに接続された状況。それらを共通の音声認識UIで操作する統合環境。「玄関の明かりを点けて」「まだお肉は残っていたかしら」「子供部屋のエアコンを入れて」本当にSF映画で出てきた未来図だと思いませんか? これを実現出来る一番有力なプレイヤーがPanasonicではないかと思うのです。共通で動作するOSの開発、クラウド環境の用意、「スマートコンセント」と呼べる次世代電源配線(システム接続ラインを兼ねる)。何だか考えているだけでワクワクしてきます。



もう安売り競争はやめましょう。そんなカテゴリーは、中・韓・台湾に任せておけば良い。プラットフォーム化にこそ、勝機がある事はAppleが実証済みです。是非、盛り返して欲しい。頑張れ、Panasonic!

エルピーダの会社更生法申請

まあ残念ではありますけど、ぶっちゃけ弱い事業を集めたところで強くなるわけないのは見えてましたよね。

経営者と関係者一同の努力には一定の敬意を払いますが、ダメな事が見えてきた事業を延命させる事にどれだけの意味があるのか。

すっぱり見切って、次のステップに踏み出した方が、社員も取引先もシアワセになると思う。

特に国の補助金に頼っちゃイカンよね。

日本のこういうずるずると問題を先延ばしにする体質はあきません。

「見切り千両」って大事な事だと思います。

誰かが責任を取る覚悟が居るけどね…。

そこがサラリーマン経営者には無理なのか?

SONYはダサい?

米国の高校生の生態を観察すれば何故SONYがニシキヘビがとぐろを巻いたような醜悪なデザインのヘッドフォンに駆逐されてしまったのかがわかる



ちょっと色んな意味で衝撃だったので、ご紹介を。

僕:「なんだあのニシキヘビがとぐろを巻いたような醜いヘッドフォンは!」

息子:「ああ、あれはスカルキャンディーさ。今、流行ってるんだ。」

僕:「SONYじゃダメなのか。」

息子:「SONYのダサさが分かんないの?」

僕:「オレは日本人だ。SONYは日本の誇りだっ!」

息子: (頭を抱え込みながら)「Whatever….」


僕:「ちがう違うチガーウ!どうしてこの店はSONYを置かないんだっ!」

店員:(いかにも見下したような態度で)「お客さん、もう流行らないんですよ、SONYは。」

僕:「そんな筈はないだろう。SONYのブランドは不滅だっ!」

店員:「スカルキャンディーのブランドはオーセンチックだと思いますよ。」

僕;「オーセンチック?!“#$%」

店員:「つまり熱心なファンのコミュニティから自然に湧きあがったブランドだということ。大企業がねつ造したイメージとは違うということです。」

僕:(言葉を失う)


うーん…。

全てのSONY製品がこうだとは思いません。

ティーンエイジャー向け製品独特の状況だとは思いますが、それでも「SONYがダサい」とはっきり言われてしまうと日本人としてはショックですね。

まあ考えてみればSONYも創業から66年目、決して若い企業ではありませんので、新興分野で先進イメージがないのはしょうがないのでしょうが…。



もう一つ驚くのは、このSkullcandyというヘッドフォンメーカーの売上規模と利益水準です。

2012年度の通期売上見通しが約30億ドル、gross profit marginつまり粗利が50%弱という圧倒的な高収益性。

私も筆者同様「低付加価値でコモディティ的なビジネス」だと思ってしまいましたが、ビジネスはどこに花の山が隠れているか分かりませんね。

素晴らしい事例だと思います。

ロシアあれこれ

いや、全然仕事でもプライベートでもロシアなんて接点ないんですよ。

だからこそ、色々カルチャーが違っていて、面白くもあり、目眩がするようでもあり。(笑)



ロシアのソフト開発がいろんな意味で凄い

我が国の資源調達の現状、というか現場(メモ)



元切込隊長、最近ロシア方面とビジネスしてるらしくて、現場から生々しいレポートを発信してくれています。

正直全然ピンと来ないんですが、いやあ世界は広いなあと実感させる異文化ぶりです。

欧米ばかりを念頭に置いちゃうんですが、これからはBRICs始め、アジア圏やら、西洋文化とは異なる価値観で動いている社会の影響力が大きくなる訳なので、こちらも発想を柔軟にしておかないといけませんね。

いえ、ビジネスで対等に付き合える自信は全くありませんけど…。



ロシアでは「ごめんなさい」はかえって怒られる



↑こちらのBLOGはもっとベタなロシアの日常をタチアナさんが書いてくれています。

この方、ロシア人なんだけど、日本生まれ(?)で、今ご主人の赴任についてロシア在住らしいです。

市民感覚が伝わってきて、なんだかほっこりします。

ホイットニー・ヒューストン

年に一度の音楽業界のお祭り、グラミー賞はアデルの6部門制覇という華々しい結果になりましたが、お祭り騒ぎというよりはホイットニー・ヒューストンの追悼の場となりました。

「ボディーガード」のイメージが強いのですが、晩年は決して順調とは言えず、薬物トラブルや破産の危機をなんとか周囲の好意で凌いでいた状態だったらしいです。

こちらとかにある彼女の動画をつらつらと見ていて、本当に良い曲が多かったんだなと痛感。

こういう時に思い出すのは、さとなおさんが加藤和彦の自殺に際してアップしていたエントリーです。



もっとちゃんと伝えよう。
たぶん、一時期でも時代の先頭を走った人は、自分の中でのハードルがどんどん上がり、下げられなくなってしまうのだろうと思う。真面目で真摯な人ほど高く高くハードルを上げる。そしてある日ハードルを越えられなくなった自分に気づき、「みんなの期待に応えられない自分」が自分の中でクローズアップされていく…。



いままで素晴らしいものを提供してくれただけで、こんなにもボクらの人生は豊かになっているのに。その素晴らしい価値に気づかないまま、ボクらの声も届かないまま、深く悩み、苦しんでいく。



手軽に、簡単に、いろんな芸術作品やありがたい言葉やオリジナルな情報を享受できるようになった現代。

手に入れやすくなったからこそ、こちらからも手を伸ばして、もっとしっかり感謝や愛情を「伝える」ことをしないといけないのだと思う。彼らには心ない言葉もたくさん届いている。それに負けないくらいたくさん「心ある言葉」を伝えないといけない。ここでも書いたが、意外と本人には伝わってない。誰かがきっと伝えてるよと思っても意外と誰も伝えていない。それどころかとっても孤独な状態にいたりする。それはきっとサイレント・マジョリティがサイレントのままでいるからだ。
若いときから長く長く創造活動をやっているアーチストたちは、多かれ少なかれ同じ苦しみを感じながら創作活動をやっているのだろうと思う。身勝手に「今度のアルバムつまんねぇ。○○も終わったな」とか言えるのも聴く側の権利ではあるが、長く聴かせてもらっているファンとしてはそういう客観評価とは違う軸で応援していく態度が必要なんだろうな。



家に帰って、ユーミンとか桑田とか達郎とか元春とか、若いときからずっと聴いているアーチストたちのCDジャケットを見ながらそんなことを考えてた。せめて借りずに買わなきゃなぁ(最近の数枚は借りた)。頭の隅でユーミンや桑田が自殺したらどう思うかを想像した。うぅ。心が痛すぎる。もっとちゃんと応援しないと。


そうなんだよな〜

この時代、余計なノイズばかりが届いて、ちゃんとしたポジティブなメッセージが意外と届いていない気がします。

大事な才能が若くして消えた時、その責任のいくばくかは受け手である我々にもあるんじゃないでしょうか。

いつまでもサイレントじゃダメなんだ。

ありがとう、や、おめでとう、の気持ちをもっとちゃんと伝えないと。

それは、スターに対しても、身近な人でも、同じなんだ。

「いねむり先生」伊集院静

久し振りに小説を読みました。

伊集院静氏よりも、むしろ色川武大氏に触れたくて手に取った本。

懐かしい青春の思い出が一気にフラッシュバックしてきました。



色川武大氏をご存じない方でも、「麻雀放浪記」の阿佐田哲也氏は知っているでしょう。

真田広之主演で映画もヒットしましたよね。

私が最初に読んだのは高校生の時でした。

一応県内屈指の進学校だったのですが、雀荘に出入りするやんちゃなクラスメートがいるような、今から考えれば鷹揚なところのある高校でした。

元々将棋が好きだった私は、誘われて麻雀にも深入りし、体育祭の時も隠れて部室で麻雀に入り浸ったり、夢中でした。

その時仲間内でバイブルのように読まれていたのが「麻雀放浪記」でした。

カラフルな牌図が織りなす魅惑のゲームと、魑魅魍魎が登場するアウトローの世界。

板子一枚下は地獄、という危うい綱渡りの生き方に憧れました。

ま、本当に実行する根性はどこにもありませんでしたが。(笑)



そんな作者が、本名で文学作品も書いているのだと知って、著作を読み漁りました。

色川武大氏の脅威のテクニックに驚嘆しましたね。

すごい才能だと思いました。



でも、色川武大氏の本当の魅力は、その著作でも、アウトローの生き様でもなく、人柄そのものにあったのです。

それを改めて浮かび上がらせてくれたのが、伊集院静氏の本作。

もう色川武大氏が亡くなって二十余年経ちますが、私の中では本田宗一郎氏と並んで、懐の深い大人物の代表です。

実際にお目に掛かった事などないのですが、あんなに優しく、人を受け入れて許してくれる人は居ないと思います。

小事に狼狽え、人の粗が気になる自分の小ささが嫌になった時、いつもあの人を思い出して反省します。

懐かしい、昭和の匂いが色濃く残る人でした。

Panasonic、これはアカンよ…

これは酷い…パナソニック「プラズマVIERA」、日本だけ手抜き仕様に



がーん、これ、本当ですか? > Panasonicどの

ショックです…。

一昨年末に旧型Panasonicプラズマから新型に買い換えたプラズマファンとしては、非常に残念です。

確かにテレビ市場では液晶に押されっぱなしでプラズマの先行き危うし、という状況ではあるのですが、プラズマの画質を評価して使い続けているユーザーとしてはPanasonicを応援しているんですよね。

かつてのSONY神話に騙された思いを抱いて、今は家電はPanasonicイチオシ。

多少割高でも、無駄に高スペックでも、関西企業を応援する気持ちもこめて贔屓にしてきたのに、この仕打ちはないですわ…。



ネットで簡単に情報収集と拡散が出来る時代に、消費者をごまかす姿勢がナンセンスです。

皆、尼崎工場の赤字もリストラも知ってますよ。

で、社長交代の微妙な時期でもあるんですよね。

でもね、シンドイ時に本性出るんですよ。

不器用だけど、実直なモノ作りの姿勢が評価ポイントだったのに、こういう小手先のマーケティング(になってませんが)されると一気に冷めます。

失った信頼は簡単に戻らんぞ。

スーパーボウルに見るアメリカ

皆さん、スーパーボウルご覧になりましたか?

私は正直あまり興味なかったんですが、Facebookで盛り上がってたので再放送をチラッと拝見。

マドンナのハーフタイムショーは凄かったですね〜







ほんの15分ほどのステージに、一体幾ら掛けてるんでしょうか。

エンターテイメントの本場の迫力をまざまざと見せつけましたね。



しかしアメリカという国は独特です。

グローバルスタンダードとか言ってますけど、思いっきりローカルな国ですよね。

メジャーなスポーツは、まずはNFL(アメフト)、次にNBA(バスケ)、その次にやっとMLB(野球)とNHL(アイスホッケー)。

下手したら野球は四大メジャースポーツの中で一番人気ありませんし、世界でトップスポーツに君臨するサッカーなんて未だに全く定着してませんから。

多分、アメリカの一番運動神経良いヤツはNFLを目指すんですよ。

で、QB(クオーターバック)がスターで、ヒロインはチアリーダー。

世界の他のどこの国とも様相が異なります。



彼らの困ったところは、自分達のスタイルが世界の標準だと(本気で)思い込んでいるところ。

愛すべき田舎者、ってとこですね。

そろそろ自分達の押しつけがましいところを自覚して欲しいんだけどな。

政治もそうだし、アメリカのクルマが日本で売れないのは単なる努力不足だよ。

「官僚の責任」古賀茂明

「官僚の責任」古賀茂明



先輩に勧められて読んでみました。私は以前より疑問がありました。「官僚は本当に思っているほど優秀なのか?」 「もし良いパフォーマンスを上げられていないのなら、本来優秀なはずな彼らの何が問題なのか?」 その疑問にこの本は答えてくれました。麻布高校から東大法学部、そして通産省(現経済産業省)入省という典型的なエリートコースを歩みながら、改革派として知られた著者にしか書けなかったドキュメンタリーでもあります。



先の疑問への著者の答えは、「官僚は世間が想像するほど優秀な存在ではない」「彼らが堕落するのはひとえに官僚組織が国民を向いて仕事をする構えになっていないからだ」というものです。若手の中には、国を支える大きな仕事をしたいという志に燃えて入省するモチベーションの高い人も大勢いるのですが、年功序列の人事システムが出来上がってしまっているため、実権を持って仕事に当たれるようになるまで20ほど掛かってしまう。その間官僚組織にとって好ましい成果を追求していくと、いつの間にか組織の論理にどっぷり嵌まってスポイルされてしまう。そして官僚組織の論理とは、つまるところ自分達の生活の安定であり、利権と省益と天下りという完全に内向きの理屈に支配されていると。正直読んでいて暗くなりました。



著者は、これを是正する手立ては公務員改革にしかない、と言います。若いウチからモチベーションの高い仕事に取りかかれる環境を用意し、上げた成果を評価して若手を登用出来る仕組み。更には省庁の組織の壁を越えて、必要な場所に必要な人材を流動的に配置出来る人事システム。これらがないと国民の方を向いて仕事する組織になり得ないと。本書を読むと、安倍内閣時に公務員制度改革に手を付け、福田内閣の抵抗を乗り越えて麻生内閣で成立しかけた法案が、民主党政権誕生のどさくさで廃案に追い込まれた経緯も記されています。中曽根元総理をして「これは革命だよ」と言わしめたこの法案が通っていたら、今頃随分霞ヶ関の雰囲気も変わっていたのでしょうが…。



本書では、官僚の政策がいかに的外れで経済の現場を知らないか、という実態もあぶりだしています。つまり、中小企業の経営者が危機感を持って経営にあたっている智恵以上の上策は官僚からは生まれてこない。むしろ正常な市場の自浄作用を邪魔する方向にばかり力が働いて、結果として淘汰されるはずだった効率の悪い企業がゾンビ化して居座ってしまっている。これがいかに発展の芽を摘んでいることかと。大事なのは、補助金ではなく、時代の先を読んだ規制緩和と競争環境の整備なんですよね。



私はこの本を読んでいて、日本の閉塞感を招いている原因が見えてきた気がします。それは、日本人が持っている強みが裏目に出ているんですよ。我慢強さ、勤勉さ、他者への思いやり、といった日本人の美徳が、改革のためにはマイナスに働いてしまうんですね。国の仕組みが古くなっているのは誰の目にも自明。大きくやり方を変えなければならない。でもその時目の前に血を流す人がいると、その人への配慮が先に立って大義がなされないんだと思います。だから、天下り先の廃止とか、リストラとか、利権のカットとか、誰かの生活が脅かされる決断を言い出せない。なるべく流される血を少なくしようとばかり考えて、無理矢理ソフトランディングするプランを採用しちゃう。東電の救済なんて典型例ですよね。



今、消費税の増税論議の真っ最中です。私も、必要なら痛みを分かち合うことに異存はありません。しかし本書が述べるように、それしか手立てがないのか、仮に消費税増税したとしてそれで問題が解決するのか、が大事だと思います。今の政府の議論は、自堕落な生活をしている大学生がお金が足りないからと仕送りの増額をせびっている構図と何ら変わらないのではないか。まず、非効率な意志決定システム(=政治)と、実行の実務部隊(=官僚組織)の制度設計を変えないと結局国民が我慢するだけで単なる問題の先送りだと思います。遠回りに見えても、本質に手を付けないと、結局堂々巡りです。雰囲気で消費税増税に迎合しちゃダメですね。



この国を変えるためには、結局政治を立て直さなければなりません。そのためには、あきらめずに国民が政治家にプレッシャーを掛けることです。橋本市長の大阪改革も始まっています。ひるまずに、明日を見据えた議論を続けましょう。それが子供達のために取らねばならない大人の責任だと思います。