日本のテレビ事業はもうダメなのか?

パナソニック、通期の最終赤字4200億円に



40インチの液晶テレビが5万円を切る値段で買えてしまう昨今、テレビ事業が赤字になるのもむべなるかな。

シャープ・SONYを始めとする日本メーカー各社は皆同じ状況で、一斉にテレビ/パネル事業の縮小を模索しています。

もう日本のテレビ事業はダメになってしまったのでしょうか?



ネットで面白いやり取りを見掛けたのでご紹介しましょう。



さよならアメリカ、さよなら中国
アメリカの消費者は同程度のクオリティであれば、ブランドというものにほとんど配慮しないからだそうである。

トヨタが3200ドルでヒュンダイが3000ドルなら、大半の消費者は迷わずヒュンダイを買う。

一円でも安ければそちらを買う、というのは、私の定義によれば「未成熟な消費者」ということになる。


これはクルマ業界の話なのですが、テレビ売り場も同様に韓国メーカーに席巻されており、アメリカもヨーロッパもサムスン・LGの天下です。

これに対して、



内田樹先生がもうひとつ、つっこんで質問すべきだったこと

というツッコミが入っています。

つまり、

 ・アメリカの消費者が価格だけで選んでいるというのは誤りで、少なくとも価格差はある

 ・問題は日韓メーカーのブランド力に差が無くなってきていて、それが価格差の縮小に現れている

という事ですね。

今までは相当な価格差が無ければ韓国メーカー品を選ばなかったのに、今では大した差が無いと思われているからそれほど価格に開きが無くても日本メーカーはチョイスされないと。

妥当なご意見でしょう。



ではこのままテレビ事業から撤退するのが正解なのかというと、私はそうではないと思います。

相変わらずテレビの情報の出口としての存在感は大きいですし、むしろコンテンツが、地上波・CS放送・ネット・パッケージメディア(DVD/Blu-Ray)と混在している今、スマートに見せる工夫を消費者は待っているはずです。

だからAppleがテレビを”再発明”してくれるという噂に心躍らせたりするのです。

テレビメーカーが今考えるべきは、数万円のパネルを売ることではなく、著作権保護の罠に陥っているコンテンツホルダー業界の体質に風穴を開けて、スマートなユーザー体験の実現を模索することでしょう。

リビングの窓口から姿を消してしまうのはあまりにリスキーだと思います。



似たようなつまらないテレビ局、今の数必要ですか?

お金あるんですからテレビ局を買収して、Panasonic放送とかSONY-TVとか立ち上げちゃったらどうでしょうか。

で、過去のコンテンツもまとめてクラウドに保存して、いつでも好きな時にストリーミングで配信する。

勿論Android OSでゲームも動くし、音楽も買える。

Appleが実現したかった次世代のテレビをもう一度作って欲しいです。

日本企業には今でもそれだけの力があると信じているから。

タイ訪問記

数日お休みを頂いて、リクルート時代の上司とタイに行ってきました。新卒で入社してたったの3年しか在籍しなかったんですが、当時の先輩方や同僚とは20年以上に渡ってお付き合いが続いています。有り難いことですね。



ちょっと話が遡りますが、何故私が就職先にリクルートを選んだかというと、情報通信事業に進出していたからです。大学の卒論を書く時に、堺屋太一さんの「知価革命」を読んだんですよね。

今手元にその本がないので実際の表現は分かりませんが、「従来の産業革命は人間の体で言えば筋肉系の発達。これからは神経系の発達、つまり情報通信革命が起こる」という旨の記述があり、衝撃を受けたことを覚えています。そうか、イギリスで内燃機関が発明されて起こった産業革命に匹敵する大きな歴史の波が来ているのか、それなら是非その世界に関わる仕事をしたい。そう強く思ったのです。色々経緯がありまして、当時内定を貰っていた野村證券・百五銀行(実家のある三重県の地銀です)・リクルートの中から選択しました。リクルートの社員さんに人間的な魅力を感じたのも大きかったんですけどね。



当時の日本は1985年のNTT民営化により、第二電電(現:KDDI)を始め財界に通信事業ブームが巻き起こっていました。端末を開発する機器メーカーや、インフラを所有するJR・トヨタなどの巨大資本グループも巻き込んで、正に時代は通信一色。虚業の誹りを挽回するために実業の世界に強烈な憧れを持っていたリクルート創業者の江副浩正会長は通信事業への参画を強く希望しますが、エスタブリッシュメントの壁は厚く願いは叶いませんでした。一種事業者になれなかったリクルートはNTT回線のリセール(単に仕入れて再販するだけ)という非常に中途半端な事業形態の選択を迫られます。しかし江副さんの情熱、いや執念はそれはそれは恐ろしく強烈なものでした。社内の各事業部から猛者が一斉に通信事業部門に異動します。更に従来全く社内にいなかった理系人材の採用。私が入社した1989年の時点で、社員総数は約3,000人。しかし1988年の新卒採用数は約1,000人、1989年が800人、1990年も1,000人近くを採用したのですから、その異常振りがお分かり頂けるでしょう。社内の使えるリソースは全て、足りないものは力ずくで社外から中途採用で人を集めまくったのです。「女の子がアイスクリームを売るように通信回線を売りに来る」と揶揄されたのは決して大袈裟ではありませんでした。だって事実通信事業の素人集団だったのですから。それからの数年の経験は、まさにジェットコースター。バブル経済の過熱と相まって、毎日がお祭りでした。課が三ヶ月事に増えるんです。半年で新しい部が出来て、当然フロアが足りなくなるから借り増しして、恐ろしい勢いで組織が大きくなっていきます。元々日本トップクラスの営業力を誇るリクルートが、全精力を傾けて通信回線を売りまくりました。全上場企業を廻り尽くして、それでももの足りずに帝国データバンクに収録されている全ての会社を全員がローラーで営業しまくったのです。あの熱気は経験したものにしか分からないでしょう。

 毎日が手探りでした。通信の基本的な仕組みを勉強会で共有し、海外製の通信機器を購入してバラしてみたり。NTTにはあらゆる無理をお願いして、局舎内に設備を置かせてもらい、回線のオープンに融通を利かせてもらい、みるみる日本有数のネットワークが構築されていきました。当時のリクルートのカルチャーはNTTにもショックだったでしょうね。全くの素人が長期計画とか何も無しにいきなり回線を売ってくるんですから、異星人を見る思いだった事でしょう。でも当時の経験があったからこそ、先述した局舎や足回り回線の開放といった今の通信ビジネスに必要なリソースシェアの仕組みが出来たのだと思います。



ところが、元々事業構造に無理があります。原価はNTTが握っているし、一種免許もないから独自のサービスを展開するにも自由な企画を通す余地が少ない。当然ライバルとの熾烈な価格競争に陥り、一種事業者の攻勢を跳ね返すことが無理だということが見えてきました。その当時の事業部長が今回タイにご一緒した石原さんです。創業者であり天皇だった江副さんに正面から刃向かい、「この事業はもうダメです。」と事業撤退を進言して江副さんの逆鱗に触れ事業部長を解任されました。当時のメンバーは皆落胆したんですよ。毎日通信事業とはどうあるべきか、我々に何が出来るのか、時代の先行きは、何て熱い会話が酒場で交わされてました。結果的にはリクルートは数年後に全ての通信事業から撤退を余儀なくされます。一部残ったFNX事業も今は当時のライバルだったインテックに売却され、石原さんの意見が正しかったことが証明された訳です。既にリクルートを退職して零細ソフトウェアハウスに転職していた私も、元同僚達と苦い酒に付き合いました。結局江副さんの夢は叶わなかったのですね。戦後最大の経営者と賞賛された江副さんは、焦りから未公開株の譲渡というグレーな手段に手を染めて、リクルート事件で表舞台から退場してしまいました。あんなに熱かったお祭りは終わったのです。



そんな時代の思い出話や、裏話。江副さんの本当の人間像。繰り広げられた社内政治の裏側や重要人物のその後の行く末。当時新入社員の私が知り得なかった濃い話を石原さんや鷲津さん(当時の次長)に数日間たっぷり聞かせて頂きました。とても貴重で勉強になる課外授業でしたね。あの当時のリクルートに匹敵するだけの活力を持っているのが今のソフトバンクと孫さんでしょうか。彼らは非常に賢く通信分野に基盤を作り上げることに成功しましたね。20年掛けて、独占企業NTTの牙城をこじ開けたのです。ソフトバンクだけじゃなく、日本の通信事業の黎明期に精力を傾けた全ての関係者の努力が実ったのだと思っています。



タイの話なんでした。タイ、ここも20年振りの訪問です。ほほえみの国と表現される穏やかな国民性と安定した政治状況が、この国の近年の発展の基盤です。現地を訪れてみると、驚くほど物価が安い。タクシーの初乗りは35バーツ。円高のお陰で、×2.5ほどのレートなので、90円弱の計算です。有名なタイ式マッサージは一時間が200バーツ、つまり500円です。チェンマイの大卒初任給は8,400バーツ、21,000円ほど。道路工事の作業者の日給は180バーツだそうです。経済発展したとはいえ、まだまだ貧しい国なんですね。しかし出会った人々は皆優しかったです。治安も良くて、夜に出歩いても怖い思いをする事もそんな雰囲気もなく、屋台でビールを飲みながら現地の食べ物を食べ、旧都のスコータイ遺跡やゴールデントライアングル地帯なんかを観光して歩きました。色々エピソードはてんこ盛りなのですが、ここでは省略。(笑)

 洪水は、我々が滞在した期間はバンコク市内も問題ありませんでした。アユタヤは冠水していましたが、迂回すれば道路網も機能していましたし、国際空港はもっとも重要なインフラとして最優先で対策されていました。何とか洪水の被害が最小限で済むことを祈っています。正直、今の首相はタクシン派というだけで選出された事もあって、政治手腕は不安視されています。せっかく各国メーカーの工場が進出してアジア有数の生産センターとしての地位を確保していたのですから、何とかうまく対応して欲しいですね。今週末が山場らしいです。



というわけであまりに長くなったのでこの辺で。タイの人々の笑顔に癒されながら、深い話も沢山聞けた、とても濃い旅でした。

個別面談

ウチでは、全メンバーと三ヶ月に一度個別面談の時間を取るようにしています。

以前は半年に一度だったのですが、それでは間隔が空き過ぎと思い頻度を増やしました。

特に問題の無いスタッフは良いのですが、何か悩みや課題を抱えたまま言い出せずに悶々と悩んでいると毎日が辛くなります。

何でも小さな芽のウチに解決した方が良いのは当然の事ですからね。

で、やはりやればやるだけ色々見えていない話が出てきたりするわけで…。

本音の部分のコミュニケーションって、ちゃんと場を設けないとなかなか出来ないものなんですね。

されていない会社さんはオススメですよ。



前向きな課題や建設的なテーマも出てきたりして、やれる事はすぐに手を付けたいと思います。

新しいサービスの導入も進めようと思いますので、ご期待下さい!

三越伊勢丹の誤算

JR大阪駅に新規開店した三越伊勢丹と専門店ビル「ルクア」の業績が明暗分かれているらしいです。

GWに開業してから約五ヶ月、ルクアが年間目標を順調に達成しそうなのに対して、三越伊勢丹の現況は年間目標の30%程度と苦戦しています。

対策として「より大阪の消費者に受け入れられやすい店作りを目指す」とありますが、それは違うんじゃないでしょうか。



開業直後にカミさんと二人で三越伊勢丹に出掛けてみましたが、正直印象はイマイチでした。

我々が期待したのは”東京らしい百貨店”であり、そのイメージはゴージャスで洗練されたもの、でした。

例えるならパークハイアット東京でしょうか。

規模を求めずに関西にはない上質なリッチさを全面に出せば、関西の富裕層はノックアウトされたと思うのですが。

端的に言えば、三越伊勢丹のあの紙袋はないです。

チープでプレミアム感が全く無いので、自慢出来ない。(笑)

関西にカルフールが進出した時も思ったんですが、どうして他と合わせようとするんでしょうか。

カルフールももっとフランス風味を全開にして、日本で手に入りにくい食材や調理法をアピールした方が良かったと思うんですが、結局イオンになっちゃってます。

Appleもそうなんですが、今の時代シェアを取りに行ってはダメなんじゃないでしょうか。

20%で良いから、ロイヤルティの高い顧客の心を掴む。

その方がブランドイメージが確立して、かつ利益も確保しやすいモデルだと思います。

Bergdorf Goodmanは百貨店不況の中でも元気ですからね。

iPhone 4S予約

早速iPhone 4Sを予約してきました。

for Steveって言われるとちょっとグッと来ますね。

沢山の人が行列していました。

良い製品に一人でも沢山の方が接して、幸せな気持ちになってくれるといいな。

ありがとう、Jobs!

ついにこの日が来てしまいました。

色々書こうと思ったのですが、ネット上に追悼メッセージが溢れていて食傷気味ですよね…。

彼の死がこんなにも世の中に大きく受け止められるのは、その活躍がIT業界に止まらず全ての生活シーンに多大な影響を与えたからに他なりません。

そして彼がただ順風満帆に成功したヒーローであっただけなら、またここまでの惜しまれ方はしないでしょう。

彼の人生は、正に波瀾万丈でした。
<ジョブズ年表>

・16才ウォズニアックと出会う

・21才アップル Ⅰ発売

・22才法人設立 アップルⅡ大ヒット

・25才アップル株式上場

・29才マッキントッシュ発売

・30才アップル追放

・31才ピクサー買収

・42才アップルCEO復帰

・46才iPod発売

・51才iPhone発売

・56才逝去
一番大きいのは彼がAppleを追放されていた12年ほどの期間ですよね。



どん底時代のスティーブ・ジョブズの思い出

「ちょっと近所まできたからさ」



そう言ってスティーブが会社に寄るといつもH&Qの社員はスティーブを暖かく迎えました。



でも(本当はスティーブは行き場所が無いんだな)という事はH&Qの社員は皆、ひしひしと感じていました。


あれだけタフに見えるSteveにしてもやはり自分が創業した会社を、よりによって自分がスカウトしてきた経営者に追い出されるというのは堪える経験だったのです。

それからの数年はやることなすこと上手くいかず、混迷の時期を迎えます。

でもその時に種をまいたNeXTやPixarがその後大きな花を咲かせることになるのですから、ここに我々は大きな感動を受けるのです。

人生に無駄な時期なんてない、失意の時にこそ人の本質が出る、痛みを知っている人こそが他人の痛みを理解出来る。

そして、彼を蝕んだ病魔との戦い。

当初は燃やしたであろう打倒Microsoftの想いや、自分を邪険に扱った人々を見返してやろうという思いをとっくに超越して、最後の10年ほどはコンピューティングの未来だけを真摯に見つめて情熱を傾けたのだと思います。



改めて、2007年1月のMac WorldのKeynoteを見返してみました。

私はラスベガスのCESを見に行っていたのですが、ホテルで見たJobsのプレゼンに完全に魅了されてしまいました。

この数年は彼の魔法に掛かった気持ちよくも夢現のひとときでしたね。

今一度彼の元気なプレゼンを見返してみて下さい。

彼の創り出した新しい世界が、今や我々の生活の一部として根付いていることを実感します。

願わくばいつまでも解けないでいて欲しかったのですが、彼の魔法を受け継いだ後継者達の活躍に期待しましょう。

そして、我々一人一人が世界をより良くする為に前進する事こそが、Steveへのはなむけになる事でしょう。

さようなら、そして、本当にありがとう、Steve!





(Steve Jobs keynote from Mac World 2007)

コミュニケーション依存

ふと思ったんですが、私達は一日にどれほど大量のデジタルコミュニケーション活動をしてるんでしょうか。

Email、ニュースサイトの閲覧、Twitter、Facebook。

恐ろしい量ですね。

若い人が一番重要視しているライフラインは携帯電話なのだそうです。

携帯の電源が切れることをこの世の終わりのごとく恐れますよね。

あれ、一種の依存症だと思うのですが、自分を振り返ってみても彼らを笑う気にはなれません。

出張しても、休暇で海外に出掛けても、常にネットワークの繋がる場所に居ることを望み、安心するのは同じです。

ほんの15年前は誰も持っていなかったんですけどね。

この間に我々が抱えることになったストレスも大変なものだと思います。



本当のバケーションが欲しければ、携帯電話の繋がらない場所に出掛けるべきなのでしょうね。

えっ、とてもリラックスできない?(笑)

チャイナ・クオリティ

商売の天才・中国人が生み出したミラクルビジネス「蟹券」が面白い―中国



ネット上では揶揄の意味を込めて「チャイナ・クオリティ」という表現がよく使われます。

手抜き工事だったり人権軽視だったり使われるシーンは様々ですが、商売の現場でもその言葉は生きていますね。

上記で紹介されているのは日本でも良く見る金券ビジネスなので特別変わったモデルだとは思わないですが、このモデルの向こう側には13億人という圧倒的な人口の存在があります。

馬鹿正直にコツコツ善行を積み上げるより手っ取り早く稼いで逃げた者勝ち、相当数の中国人がそう考えているんじゃないでしょうか。



いや、実際に上海で出会った中国人は大半が真面目な人でしたよ。

ガイドさんは仕事の付き合い以上に親身に面倒を見てくれましたし、ホテルのフロントマンもタクシー運転手もレストランのウェイトレスも、皆常識的な対応でした。

だから普通の感覚の市民は経済発展と共に増えているのだと思います。

そうやって形成される中産階級こそが国の基礎ですから、ダテに得られたGDP世界二位ではない事は分かっています。

しかし、それでも各シーンで不徳者の存在は無くならないでしょう。

勧善懲悪の倫理観・マナーが根付くか、「悪貨は良貨を駆逐する」で全体のモラルがいつまでも上がらないか。

諸外国は中国の成長の行方を注意深く見守っています。



私個人的には、良いとこまでは行くけど、最終的に欧米・日本並みの水準までは到達しない、と思っています。

だって、あの人口ですもん。

中国と付き合う人は、相応のリスクを想定して引き受ける余地のある余裕が必要です。

成長市場だからと安易に進出するとエライ事になりますよ。