堺屋太一さんの提言

堺屋太一氏の遺言「2020年までに3度目の日本をつくれるか」

連休明けにメールに目を通していたら堺屋太一さんの提言がありました。好きな方だったんですけどね、堺屋さん。お亡くなりになって残念です。俯瞰で見た視点が参考になります。
戦後日本というのは、官僚が東京一極集中政策を猛烈な勢いでやっていたんですね。それで特に全国規模の頭脳活動、つまり、経済産業の中枢管理機能と情報発信と文化創造活動の3つは東京以外でしちゃいけない、ということになっていた。

だから金融貿易は東京以外でしちゃいけない。大きな会社の本社も東京に置け。そのために各種業界団体の本部事務局は東京に置けと。つまり、沖縄での頭脳活動は一切ダメというわけですよ。地方は頭がないんだから、手足の機能に専念しろ。つまり、農業や製造業、建設業の現場になれ、というわけです。その代わりに東京はお米を高く買い、建設補助金をばら撒き、公共事業を盛んにするという仕掛けにしていたんですね。

 そんな官僚が作った規制から外れているのは、観光業しかありません。それで沖縄で観光開発を打ち出し、海洋博覧会を契機に沖縄を訪れる観光客の数を10倍にしようという話を作ったんです。

 その時にお目にかかったのが、世界的な観光プロデューサーと言われたアラン・フォーバスというアメリカ人です。この人は、当時の日本で行われていた観光開発は全部間違っている、と言うんです。道路を造るとか、飛行場を造るとか、ホテルを建てるとかいうのは、これらは観光を支える施設ではあるが、観光の施設ではないと。

 じゃあ、観光に必要なものは何かというと、「あれがあるからそこへ行きたい」という“アトラクティブス”だと言うんです。それは6つの種類がある。ヒストリー、フィクション、リズム&テイスト、ガール&ギャンブル、サイトシーン、そしてショッピングだと。この6つの要素のうち3つそろえろと言うんですね。
そもそも敗戦で日本人のメンタリティーは、物量崇拝と経済効率礼賛に180度変わっていました。戦争に負けたのは、アメリカの物量に負けたのだと。それが規格大量生産で高度成長を引っ張る原動力になっていました。

 実際、大阪万博は、日本が規格大量生産社会を実現したことを世界に知らしめた行事でした。1970年代は世界中がそうでした。しかし、その一方で70年代に世界の文明は転換します。きっかけは、ベトナム戦争でした。ベトナムで規格大量生産の武器で完全武装した米軍が、サンダルと腰弁当のベトコンに勝てなかった。なぜだということが盛んに議論されたんですね。その結論がまさに、規格大量生産の限界でした。アメリカで草の根運動や反戦運動が盛んになったのは、そうした文明の転換が背景にありました。

 20世紀の技術というのは、大型化と大量化と高速化、この3つだけを目指していたんです。それでジャンボジェット機ができて、50万トンのタンカー船ができて、5000立米の溶鉱炉ができた。まさに、あらゆる分野で最高速度、最大規模の製品が生まれたのが、70年代でした。そこが限界だったんです。

 それから以後、ジャンボジェットより大きな飛行機は、最近のエアバスの超大型機ぐらいまでありませんでしたし、50万トンのタンカーなんてもう造らなくなった。溶鉱炉も石油コンビナートも大きくなくなり、多様化の時代に文明が一気に変わったのです。

 ところが日本は、その後もまだ高速化、大型化を志向し続けた。アメリカやヨーロッパが文明を転換をしている間に、日本はひたすら規格大量生産を続けた。だがら、その間の80年代に輸出が猛烈に伸びたわけです。欧米と日本の文明のズレが、一時の繁栄をもたらしたんです。これが1つの日本の頂点、戦後の頂点ですが、それでそれが行き過ぎてバブルになって大崩壊した。
あの日本の発展が欧米と日本の文明のズレに咲いた一時の徒花だとしたら悲しいですが、それが事実なのかもしれませんね。日本の実力以上に時代が上げ底してくれていただけなのでしょうか。だとすると我々は新しい時代に即した日本を作り直さねばなりません。その向かう方向も堺屋さんは指し示してくれています。
3度目の日本。それは、官僚制度ではなしに、本当の主権在民を実現する「楽しい日本」です。今、日本は「安全な日本」なんですよ。安全という意味では世界一安全です。だけど全然楽しくない。

 例えばお祭りをやろうとしても、リオのカーニバルなんかでは何人も死ぬんですよ。そんな行事がいっぱいある。アメリカの自動車レース「デイトナ500」なんかもそうでしょう。楽しみと安全とを天秤にかけて、多少は危険だけどこの楽しさは捨てられない、というのが外国にはあるんですよ。

 ところが日本は、どんなに楽しくても、少しでも危険があったらやめておけ、やめておけと、官僚が統制してしまう。それがマスコミや世間でも通っているんですよ。

 安全だけでいいなら、監獄に入ればいい。それでもみんな入りたがらないのは、監獄には幸福を追求する選択性がないからです。その意味で、今の日本はまるで監獄国家とも言えるほどです。その監獄国家から、幸福の追求ができる選択国家にしなきゃいけない。そうすると、ベンチャーを起こす冒険心も復活する。この官僚主導からいかにして逃れるかが、これからの2020年までの最大の問題なんですね。
この、”安全だけど、楽しくない国”という指摘は正しいと思います。やたらコンプライアンを重視して細かいルールで縛ることばかりに執着し、息苦しい国になってしまっていますよね。みんなが心のどこかで感じているんじゃないでしょうか。「この国は楽しくないよね」と。少子化も、メンタルに問題を抱える人が増えていることも、全部”楽しくない”という点に集約して説明できると思います。では我々はどうすればいいのか?

私は、みんなと同じであることをやめる、ということをオススメします。何かをするときに、やたら世間体を気にしていませんか? 自分がどうしたいかよりも、周囲がどう思うかを優先していませんか? 日本人は、人に嫌われることを恐れすぎなのだと思います。ムラ社会の同調圧力に負けてしまっているんです。

これは今後、日本に外国人が増えることで否応なく変わっていくのでしょう。行き過ぎた移民の受け入れは日本のカルチャーを破壊してしまう危険性もありますが、少子化を乗り切るにはもう移民に頼るしかないのが現実だと思います。仕方ないんですよ。身の回りに異文化の人が増えれば、必然的に同調圧力は弱まっていきます。世界はグローバル化するのが流れなのですから、日本だけが例外であり続けることは不可能。子供たちの世代には世間の空気が大きく変わっていることでしょう。

私たちが気持ちの持ち様を変えることはすぐにできます。楽しく生きることを意識する。気分が明るくなる、いい方向性だと思いますね。