西野監督の決断について

日本代表、ポーランドに負けはしましたが、決勝トーナメント進出を決めました。素晴らしい成果にまずはおめでとうと申し上げます。

その上で個人的に感じること。まず一つ目。一番真剣にものごとを考えているのは、当事者。ですから外野は外野であることを自覚して、当事者に尊敬の念を持って見守るのが本筋です。あれこれ言うのは勝手ですけど、所詮素人の戯れ言ですからね。岡田監督もそうでしたよね。けちょんけちょんに言われてたのに、南アフリカ大会で結果を出したら急に英雄扱いされて、今までの論調はなんだったのかと。特にメディアはモノを言うのが仕事なのですから、自分たちの言説には責任を持って欲しいです。だから尊敬されないんですけど。というわけで、私も西野監督の判断自体は尊重しますし、結果を出したことは手放しに凄い事。快挙にまずは拍手です。

その上で思うこと。私には、ああはできないですね。これは岡田監督も言ってます。

結果出たんだから、西野さんの勝ち/岡田武史論
自分は小心者だからね。ビビって攻めにいくな

小心者だから、というのは岡田さん一流の謙遜だと思いますが、私が何より思うのは、自力で結果を出すチャンスが目の前にあるのだから、それを放棄して他力に依存することは危険だということです。今回は結果が良い方に出ました。その良い結果が出る確率を計算しての決断なら言うことはないのですが、果たして最初からそこまで考えていたのか。少なくとも試合前には、勝ちに行く、と言ってるわけですからね。試合途中での方針変更が選手に正しく伝わるか、そしてその確立見通し通りに他者が動くかどうかは保証の限りではありません。もし、セネガルが一点取って追いついていたら? その時西野監督は自身の方針を後悔しないのでしょうか。私は凄くすると思います。私なら、悔やんでも悔やみきれない気持ちになると思います。だから、その後悔をしたくない思いを優先して、ポーランド戦でも引き分け狙いで攻めたと思うのです。これは、正しい、正しくない、という話ではありません。この問題に正解なんてないのです。あるとすれば、哲学や価値観の相違ですよね。だって、同じことを南米のチームがやったら、素晴らしいマリーシア(ズル賢さを意味するサッカー用語)なんて褒め称えられるのでしょうから。その意味では、日本サッカーも厚みを持ちだしているということなのだと思いますね。

外野の雑音はほっておけば良いのです。大事なのは、決勝トーナメントの対ベルギー戦です。ここを全力で攻めて、世界を驚かせて欲しい。結局、評判や世論なんて、行動でねじ伏せていくしかないんですよ。監督も選手も、みんな心に期するところがあるはず。目にもの見せてやりましょうよ。ホンモノの侍精神を!