リーマン・ショック後の赤字転落から、2018年3月期に過去最高のグローバル販売台数を記録するまでに復活したマツダ。再建を率いた金井誠太会長(当時)は、どのように変革への意思をはぐくみ、社内に働きかけていったのか。金井氏が「変革への挑戦」を振り返る。
シリーズ
金井会長が語る マツダ変革への挑戦
完結
全6回 完結
理想を追え、ただし合理的に
2008年9月のリーマンショックでフォードは急激に業績を悪化させ、11月にマツダ株の大半を売却。ブレーキが踏まれることはなかった。とはいえ、リーマンショックはマツダの業績にも大ダメージを与え、さらに11年には東日本大震災が発生。改革の途上でマツダは窮地に追い込まれた。
「金井さん、何を言っているのか分かりません」
2005年から始まったマツダの長期ビジョン策定の中で、金井氏とそのチームが考えた生き残り策が「モノ造り革新」。今までの業務プロセスを全て取り換える、大胆なプランだった。
生き残るには「世界一」になるしかない
社運を賭けて開発したアテンザのヒットをきっかけにマツダは苦境を脱する。一方で環境対策、安全対策の要求は厳しくなり、国際競争も激化していたが、マツダにはまだこれらに対する長期戦略がなかった。
志は「最高で超一流、最低でも一流」
実力以上の目標を掲げ自滅し、フォードの傘下に入る事態を招いたマツダ。開発の現場にいた金井氏は他社に先駆けたデジタル化を通して改革しようと動く。
売れないクルマを作る悲しさ
今から30年前、マツダはバブル景気を背景に、「B-10計画」と呼ぶ販売拡大策によって国内シェアの倍増を目指した。3つあった販売チャネルを、当時のトヨタ並みの5チャネル体制にしようというものだ。
「個性重視」の社風に潜んだ危機
2018年3月期、マツダのグローバル販売台数は160万台(前年比3%増)と過去最高を記録する見込みだ。